内田吐夢監督の遺作となったもの。御殿場のロケ先で倒れてそのまま亡くなったとのことで、映画はどこか尻きれトンボみたいな感じで終わってしまっている印象が強い。
この作品は東映の5部作よりも高い頻度で名画座で上映されていたような記憶がある。またその5部作ではスルーしてしまった宍戸梅軒とのエピソードを今回扱っている。シナリオはやはり時代劇監督として有名だった伊藤大輔によるもの。1943年に伊藤監督がこのエピソードを映画化しているが、その作品との関連はどうなのか、残念ながら戦時中の作品は観ていないので、確認できていない。
武蔵と梅軒との駆け引きが中心になっている。梅庵は関ヶ原で武蔵に殺された野武士の縁者で前から敵と認識していたというもの。武蔵は梅軒夫婦の幼子を人質にとって揺さぶりをかける。しかし、剣とは所詮暴力であると悟るようなのだが、それがタイトルとなっているのは唐突なのだ。多分、もっと詳細に描こうとしていたが、監督の死で中断されたのかもしれない。
当時の様子はキネマ旬報に出ていて、貧乏学生のような暮らしをしていたらしいとの記述があった。また病床で出演していた沖山秀子の名を呼んで「沖山、違う、違う」とうわ言を口走っていたという。まさしく執念で撮った作品かもしれない。そのキネマ旬報には関係者の座談会が載っていた。俳優の片岡千恵蔵、小杉勇それに日活多摩川時代からの同僚の田坂具隆監督だったように記憶している。また、主演の中村錦之助も、弱った体で演出する監督の姿を証言、東映ではなく、馴れない東宝の製作にも戸惑っていたという。