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二人の俳優の訃報

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 ここのところ、相次いで二人の俳優の訃報に接した。宝生あやこと庄司永建である。
 
 宝生さんは、和事がぴったりとくる人だった。映画では「あかね雲」「智恵子抄」「古都」といった出演作品を観ている。料亭の女将なんかによく扮していた。享年97歳、老衰により死去。
 
 庄司さんは「西部警察」の事なかれ主義の係長役が特に有名だろう。本職が劇団民藝のメンバーの新劇俳優だ。「夜明け前」「証人の椅子」「黒部の太陽」なんかの映画がまず浮かぶ。「証人の椅子」では冷酷な検事役だった。「黒部の太陽」では滝沢修扮する関西電力の太田垣社長の秘書役だった。享年92歳、膵臓がんにより死去。
 
 いずれも長生きされた。庄司さんの場合はつらい闘病生活があったのかもしれない。お二人のご冥福を祈りたい。
 
 

ラフマニノフの墓

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 ラフマニノフはビバリー・ヒルズの自宅で1943年に亡くなっている。亡命後、一度も故国の土を踏まないままの死去だった。望郷の念も強く、最後の作品の交響的舞曲はそうした思いが強く滲み出ていると自分は思っている。亡くなる直前に故国の土になりたいと希望したものの、時期が悪く戦時中だったので、その墓地はニューヨーク州ウェスチェスター、ワルハラという場所にある。今は夫人や娘も近くに埋葬されているという。
 
 ところが最近、ロシアの文化相がラフマニノフの遺骸をロシアに帰したいと表明したという。これには関係者も困惑しているようだ。作曲家の子孫たちはその計画を何とか阻みたいようでもある。亡くなって70年以上も経過して今さら死人を起こすこともなかろうにと個人的には思う。おまけに妻子が近くに葬られているなら、なおさら不要なことと思う。ロシアは面子を通すのか。原文記事のアンケートは90%以上が「No」だった。ついでに自分も「No」に一票投じた。

『火の鳥』全曲、うぐいすの歌 ブーレーズ&ニューヨーク・フィル

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【収録情報】
ストラヴィンスキー
1. バレエ音楽『火の鳥』(1910年全曲版)
2. 交響詩『うぐいすの歌』
ピエール・ブーレーズ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
録音時期:1975年1月20日(1) 1975年1月27日、10月6日(2)
録音場所:ニューヨーク、マンハッタン・センター
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)
 
 これは買い直しで得た盤。「火の鳥」とバルトークの「中国の不思議な役人」のカップリングがまず気に入らなかったのと、そのためにバルトークの「管弦楽のための協奏曲」が重複のため買いかねていたからだ。それを解決する組み合わせを確認したので、購入したもの。しかも、交響詩「うぐいすの歌」を新たに得るというオマケまでついていて、良かったと思っている。
 
 バレエの方は組曲1919年版が一番有名だが、これはオリジナル全曲版である。1919年版を聴き慣れた耳には楽器の変更が相当あることに気づく。また編成もオリジナルの方が大きい。有名な「カッチェイの踊り」ではトロンボーンのグリッサンドはない。これは組曲版の方に軍配があがるような気はする。この曲の録音はアンセルメの最後の録音なんかもあるが、ブーレーズの明晰な解釈ぶりはやはりありがたいと思う。なお、組曲の方も数種あって、ブーレーズも1911年版の録音もしている。スラヴィンスキーは改訂魔だったが、自作に自信の持てなかったブルックナーとは異なり、ひたすら印税を稼ぐ戦術としてのもので、「確信犯」であった。
 
 交響詩の方は同名のオペラの素材から取られたもの。ここ最近になって録音を多く見る気がする。メイカニックな感じがとても面白い作品である。中国皇帝に機械仕掛けのうぐいすを持参するのは、日本の使者というのが、何とも皮肉っぽい感じがする。

管弦楽のための協奏曲、『中国の不思議な役人』全曲 ブーレーズ&ニューヨーク・フィル

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【収録情報】
バルトーク:
1. 管弦楽のための協奏曲 Sz.116
2. バレエ音楽『中国の不思議な役人』 Sz.73(全曲)  スコラ・カントゥルム
ピエール・ブーレーズ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
録音時期:1972年12月18日(1)、1971年5月11日(2)
録音場所:ニューヨーク、マンハッタン・センター(1) エイヴリー・フィッシャー・ホール(2)
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)
 
