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米国産の座頭市シリーズBOX

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  座頭市シリーズは今アメリカ盤のBDで収録された逆輸入もので出ている。BDは日米共通なので、日本でも鑑賞可能である。本来は英語字幕付だが、プレーヤーの操作で消すことができる。第1作から70年代東宝で製作した第25作までが入っている。しかも、かなりの安価(20,000円前後)なので購入してみた。基本的に冒頭の米国での配給会社の表示以外は殆どが公開当時のままなのがうれしい。字幕を消して不都合なのが、第22作「破れ!唐人剣」。中国語のやり取りまで字幕が消えてしまうからだ。
 
 かけてみると、国内盤のDVDに比べて発色はいいし、観やすい。権利の関係で大映と東宝の2社に著作権が渡っているが、全て9枚に収められているのがいい。第25作以外は全て3作ずつ収録されている。第25作は全作の予告編とともに収録、予告編は英語字幕が消せない。BDの他、普通のDVDもあるがリージョンが異なるので、日本では観られない。やはり通販の普及の恩恵によるものだと思う。
 
 

クナのブルックナー:第8番(ウェストミンスター盤)

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1. ブルックナー:交響曲 第8番 ハ短調(改訂版)
2. ベートーヴェン:歌劇《フィデリオ》序曲 作品72c
3.ベートーヴェン::《レオノーレ》序曲 第3番 作品72b

【演奏】
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(1)
バイエルン国立管弦楽団(2,3)
ハンス・クナッパーツブッシュ(指揮)

【録音】
1963年1月(1)、1961年12月(2,3) ミュンヘン、バヴァリア・スタジオ
 
 録音嫌いのクナッパツーブッシュがウェストミンスターというレーベルに遺した録音。ブルックナーの第8番の録音でも代表的なものになったのは周知の通り。この度、「タワーレコード独自企画」によって再発売された。しかも、カップリングが変更になっており、ワーグナーの序曲集は他盤に一括収録されて聴きやすくなった。フィルアップされているのは、同じくクナが同レーベルに入れた「フィデリオ」の全曲盤の中から二つの序曲が収録されている。
 
 以前に出ていた盤よりも細部が鮮明になっているような気がするが、逆にオーケストラの粗さも目立ったような感じではあった。しかし、あまり細かいことに拘るのではなく、本筋を掴もうとするクナッパーツブッシュの雄大な造形にはただただ感心するばかりである。映像でも観たことはあるが、彼のタクトはメトロームのように振るのではなく、ごく最小限の動きしかしない。後は顔で指示を出すようなところもあり、合わせはオーケストラに委ねるような印象だ。ただ、ここぞという時に大きく手を振ると、金管が大きく吠えたりする。
 
 シューリヒトは第3楽章が美しいのが聴きものだったが、このクナ盤はフィナーレの雄大さがほれぼれする。聴くと気が大きくなったような感じがする。

あの旗を撃て(阿部豊)(東宝1944年)

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 この作品の存在は文献ではかなり前から知っていた。だが、実際に目に出来ようとは思わなかった。というのも、こういう類の作品は責任追及を恐れて、元から廃棄処分されたものが多いと聞いていたからだ。現にこの作品のオリジナルネガは廃棄されていたが、ポジフィルムが残されていたので、今も観られるとのことであった。
 
 まず「キネマ倶楽部」というビデオ頒布会でVHSが発売され、その後、ディアゴスティーニ社企画の「東宝・新東宝の戦争映画」の中の一つに入れられて、DVDの形で観られるようになっている。画質や音質は決して良好ではないが、全く不明瞭というのでもない。
 
 肝心の中身だが、阿部豊監督自体がハリウッドで修業した人なので、英語部分の演出も堂々とした演出ぶりだ。出演者の中村哲や大川平八郎は英語も堪能なので、フィリピン側の俳優たちの通訳もしていたようだ。後者の大川はデイヴィッド・リーン監督の「戦場にかける橋」にも将校役で登場するくらいであった。
 
