収録情報】
● プロコフィエフ:交響曲第5番変ロ長調 Op.100
ブックレット掲載の録音データ:1973年6月29日、レニングラード・フィル大ホール(ライヴ)
● プロコフィエフ:交響曲第5番変ロ長調 Op.100
ブックレット掲載の録音データ:1973年6月29日、レニングラード・フィル大ホール(ライヴ)
→1968年9月28日のレニングラード・ライヴ
● プロコフィエフ:交響曲第6番変ホ短調 Op.111
ブックレット掲載の録音データ:1967年5月25日、プラハ、ドヴォルザーク・ホール(ライヴ)
● プロコフィエフ:交響曲第6番変ホ短調 Op.111
ブックレット掲載の録音データ:1967年5月25日、プラハ、ドヴォルザーク・ホール(ライヴ)
→1967年5月26日、スメタナ・ホール
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
>オリジナル・ブックレットによれば、交響曲第5番は1973年6月29日レニングラード・フィル大ホールでのライヴとありますが、かつて「Russian Disc」から出ていた1968年9月28日のレニングラード・ライヴと同じものと思われます。交響曲第6番は1967年5月25日ドヴォルザーク・ホールでのライヴとありますが、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルは同日にコンサートを行っておらず、翌26日にスメタナ・ホールで行ったものではないかとされています。
交響曲第5番はリマスタリングにより、エネルギーと迫力が増してムラヴィンスキーの解釈を伺えます。またムラヴィンスキーに捧げられ、彼が初演した第6番の説得力はまさに圧倒的。誰にも真似できない神の領域に至っています。(輸入元情報)
交響曲第5番はリマスタリングにより、エネルギーと迫力が増してムラヴィンスキーの解釈を伺えます。またムラヴィンスキーに捧げられ、彼が初演した第6番の説得力はまさに圧倒的。誰にも真似できない神の領域に至っています。(輸入元情報)
このPragaというレーベルの情報はあてにならないことがある。録音データもそう。当初は第5番はムラヴィンスキーの指揮なのかも疑った。というのも自分が初演した以前の作品には冷淡だったらしく、プロコフィエフは生前に第5番などを指揮してくれるように頼んだが、首を縦にふらなかったというエピソードもある。それが一転指揮しているのは心境の変化でもあったのか。実際にムラヴィンスキーの指揮なら貴重である。第6番は自ら初演したので結構ライヴ盤なんかが出回っているが、今のところこれしか目にしていない。聴いていると他の指揮者とは異なった音がするのは気のせいか。
ショスタコーヴィチは年下ということもあって、親交しやすかったろうが、プロコフィエフとは少し距離をおいているような気がする。プロコフィエフは気難しい人だったということで、革命直後に来日したが、その我儘ぶりは周囲を困惑させたという。しかし、晩年は当局から監視されていてあまり恵まれた環境にはなかったように思える。とまれあの暴君スターリンと同じ日に亡くなっているのは彼にとって最大の不幸かもしれない。プロコフィエフの方が3時間ほど早く亡くなったとのことだが。