 前項の記事でも触れた一貫で購入したもの。目当てはやはり管弦楽のための協奏曲である。LP時代、この曲の録音を初めて入手したのは、この録音だった。その後LPは売却してしまい、組み合わせの関係で長らく購入しなかった。ここへ来てようやくしかも廉価で手に入った。ジャケットの絵のように指揮者を取り囲んで奏者が演奏したことで有名な録音だ。当時流行の4方向の録音というものだったかもしれない。ライナーやショルティなどとは異なりやや洗練されすぎの感じはあるが、若い頃でこれで聴き込んだ耳からすれば、これだこれだということになる。
 
 「中国の不思議な役人」も全曲録音の魁ではなかろうか。それまでは組曲の方が多かった気がする。これはやや背徳的な内容ではある。かなり前これを吹奏楽に編曲して、中学生に演奏させる是非の論争を掲示板で目にしたことがある。演奏される音楽がどういうところで鳴るのか理解して演奏するのが基本だと思っている。やみくもに根性だけで難しいパッセージをこなしてOKというのは、もはや音楽の行為ではないと私は思う。映画でいう成人指定の内容だから、中学生にはやや難があると言わざるを得ない。

アムステルダムのブルーノ・ワルター

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Sym, 1, : Walter / Concertgebouw O +brahms: Schicksalslied (1947)
①ブラームス:運命の歌         1947.10.22    アルヅテルダム・トーンクンスト合唱団
②マーラー:交響曲第1番ニ長調     1947.10.16
ブルーノ・ワルター指揮 アムステルダム・カンセルトヘボウ管弦楽団

 またもや屋上に屋を架すようにワルターのマーラーの第1番を買ってしまった。今回は戦後2年経過したACOへの客演のライヴ録音。まだ、追放処分になったメンゲルベルクの影響が色濃く残っていた時代のACOとの共演というのが目を惹いた。解説によるとそのメンゲルベルクの解釈を尊重しつつの指揮だったようである。もちろんワルターの解釈を通したところもあるが、さすがに両者ともマーラーの薫陶を受けていた関係か、違和感なく音楽は進行する。ナチスがオランダを占領して、マーラーは一切禁止されたと思ったら、2回ほど押し切ってメンゲルベルクは演奏しているいうから、やはり戦後の処分は殆ど冤罪みたいな感じだったという印象が強い。ナチスは放送や録音は一切許さなかったという。メンゲルベルクのマーラーは第4番と第5番のアダージョ以外は残っていないのは残念。

 録音は割と聴きやすく、同じ年のロンドンのライヴよりも状態がいいようである。ただし、マーラーのフィナーレはやや音がひっこんだようで残念だし、ホルンあたりが音を外したりとと演奏面のキズもある。それでもある種の満足感がある。フィナーレの最後のアッチェルランドはあまりしないのがワルターの流儀だろうか。最晩年のステレオ録音と酷似していた。テンシュテットあたりの煽りはむしろ自分には違和感を覚える。


 

バーンスタイン/NYPの幻想交響曲(1963)

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Symphonie Fantastique: Bernstein / Nyp
ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14a
レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
1963.5.27 マンハッタン・センター、ニューヨーク
(付録)ベルリオーズ、サケデリックな旅  1968.3.5 エヴェリー・フィッシャー・ホール、ニューヨーク

 バーンスタインの幻想はEMIに入れたフランス国立とのものが、今は有名みたいだが、CBSへはこの1963年とその5年後1968年の二度録音している。同一の曲を二回も入れることは余程のことではなかったかと思われる。とするとこちらの63年の録音に納得しがたいものがあったやもしれない。

 手許にあるのは上の写真の米国盤。国内盤はないようで、68年版の方が近々再発売されるようだ。時間の関係で最後の二つの楽章とバーンスタイン自身が解説する音声を久しぶりに聴いてみた。金管の咆哮が予想以上に荒々しい。カラヤンあたりの洗練に洗練を重ねたものとは正反対のような印象だ。音色もアメリカのブラスという感じだ。それが68年にはどうなっているかは、未聴なので何とも言えないが、若々しい演奏ではあるなと思った。

マズア:展覧会の絵&古典交響曲

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ムソルグスキー:展覧会の絵(ゴルチャコフ版)、プロコフィエフ:古典交響曲 マズア&ロンドン・フィル