 ここではアメリカ軍はとんでもない人でなしに描かれ、日本軍は解放者として描かれる。だが、実際はどうだったか。バターン死の行進の顛末と同じ経緯の話であって、非人道的行為をしたということで司令官は戦後裁判にかけられて死刑になっている。国威発揚目的だからだろうが、製作当時は既に日本は追い込まれており、よくこんな企画が成立したなと不思議でならない。現地の反応は冷ややかで、ジョン・フォード監督の「わが谷は緑なりき」の模倣を指摘する評論まであったという。そういったことを念頭に観るとなかなか興味津々の内容の映画ではある。

最高殊勲夫人(大映東京1959年)

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 源氏鶏太の会社を舞台にした小説の映画化。商事会社の三兄弟が同じ家の三姉妹を嫁にするというコミカルな内容である。これを早口で台詞を機関銃のように俳優に言わせるから、一種独特の増村ワールドが展開される。イタリアあたりのコメディのような雰囲気である。
 
 父親が創業した商事会社を今は長男が社長をし、次男が営業部長。三男は他社で修業中。こういう状況から始まる。そして最初は次男の結婚式から話は始まる。長男、次男ともに社長秘書と恋愛結婚。長男の嫁は自分の末妹を三男と結婚させようと躍起になる.....。そういうちょっとおとぎ話のような内容ではある。長男は気が弱く恐妻家。したがって、嫁が会社の人事にも介入するから、たいへんである。今だったら、ガバナンスの利かない会社ということで、×である。60年近く前のこれから経済発展する時代でまだこうしたことは違和感なく、観られた頃の話で、そういう意味では遠い昔話ではあると思った。

シャルル・ミュンシュ・イン・モスクワ!

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ドビュッシー:『海』、オネゲル:交響曲第2番、ルーセル:『バッカスとアリアーヌ』第2組曲、他 ミュンシュ&ソ連国立響(1965年モスクワ・ライヴ)
収録情報】
● オネゲル:交響曲第2番
● ラモー:歌劇『ダルダニュス』組曲
● ドビュッシー:交響詩『海』
● ルーセル:バレエ音楽『バッカスとアリアーヌ』第2組曲
シャルル・ミュンシュ指揮 ソヴィエト国立交響楽団
1965年 モスクワ音楽院大ホールでのライヴ
 
 先日、ブーレーズの旧ソ連での公演ライヴが出たと思ったら、今度はミュンシュのものが登場した。取り上げた曲は全てミュンシュの自国ものばかりというのが特徴。このソヴィエト国立交響楽団というオーケストラはロシアものの爆演というイメージが強い。力で押しまくるというか、繊細なイメージから一番遠いイメージだ。しかし、ミュンシュは十八番のフランスもので、繊細さを引き出しているように聴こえる。当時はスヴェトラーノフの時代だったろうか。
 
 
  ロシアの指揮者とは違った面を見せてくれたのだが、トランペットを始めとする金管はやや力頼りみたいな部分はあった。「海」で盛り上がる箇所などはそうした感じがした。また、オネゲルの第2番で最後にトランペットのソロが出るが、少しビブラートのかかったロシア独特の吹奏なので、若干この曲にそぐわない感じもあった。総じてミュンシュはよくコントロールして音楽を作り上げているのは流石というしかない。こういった名指揮者の通常とjは異なるオーケストラとの共演はライヴ録音の面白さである。

ワーグナー:歌劇「さまよえるオランダ人」(チューリヒ歌劇場)

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『さまよえるオランダ人』全曲 ホモキ演出、アルティノグル&チューリッヒ歌劇場、ターフェル、カンペ、他(2013 ステレオ)
ブリン・ターフェル(B-Br:オランダ人)
アニア・カンペ(S:ゼンタ)
マッティ・サルミネン(B:ダーラント)
マルコ・イェンチュ(T:エリック)
 リリアーナ・ニキテアヌ(MS:マリー)
アラン・アルティノグル指揮 チューリヒ歌劇場管弦楽団・合唱団
演出:アンドレアス・ホモキ

収録時期:2013年1月  収録場所:チューリッヒ歌劇場(ライヴ)

 

