今年の午前十時の映画祭は割と日本映画が組み込まれている。本作に「七人の侍」「浮雲」「砂の器」と多い。
名画座で何回観ていてDVDでも観ている「見慣れた」作品だが、開始前にソニーデジタル提供の表示が出て、これはデジタル方式の上映と改めて思い知る。フィルム上映のように飛んだり切れたりの心配はないし、画質もいい。
本作について以前記事にしているので、その内容は重複は避けるが、時折しも東京都が新しい小池知事が就任してかつての施策のあり方が注目されている。都庁内部の無責任体質が明らかになっているが、この作品も役所内部のいい加減さに通じるものがあるなと感心しきりである。
台詞の中で「公園を渡辺君(志村喬)が作ったという奴がいるが、役所の機構を知っているものなら、ありえない」という助役(中村伸郎)や「何かをやるというの過激なこと」というのは役所の体質を突いたものだろう。そして盛んに「無意味な忙しさ」という言葉も出ているが、無駄が多く、主体を曖昧にさせるというのは60数年経過しても変らないというのは、気持ちが暗くなってしまう。