【収録情報】
①ムソルグスキー:組曲『展覧会の絵』(管弦楽編曲:セルゲイ・ゴルチャコフ)
②プロコフィエフ:交響曲第1番ニ長調 op.25『古典的』

クルト・マズア指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音時期:1986年  録音方式:ステレオ(デジタル)

 ワーナー・クラシックスの廉価レーベル「Apex」が出したマズアのアルバム。廉価ゆえに英文の解説なども一切ないという素っ気ないものである。今回目を惹いたのは①の存在である。

 リーフレットにはセルゲイ・ペトロヴィチ・ゴルチャコフと編曲者のフルネームが記されている。大きな編成のオーケストラへの編曲で、ラヴェルがカットしたプロムナードもそのままアレンジされて、入っている。今まで聴いた中ではアシュケナージ版やカイエ版に近い感じだった。最初はラヴェルのようにトランペットのファンファーレ風な冒頭だが、すぐに弦楽器によるコラールになるのはストコフスキーと同じ感覚かもしれない。「古い城」はアルト・サクソフォーンではなく、ミュート付トランペットやソプラノ・サックス。「ブイドロ」はホルン・パートが活躍と聴きなれた耳にはやはり新鮮に聴こえる。原曲に出来るだけ近づけようとうする感じはする。ゴルチャコフという人は1905年に生まれて1976年に没したモスクワ音楽院の作曲科教授というポストにあった人。ショスタコーヴィチとは同世代。この編曲は1954年に行われたもの。アシュケナージ版はこれを参考にしたのかもしれない。多くの打楽器やテューバも2本要求されているという。

 このアレンジがレパートリーに残るのかは、わからない。やはりラヴェル版には敵わない感じはする。ラヴェルの偉大さを逆に感じてしまうのである。

ラフマニノフ自作自演:ピアノ協奏曲第2番&第3番

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ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番・第3番
ラフマニノフ
①ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18
②ピアノ協奏曲第3番二短調作品30
セルゲイ・ラフマニノフ(Pf)①レオポルド・ストコフスキー指揮②ユージン・オーマンディ指揮
フィラデルフィア管弦楽団

 ラフマニノフが自作の協奏曲を録音したアルバム。4つの協奏曲とパガニーニの主題の狂詩曲は全て、彼が愛したフィラデルフィア管弦楽団と入れているし、交響曲第3番とヴォカリーズも同オケを指揮して録音を果たしている。①が1929年②が1939~40年の録音で当然シェラック盤が素になっている。

 ここではCD化に当たって、聴きやすいように調整されているため、年代の割には聴きやすい状態なのがありがたい。そして生前はピアニストの超絶技巧の名手として知られた片鱗が聴ける。彼のピアノに関するものは全て自分が演奏するのが前提であるから、第三者にとっては難解な曲この上ない。2m近い大男で手も大きく軽く10度に両端の指が届いたという。また自己防衛本能からか、かなり強面で通したようで、交響曲第3番の初演リハに立ち合った近衛秀麿はその傍若無人な態度に驚いたという。

 しかし、内面はとても繊細な人だったのではないか。彼の作ったメロディは優しく時として物悲しいものがある。出自が特権階級だったので、ボルシェビキ政権下では暮らしにくいと亡命して、二度と故国の土を踏めなかった。望郷の念は人一倍あったと思う。また、若い頃は自作の交響曲第1番の不評で神経衰弱になったのも制裁さゆえだったかと思う。

 そんな彼の遺骸をロシアに戻したいというロシアの高官がいるが、今更ながらの話だと思う。


吾輩は猫である(芸苑社1975年)

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 1975年5月31日に公開された市川崑監督作品。1936年にPCLで製作されているから、これは二度目の映画化になる。戦前の作品はこの時点では観ていないので比較はできないが、リメイクとは少し違うような感じはしている。喜劇ではないが、編集の魔力によってコミカルな感じに仕上がっている。台詞の受け渡しもテンポがあって、小気味よく感じる。金田一シリーズに突入する直前の市川作品。

札幌オリンピック(篠田正浩)(日本ニュース映画製作者連盟1972年)