 今回、チューリヒ歌劇場がワーグナーの歌劇をやるということで、手を出した。タイトルロールはイギリスのブリン・ターフェルというから今考えられるベストの一つではないかと思った。もっとも、日本語字幕はなく英語字幕での鑑賞だが、音だけ聴いている場合も多い。

 
 演出はやはり欧州での流行りのようで読み替えである。まるっきりの現代というのではなく、19世紀の衣裳である。ダーラントは船長のはずだが、何か商社の経営者のようであり、部下も船員ではなく商社員といった佇まいだ。しかし、舞台は極めてシンプルなので、あまり違和感を覚えないのはいい。なお、演奏される序曲は通常の聴きなれたものではなく、最後の方が違う版のようだ。かつてクレンペラーがEMIに入れた折に「ドレスデン・オリジナル版」という表記で発売されていたのを覚えているが、その版ではなかろうか。


ロジンスキー/チャイコフスキー録音集

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交響曲第5番、第6番『悲愴』、1812年、組曲第4番 ロジンスキー&クリーヴランド管、ニューヨーク・フィル(2CD)
【収録情報】
チャイコフスキー:
① 交響曲第5番ホ短調 op.64                   録音:1939年12月13日 セヴァランス・ホール
②管弦楽組曲第4番ト長調 op.61『モーツァルティアーナ』  録音:1945年2月27日  カーネギー・ホール
③交響曲第6番ロ短調 op.74『悲愴』               録音:1946年12月11日 カーネギー・ホール
④大序曲『1812年』                          録音:1941年4月14日  セヴァランス・ホール
アルトゥール・ロジンスキー指揮 ①④クリーヴランド管弦楽団②③ニューヨーク・フィルハーモニック
(コロンビアによるセッション録音)

 
 
 ロジンスキーは、個性の強い指揮者だった。エキセントリックという表現がぴったりのポーランド系の人だった。同じオーケストラに長く留まることはなく、むしろ経営陣や楽団員とは衝突することが多く、敵も多かったようだ。

 ここに集められたのは米コロムビアがSP盤製作するために録音したものである。針音ノイズも残った状態で収録されていて、少々明瞭さは欠くがこの指揮者の解釈は聴ける。やや、大見栄を切ったような感じでテンポの取り方も現代のそれとはかなり違う。また弦も常時ポルタメントがかかっているような弾き方で、それも時代を感じる。

 St.Laurent Studioというカナダのレーベルで今回初めて知るもの。変に小細工せずに収録されているのは好感が持てた。


CBS時代のオーマンディ~「新世界から」&「イタリア」

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【曲目】
ドヴォルザーク:
1. 交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」
メンデルスゾーン
2. 交響曲第4番イ長調作品90「イタリア」

【演奏】
1. ロンドン交響楽団 2. フィラデルフィア管弦楽団
指揮:ユージン・オーマンディ

【録音】
1966年11月7日、ロンドン、ワトフォード・タウン・ホール(1)
1963年10月2日、フィラデルフィア、タウン・ホール(2)

 
 タワーからCBS時代のユージン・オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団の録音が次々復刻されているが、これは唯一このマエストロがLSOを振った「新世界より」が入っているものである。
 
 LP時代末期に存在を知ったが、何故LSOを振って録音したのか、わからなかった。どうも当時はオケと指揮者との関係がよくなかったようだ。コンマスが辞任したり、長年務めていたトロンボーンの首席奏者が去ったりと、関係がキクシャクしていた頃らしい。オーマンディも単独でヨーロッパに出向いて客演しているらしく、最近その一端が、ライヴ録音としてリリースされたりしている。このドヴォルザークはいざこざの緊急避難的な活動の中で行われたものだ。オーケストラが異なれば、指揮者は同じでも違ったものに聴こえる。やや荒っぽい感じはするのは、オーマンディの目指すものを十分にオケ側が体得していないからだろうが、その違いもファンの楽しみではある。解説にもあったが、LSOは同じ時期にケルテスの指揮で同じ曲をデッカに録音している。そちらも手許にあるので、一度聴き比べするのも一興とは思うが、まだ果たせていない。
 
