正面切ってこういうことを表明した外国の高官の話。
もちろん、このようなことは日本が容認できるものではないが、少し冷静に考えてみると、表明したシーマン氏と同様の考えを持っている者は海外にたくさんいるような気もする。何が「独善的でうんざり」なのだろうか。その後、「侵略した報い」とあるのは、「被害者面ばかりすんじゃない」という反感を持っているように思う。
戦争はかつて戦場での軍隊同士の戦いだったが、第一次大戦からは国同士のあらゆる分野の総合戦に変っていった。経済力や銃後の市民の姿勢など全てだ。したがって、女子供も軍需工場に動員されて兵器製造に携われば、敵はそれをも叩く。その家族もそれを支えているということになる。ドイツを爆撃する際に空襲するパイロットがそのようなことを語っていたのをニュース映画でも観たことがある。
広島や長崎の市民に対する原爆投下は玉音放送で言う「新たなる残虐なる兵器」による攻撃だ。ここはまず間違いがない。しかし、日本も中国の諸都市に無差別爆撃は行っている。ドイツもロンドン空襲があるし、イギリスやアメリカはベルリン、ドレスデン、ハンブルクそれに東京、大阪などを空襲して、非戦闘員を殺傷している。
侵略の報いというのは、部分的にあるにしても、それが全ての理由ではない。投下した方のアメリカは冷徹な戦略の下に実行しているのに違いない。また、この原爆は他の爆弾と異なって、戦争が終結しても延々とその影響が尾を引くという点だ。このイスラエルの高官も含めて中東あたりの人たちは爆弾のスケールの大きいものとしか認識がないのではなかろうか。