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 1972年に開催された札幌オリンピックの記録映画。当時は高校受験直前であまり競技は熱心には観戦しなかったが、それでもジャンプで1~3位を日本勢が占めたのは興奮したのを思い出す。ここでも東京オリンピック同様に競技の単なる記録に終始せず、人間として姿を描こうという意図は見てとれる。あまりの寒さに昭和天皇が開会宣言する時に、口が動かないようなところもしっかり記録されている。ただ、市川作品である「東京オリンピック」よりもやや平板に思えるのは、種目にあまり近しいものを感じないということがあるのかもしれない。

 再見してちょっとした発見は音楽を佐藤勝が担当している点だった。当時は黒澤組を外れて、山本薩夫監督や山田洋次監督の作品を主に担当していた。「戦争と人間」のシーン音楽の転用があるし、この映画の音楽から「皇帝のいない八月」のタイトルバック音楽になった素材があったりして、こういうことはよくあることなのだと改めて確認できた。

トゥールーズ・キャピトール劇場:ワーグナー:『リエンツィ』

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トゥールーズ・キャピトール劇場2012
ワーグナー:『リエンツィ』
ケルル、M.シェーンベルク、P.スタインバーグ指揮


ワーグナー最初の成功作『リエンツィ』、生誕200年記念イヤーにお届けする貴重な最新映像

大悲劇オペラ『リエンツィ、最後の護民』は、実在した14世紀の政治家リエンツィが貴族への不満をつのらせる民衆の支持を得て護民官の地位につき、その後陰謀に巻き込まれて悲劇的な最後を迎えるまでを描きます。1842年にドレスデンで初演され、ワーグナーの出世作となると共に、ある時期までワーグナーの最も成功した作品のひとつとなりましたが、その長大な演奏時間のせいか、今日ではほとんど上演される機会がなくなってしまいました。
 2012年、トゥールーズのキャピトール劇場での上演は、2013年ワーグナー記念イヤーを前にした貴重な上演で、実力者をそろえた充実の内容となっています。タイトル・ロールのトルステン・ケルルは、この役で国際的な名声を獲得しただけあってここでもその存在感は抜群。トゥールーズ・キャピトール管弦楽団を指揮するピンカス・スタインバ-グが極めて上質な音楽を作り上げています。(COLUMBIA)

【収録情報】
・ワーグナー:『リエンツィ』全曲

 リエンツィ:トルステン・ケルル
 イレーネ:マリカ・シェーンベルク
 アドリアーノ:ダニエラ・ジンドラム
 コロンナ:リヒャルト・ヴィーゴルト
 オルシーニ:シュテファン・ハイデマン
 枢機卿オルヴィエート:ロベルト・ボルク
 バロンェッリ:マルク・ヘラー
 チェッコ・デル・ヴェッキオ:レオナルド・ネイヴァ
 平和の使者:ジェニファー・オローリン
 ピンカス・スタインバーグ指揮 トゥールーズ・カピトール国立管弦楽団・合唱団
 ミラノ・スカラ座アッカデミア合唱団
 演出:ジョルジュ・ラヴェッリ
 装置:リカルド・サンチェス・クエルダ
 衣装:フランチェスコ・ジート

 収録時期:2012年10月
 収録場所:フランス、トゥールーズ、キャピトール劇場(ライヴ)

 ワーグナー作品でも滅多に上演されない「リエンツィ」の二つ目の映像を入手した。最初はベルリン・ドイツ・オペラのもので演出が、主人公をヒトラーに擬したもので違和感があったが、こちらは極端な現代化はない。その代わり登場人物の殆どは顔を白塗りにして、わざと表情を削ぐような仕掛けがある。タイトルロールはベルリンのと同じくトルステン・ケルル。どうもこの役を梃子に世界に打って出た人のようである。手慣れた感じがあるのはとても安定感が良かった。

 今回はミシェル・プラッソンが本拠として数々のフランス音楽を録音してくれたそのオケがどんなワーグナーを奏するかが興味の一つだった。むろん、プラッソン時代とメンバーは異なっているのかもしれないのだが、これが何とも重厚なコラールを響かせてくれる。指揮者のピンカス・スタインバーグはNHK交響楽団にも客演したこともある馴染みの指揮者。往年のウィリアム・スタインバーグの子息だ。 

『ホヴァンシチナ』全曲 A.キルヒナー演出、アバド&ウィーン国立歌劇場

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『ホヴァンシチナ』全曲 A.キルヒナー演出、アバド&ウィーン国立歌劇場、ギャウロフ、アトラントフ、他(1989 ステレオ)