 メンデルスゾーンの方はオーソドックスながら、あまり面白みのない演奏のように聴こえた。一つはこの曲にあまり興味がないせいもあると思われる。トスカニーニほど強烈ではない。

ネレトバの戦い(1969年)

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 この映画は中学生の頃、街の映画館の上映看板がいたるところにあったので、名前だけは知っていた。当時はさほど映画に興味はなかったが、出演者の中にユル・ブリンナーの名前があって、ユーゴラスビアもやるんだなと妙に感心したものだった。当時は評判になった方で、週刊誌にもその批評なんかも掲載されていた。しかし、観るのはこの度初めて。それもスクリーンではなく、DVDでだ。あるブログの仲間の方に教えてもらって、さっそく購入してみた。2枚組で、HDリマスターされた版と画質の悪い国際版が収録されていた。冒頭をそれぞれかけてみると、後者はあまりにもひどい状態で、前者で鑑賞してみた。
 
 音声はドイツ語。タイトルはイタリア語という極めて妙な感じの版ではあった。ユーゴスラビア映画とは言われているが、IMDBで検索するとドイツやイタリアとの合作のようである。どうもドイツ語を喋らない俳優の吹き替えはあまりうまいものではないように感じたが、まあ日本語字幕ありということで気にせず進めてみる。
 
 するとどうも何か大味な映画のように思えて仕方がなかった。戦闘シーンの迫力はあったものの、そのシーンが多すぎて肝心の人間たちの描写がとても薄く感じてしまった。地元俳優の演じる役はどれも同じに見えてしまう。結局は当時のユーゴの大統領だったチトーを讃える内容なので、つまらなくしているのかなと思った。 国際版は全長版よりも40分短縮されているようである。日本での公開はこっちの方だったかもしれない。ブリンナーやウェルズがドイツ語を喋るのは何ともしっくりこない。
 
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大阪ど根性物語 どえらい奴(鈴木則文・東映京都1965年)

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大阪ど根性物語 どえらい奴

 藤田まことが主演した大阪を舞台にしたコメディ。東西の喜劇俳優が集合した作品で、ずいぶんと懐かしい顔ぶれもいる。そして、鈴木則文監督は本作を以てデビューを飾っている。中味は葬儀社の「公益社」の創業時の苦労を扱ったものである。駕籠ではなく自動車による霊柩車を考案して、葬儀の近代化の話。

 藤田まことに対して、その義父役の曾我廼家明蝶の演技を久しぶりに観た。新喜劇流の人情話を得意とするこの俳優は今観るとやや大げさな所作はあるものの、観る者をホロリとさせるところは懐かしいし、流石だと思った。妻役の藤純子もまだ純情そうに見えるし、長門裕之、大村崑それにクレージーキャッツの谷啓や犬塚弘も出て東西混合の配役は楽しい。商売敵の阿部九州男が時代劇とは違った味で熱演しているのも楽しい。

恐怖の土曜日(リチャード・フライシャー・1955年)

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 リチャード・フライシャー監督の初期に属する作品。ディズニー・プロで撮った有名な「海底二万哩」の直後にあたる作品である。4人の男が銀行強盗をたくらむが、その街に暮らす人たちの生活や交流が同時並行して描かれる。むしろそれらの人間模様に重点が置かれていると言っていい。
 
 事業継承のプレッシャーに悩む二世経営者と不倫をしている彼の妻、その部下で息子の教育に悩む管理職の男、標的の銀行支店長や彼が意識するセクシーな看護婦。それに郊外に住むアーミッシュの一家。それぞれバラバラの存在が銀行強盗の一件で結びつく。その構成力は大したものと感心した。強盗役の中でリー・マーヴィンの冷酷非情さが目立つ。容赦なく人を撃つ。気に入らねば少年であろうと暴力でのしてしまう凶暴さが目立つ。アーミッシュの主人はアーネスト・ボーグナインで数年後「北国の帝国」での対決を彷彿とさせるシーンがあったりして面白い。管理職役のヴィクター・マチュアはこうした現代劇は意外と珍しく感じる。史劇ものが多い印象の俳優だが、決然として男らしいところを見せてくれる。
 
