住んでいる地域で、旧海軍関連の追悼式で楽器を持って演奏する機会を得た。その中で「軍艦行進曲」とか「海ゆかば」なども演奏する予定だ。何十年と演奏をしてきたが、これらの曲は演奏することはなかった。多分、政治的なことが絡んで演奏を憚ってきたのだろうか。それでも中学時代に「君が代行進曲」は演奏しているから、その辺のことは不明だ。
数年前、高木東六を顕彰して、その作品を演奏、歌劇「春蘭」という作品のあることを知ったのだが、1942年の「空の神兵」は演奏しなかった。何故かと聞いたら、政治的クレームを回避したとのことだ。
こうした楽曲を人前で演奏するのは、軍国主義の復活になるのだろうか。そういうことに目くじら立てる人たちもいるにはいるが、純粋に音楽作品と接すると中にはたいへんよく出来ている作品もあるものだ。
「軍艦行進曲」はパチンコ屋の音楽ではない。日本の代表的な行進曲だ。トリオは雅楽版の「海ゆかば」の旋律が用いられ、構成のしっかりした曲だ。一般に「海ゆかば」と言えば後年に慶応義塾塾歌の作曲家信時潔が作った荘重な楽曲の方が有名だ。「海ゆかば」は二つあるのである。
もう一つは「陸軍分列行進曲」。これはフランス人ルルーが作曲したもの。トリオはルルーが作った「抜刀隊の歌」が用いられている。これも聴き応え充分な音楽だ。
しかし何故忌避されるのか。やはり戦争の記憶を呼び起こすからだろう。自虐史観が原因という人がいるが、そうではないと思う。
「陸軍分列行進曲」は学徒出陣の折に演奏されていた。そのニュース映像は戦争を知らない自分でも何度も目にしている。作曲家の團伊玖磨はかつてNHK教育で日本の音楽史を扱った番組で講師を務めていた時に、この音楽を取り上げて、自ら吹奏楽団を指揮していた、死臭のする音楽で演奏するのは気が引けると語っていた。彼は学徒出陣壮行会で合唱団の一員であの場にいたそうである。
もう一つ「海ゆかば」(信時版)は戦時中に玉砕放送がある時には、その前に流れていたと、母親から聞かされていた。あの音楽が流れると兵士として送り出した家族は覚悟したのであろう。
そうした悲しい記憶と結び付くとなかなか演奏は難しかったのかもしれない。しかし、そういう経験者も少なくなり、事情を知らない者の方が増えてきたのも事実。そんな音楽は忘れ去られたまま封印状態になるのか、復活するのか。
先の高木の「空の神兵」は軍歌にしては洗練されていて洒落た音楽に仕上がっている。軍幹部はそれが気に入らず文句を言い続けていたらしいが、高木も最後はピアノの蓋を激しく閉めて、「どうしろというのですか」と居直ったという。私としてはそういうところも顕彰して欲しかったと残念に思った方だ。