 17世紀後半のロシア史に基づいた重厚な歌劇『ホヴァンシチナ』は、作品の完成を待たずにムソルグスキーが世を去ってしまったため、リムスキー=コルサコフやショスタコーヴィチ、ストラヴィンスキーらが補筆したスコアで演奏されるのが一般的です。
 ムソルグスキーをこよなく愛したアバドは、この作品の映像化にあたっては、ショスタコーヴィチとストラヴィンスキーの編曲版を用い、納得の行く物語を見せてくれます。何と言っても主人公を歌うギャウロフが素晴らしく、またキルヒナーの演出は、複雑な粗筋を実に明解に見せてくれます。(ARTHAUS MUSIK)

【収録情報】
● ムソルグスキー:歌劇『ホヴァンシチナ』全曲


 イヴァン・ホヴァンスキー公/ニコライ・ギャウロフ(バス)
 アンドレイ・ホヴァンスキー公/ヴラジーミル・アトラントフ(テノール)
 ゴリーツィン/ユーリ・マルシン(テノール)
 フョードル・シャクロヴィートゥイ/アナトリー・コチェルガ(バリトン)
 ドシフェイ/パータ・ブルチュラーゼ(バス)
 マルファ/リュドミラ・セムチュク(メゾ・ソプラノ)、他
 スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団
 ウィーン少年合唱団
 ウィ-ン国立歌劇場管弦楽団&合唱団
 クラウディオ・アバド(指揮)

 演出:アルフレート・キルヒナー

 収録時期:1989年
 収録場所:ウィーン国立歌劇場(ライヴ)


 これはかつてLDで発売されたこともあるソフトだったかと記憶している。四半世紀も前の映像なので、画質の劣化はあるものの、鑑賞には全く問題がない。むしろムルグスキー・フリークとして有名だったクラウディオ・アバドの指揮ぶりに接することができる貴重なものである。演奏も名演と呼べるものではなかろうか。同じショストコーヴィチとストラヴィンスキーの版の折衷ものはケント・ナガノがバイエルン国立歌劇場のアンサンブルを振ったものも手許にはあるが、演奏はこちらの方に分があるような感じはする。VPOの母体のウィーン国立歌劇場のオケから迫力ある音を引き出すところはやはりアバドは第一級の指揮者であり、ムソルグスキーへの敬愛も感じられる。

巡礼で事故

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 イスラム教徒が年に一度の巡礼の時期らしい。ハッジというのだそうだが、そこで将棋倒しになって少なくとも220人が亡くなったという。巡礼に行くのは何らかの御利益があるからか、何かの願いがあるのだろうが、こんな事故に遭遇して命を落としては何もならない。本当に冗談ではない話である。

ファースト・パフォーマンス~リンカーン・センター・オープニング・ガラ・コンサート1962

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<CD1>
[1]アメリカ合衆国国歌*
[2]ジョン・D・ロックフェラー3世によるスピーチ*
ベートーヴェン
[3]ミサ・ソレムニス~グローリア*
コープランド
[4]コノテーションズ(内包)[世界初演]
<CD2>
ヴォーン=ウィリアムズ
[5]音楽へのセレナード
マーラー
[6]交響曲第8番 変ホ長調 「千人の交響曲」~第1部「来たれ、創造主なる聖霊よ」
[7]交響曲第5番 嬰ハ短調~第4楽章「アダージェット」

*世界初CD化

【演奏】
レナード・バーンスタイン(指揮)
ニューヨーク・フィルハーモニック[1][3]-[6]
ニューヨーク・フィルハーモニックのメンバー[7]

アイリーン・ファーレル(ソプラノ)[3][5]
アデーレ・アディソン(ソプラノ)[5][6]
ルシーヌ・アマーラ(ソプラノ)[5][6]
シャーリー・ヴァーレット(メッゾ・ソプラノ)[3][5]
リリー・チューカシアン(メッゾ・ソプラノ)[5][6]
ジェニー・トゥーレル(メッゾ・ソプラノ)[5][6]
ジョン・ヴィッカース(テノール)[3][5]
チャールズ・ブレッスラー(テノール)[5]
リチャード・タッカー(テノール)[5][6]
ドナルド・ベル(バス・バリトン)[3][5]
エツィオ・フラジェルロ(バス・バリトン)[5][6]
ジョージ・ロンドン(バス・バリトン)[5][6]

ニューヨーク・スコラ・カントルム[合唱指揮:ヒュー・ロス][1][3][6]
ジュリアード・コーラス[合唱指揮:エイブラハム・キャプラン][1][3][6]
コロンバス少年合唱団[合唱指揮:ドナルド・ブライアント][6]

【録音】
[1]-[6]1962年9月23日、ニューヨーク、リンカーン・センター、フィルハーモニック・ホール[現エイヴェリー・フィッシャー・ホール]でのライヴ・レコーディング
[7]1968年6月8日、ニューヨーク、聖パトリック教会でのロバート・ケネディ追悼ミサでのライヴ・レコーディング
ADD/STEREO

 久しぶりにリンカーン・センターのこけら落としのガラコンサートの実況録音を取り出してみる。いろいろな作曲家や作品が並んで、言ってみれば音のカタログみたいなのが、ガラコーンサートの印象だ。ベートーヴェンあり、英米の作曲家作品あり、マーラーもあったりする。

 ここで一番の目玉はマーラーの第8番の第一部だろう。カタログを見てもNYPのこの曲の録音は1950年のストコフスキーとの共演したライヴくらいしかない。アメリカのマーラー・オーケストラを任ぜられている楽団にしては意外な成り行きだ。バーンスタインもCBSのセッションはLSOだし、DGの方はVPOのものしかない。そういう意味では貴重な記録ではある。

リスト:管弦楽作品集~シューベルト作品の管弦楽編曲

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ロト&レ・シエクル、クルレンツィス&ムジカエテルナ、あるいはインマゼール、ヘレヴェッヘら巨匠勢・・・時代考証型の演奏で後期ロマン派以降の音楽に迫ろうとするオーケストラや指揮者が増えつつある近年ですが、使用楽器への徹底したこだわりだけでなく、オーケストラの規模や演奏会場の音響環境にまで意識を向けて活動しているハーゼルベック&ウィーン・アカデミー管の快進撃は、19世紀半ばにオーケストラ音楽の概念を静かに塗り替えていったひとりであるリスト作品の演奏解釈において、地に足の着いたポテンシャルの高い演奏を通じ、圧倒的な成果をあげました。完全解説訳付で相次いで日本発売されたNCAレーベルの名盤群に続き、なんと彼らは(第1弾録音がレコ芸準特選に輝いたベートーヴェン交響曲集に続き)Alphaでこのプロジェクトを継続! シューベルト作品の編曲、とくに『さすらい人幻想曲』の協奏的編曲を中軸に据えたこの新録音で、交響詩以外のリストの音世界へと迫ります。
 演奏会場は、リストが音楽監督として指揮をしていたヴァイマール宮廷楽団と同じ員数、その演奏会場だった宮廷劇場と同じ音響環境にあわせたというライディング(リストの生地)のリスト・センター音楽堂での収録。解説訳付、お見逃しなく!(Mercury)

【収録情報】
シューベルト/リスト編:
1. 騎士の行進曲(2つの個性的な行進曲 D.888より)
2. 葬送行進曲(6つの大行進曲 D.819, /op.40より)
3. ハンガリー風行進曲(ハンガリー風ディヴェルティスマン D.818, op.54より)
4. 『さすらい人』幻想曲 D.760, op.15~ピアノと管弦楽のための  

  ゴットリープ・ヴァリシュ(フォルテピアノ/J.B.シュトライヒャー1851年製:4)
リスト:
5. 2つの葬送頌歌 S.112(死者たち/夜)
6. 風にはためく王の旗~十字架讃歌 S.185    世界初録音

マルティン・ハーゼルベック指揮 ウィーン・アカデミック管弦楽団
録音場所:オーストリア、ライディング、リスト・センター音楽堂
録音方式:ステレオ(デジタル)

 またもや変わったアルバムを見つけた。我ながらこうした嗅覚だけはあるようである。リストがいろいろと編曲を手掛けているのは知っていたが、これだけまとまっているのは珍しい。しかも存命当時の楽器と奏法によるものらしい。ビブラートもないし、音もやや軽く聴こえる。あまりこうした考証には興味はないのだが、リストがシューベルトの作品をどう味付けしているかは大いに気になる。「さすらい人」幻想曲だけは時折録音も見かけるが、他は全て初めての体験だ。有名な「魔王」の伴奏のオーケストレーションもリストはやっているが、こうしてピアノ曲のオーケストレーションもかなりやっていることがわかった。自作も最後の作品は最近まで陽の目を見なかったものという。

 ありがたいことに翻訳ながら日本語解説がついている。ただ奏者一覧は何故か漏れている人もいて、不正確なようだ。となると翻訳も正確なのかやや不安になる。今は解説を小さな文字で読むのは日本語でも億劫になりつつある。


ペッテション:交響曲第9番

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交響曲第9番 アラン・フランシス/ベルリン・ドイツ交響楽団
ペッテション:交響曲第9番
アラン・フランシス指揮 ベルリン・ドイツ交響楽団
録音:1993年8月9-13日

 通販のカタログを見て、やや妖しげな感じの曲があるなとみつけたアルバム。ペッテション(1911-80)は名前は耳にしたことはあっても、その作品は聴いたもとがなかった。ちゃんとこうして録音があることを知った。調べると17の交響曲があるも、第1番と第17番は途中放棄してしまって断片しかないという。それでも第1番は、現代のトロンボーンの名手であり、指揮にも手を染めているクリスチャン・リンドベルイによって補筆完成されているようである。こういう作曲家の作品を録音するのは、母国のBISか、ドイツのCPOくらいしかない。事実この2社が録音している。

 この第9番はCPO盤である。アラン・フランシスは、ミヨーの交響曲全集をCPOで完成させた指揮者で、こういうマイナーな作品をよく取り上げて録音してくれるありがたい存在なのである。今のところ、手許にはこの第9番と第6番しかないが、何か聴くと救いを感じられない音楽である。オーケストラがきしんで泣いているような作品。しかも楽章が分かれて切れ目があると思いきや、全て単一で延々と音楽が続く。この第9番もこの録音では69分52秒と記されているから、70分近く続く作品なのである。聴いていて沈み込んで行く気分になるから、体調によっては拷問状態になるのかもしれない。聴くのに骨は折れる。幸いCPO盤は区切りが付けてあるが、その表示が練習番号No.~の~小節前(or後)とか書いてある。こんな表示は初めてである。

 ペッテションの生涯も決して明るいものではなく、病気ばかりをして最後は癌で他界してしまう。マーラーの没した年に生まれているのは偶然だが、ネクラという言葉では軽い感じがする。年代的にはホヴァネスやニーノ・ロータといった作曲家がいる。時代環境ではなく、あくまでこの人のパーソナリティなのだろう。

ペッテション:交響曲 第6番

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ペッテション:交響曲 第6番
ペッテション:交響曲 第6番
マンフレート・トロヤーン指揮
ベルリン・ドイツ交響楽団
 
 これもたまたま第9番と同時に目についたので、同時に手に入れたものだ。演奏がベルリン・ドイツ交響楽団ということで、オケを信用して聴いてみることにしたわけである。
 
 第9番よりやや短く60分程度の作品。このCDはトラック割はない。これも凄く重い響きの音楽で気安く聴けるものではない。案の定、CPOは全集を組んでいるが、そこまではとても付き合えないないなというのが、今は正直なところ。全集の他単独販売もあるようだが、既に廃盤のものもあるようで、入手は困難なようだ。演奏団体もザールブルッケン放送交響楽団、ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン放送交響楽団(旧・東独)などが演奏しているようだ。コメントを見ると、マニアックなファンもこの作曲家についているようだが、聴き終わって晴れやかな気分にはなれない稀有な作品群のようではある。

『カヴァレリア・ルスティカーナ』全曲 セラフィン&スカラ座、カラス、ディ・ステーファノ

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【収録情報】
● マスカーニ:歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』全曲

 サントゥッツァ:マリア・カラス(ソプラノ)
 トゥリッドゥ:ジュゼッペ・ディ・ステーファノ(テノール)
 アルフィオ:ローランド・パネライ(バリトン)
 ルチア:エベ・ティコッツィ(アルト)
 ローラ:アンナ・マリア・カナリ(ソプラノ)、他
 ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団
 トゥリオ・セラフィン(指揮)

 録音時期:1953年6月16-25日、8月3-4日
 録音方式:モノラル(セッション) 2014リマスター
 

 最近はカラスの録音に興味を持って入手している。国内盤はSACDで少々高めなので、これと発注済の「道化師」は輸入盤にした。解説も素っ気なく、歌詞掲載もない。デジパックというのか薄っぺらのジャケットにCDの入った紙袋にトラックの明細が書かれているという何とも切り詰めたものだった。しかし、最近は必死になって対訳歌詞を見なくなったし、だいたい知っている内容なので、これでOKである。収納スペースを取らないことがまずありがたいくらいである。

 
 さて、録音だが、60年以上も前のモノラルなので、音質は期待しjなかった。やや音が割れ気味なのが気にはなった。もともとサンドゥッツァはメゾ・ソプラノの役だが、それをカラスがやるとどうなるか。まあカルメンもやっているので、それほど違和感はなかった。ただ英文の解説ではあるキーがあたらず、苦労して何度かやり直しているという。セラフィンは典型的なイタリアの歌劇場の指揮者で、歌手をよく指導していたようだが、そこら辺も十分に成果の出た録音と言えるのかもしれない。写真をみるとやや太目のカラスの写真があった。この直後、今度は「トスカ」だが、指揮者はセラフィンではなく、ヴィクトル・デ・サバタだった。彼はカラスを徹底的にしごき、ダメだしをして録音したらしい。太り過ぎも指摘したとは記憶しているが、それは定かでない。レコードのジャケットに掲載されているスレンダーな感じのカラスはこの「トスカ」以降ということらしい。トゥリドゥとの口げんかのシーンはやや迫力がない。シオミナートの方が遥かに感情があって、迫力がある。パネライのアルフィオはややスタイルが古いのか、声が微妙に震えていて、ドスが利かない感じ。好みの歌唱ではない。それよりもスカラ座のオーケストラの雄弁なこと。それだけでも聴いて良かったと思う録音ではある。

スーク:アスラエル交響曲(キリル・ペトレンコ)

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スーク:アスラエル交響曲 作品27
キリル・ペトレンコ指揮 ベルリン・コーミッシェ・オーパー管弦楽団
2002.10.31 コーミッシェ・オーパー、ベルリン(L)

 ベルリン・フィルがラトルの後任として招聘する人ということで、どんな録音があるのだろうと探した結果、先日記事にしたRCAのスクリャービンとともにCPOのスークのアルバムがあった。全部で3つのアルバムをまとめたBOXが単品よりも廉価だったので、それを入手した。上の写真はそのBOXの外包のもの。

 さて、ヨゼフ・スークというと彼の孫で同名のヴァイオリニストの方を思い浮かべるが、本人はドヴォルザーク門下の立派な作曲家である。師匠の娘を妻にもらっているから、師匠からの覚えもめでたかったのだろう。かつて、オリンピックには作曲のコンペがあって、作品がメダルをまらったりしている。大編成の管弦楽用の作品で好みの分野。アスラエルというのは死を司る天使なのだそうだ。死神といったほうがよいのかもしれないが、ニュアンスが異なって聴こえてしまう。最初は師匠の死を悼むつもりで作曲をしていたら、自分の妻も父親と連れだって、他界してしまい、その思いも曲に乗せたものという。激しい部分もあるが、5つの楽章の殆どが消え入るように終わるのは死との関連があるのかもしれない。

 ペトレンコはシベリア生まれだが、活動の殆どはドイツのようである。コーミッシェ・オーパーやフランクフルト放送soのシェフをしていることから、ドイツでは評価が高いのだと思う。一方、オーケストラの方は初めてその演奏に接する。古い団体かと思ったら、1947年の設立。旧東独の団体で今は国立歌劇、ベルリン・ドイツなどともにベルリンのオペラの一翼を担っているようだ。海外の作品も全てドイツ語訳で上演するというポリシーだという。

ペッテション:交響曲第3番&第15番(セーゲルスタム)

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アラン・ペッテション:交響曲 第3番、第15番
ペッテション
①交響曲第3番
②交響曲第15番
レイフ・セーゲルスタム指揮 ノールショッピング交響楽団

 ペッテションもCPOから店を変えてBISのシリーズの一つを聴いてみることとした。セーゲルスタムはユーザーの間では高評価を受けているので、気にはなっていた。どちらも実質単一楽章をとる30分超の作品である。やはり不協和音で音量の大きい作品だが、第3番の方はややおとなしい感じはする。第15番は晩年の作品でバランスは逆にとれた作品となっている。大編成の管弦楽を要するのは同じだ。人生の不幸を一人背負ったような苦渋を表したような音楽は相変わらずで、余程ガッツがないと聴き通せないのは同じ。
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