 リチャード・フライシャー監督はあまり巨匠というイメージはないが、職人風の手堅い感じの作品の多い人でお気に入りの監督の一人である。

ラフマニノフの3つのオペラ

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歌劇『アレコ』、『フランチェスカ・ダ・リミニ』、『けちな騎士』 ヤルヴィ&エーテボリ響、ほか(3CD)
ラフマニノフ
①歌劇「アレコ」
 
 セルゲイ・レイフェルクス(Br:アレコ)
 イリヤ・レヴィンスキー(T:若いジプシー)
 アナトーリ・コチェルガ(B:老いたジプシー)
 マリア・グレギーナ(S:ゼムフィーラ)
 アンエ・ゾフィー・フォン・オッター(MS:老婆のジプシー)
②歌劇「けちな騎士」
 セルゲイ・アレクサシーキン(B:男爵)
 セルゲイ・ラーリン(T:アルベルト)
 ウラディミール・チェルノフ(Br:公爵)
 イアン・カレイ(T:金貸し)  
 アナトーリ・コチェルガ(B:召使)
③歌劇「フランchスカ・ダ・リミニ」     
 セルゲイ・アレクサシーキン(B:ヴァージルの影)
 イリヤ・レヴィンスキー(T:ダンテ)
 セルゲイ・レイフェルクス(Br:ランチェオット)
 マリア・ゲルギーナ(S:フランチェスカ)
 セルゲイ・ラーリン(T:パオロ)
ネーメ・ヤルヴィ指揮 エーテボリ交響楽団 エーテボリ・オペラ合唱団
 
 これはネーメ・ヤルヴィはDGに自動車会社のVolvoの支援を受けて録音した時代の産物である。ラフマニノフの珍しい3つのオペラが3枚のディスクに収まっている。どれも1時間弱のもので、滅多に演奏される機会はない。①は教官から台本を渡されて、卒業課題として作曲するように言われて、完成させたもの。運よく舞台にかけられて、チャイコフスキーの眼鏡にかなったものと言われている。
 
 総じて全て暗く、②などは救いようのない雰囲気は鑑賞者を困惑させるのに十分である。①はイタリアのヴェリズモの「道化師」に似ているし、③はチャコフスキーの管弦楽曲やザンドナイのオペラでも知られている内容の悲劇である。どれも晴れやかな気分にはならないのだが、落ち込んだ時は逆にスッキリするのかもしれない。しかし、興行主としては上演に躊躇するものがあるように思える。①は最後の独白の部分が有名で、シャリアピンが十八番にしていたという。その録音も残っている。しかし、後はあまり印象の薄いものである。管弦楽は19世紀後半の標準的な編成で書かれている。
 
 
 
 
 

スカラ座のモスクワ公演から~ヴェルディ:レクイエム

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レクィエム カラヤン&スカラ座、L.プライス、コッソット、ベルゴンツィ、ザッカリア(1964年モスクワ・ライヴ)
【収録情報】
ヴェルディ:レクィエム

レオンティーン・プライス(ソプラノ)
フィオレンツァ・コッソット(メゾ・ソプラノ)
カルロ・ベルゴンツィ(テノール)
ニコラ・ザッカリア(バス)
ミラノ・スカラ座合唱団
ロベルト・ベナーリオ(合唱指揮)
ミラノ・スカラ座管弦楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)

録音時期:1964年9月25日
録音場所:モスクワ、ボリショイ劇場

(発売元のコメント)
 ミラノ・スカラ座は、1964年9月、冷戦の最中、モスクワのボリショイ劇場で引越し公演を行いました。この演奏旅行に際してスカラ座は万全の体制で挑んでいます。歌手はミレッラ・フレーニ、レナータ・スコット、レオティーン・プライス、カルロ・ベルゴンツィといった面々、さらにカラヤンも同行し、西側の文化特使としての存在感をみせました。
カラヤンはこの引越し公演でプッチーニの『ボエーム』を4回と、ヴェルディのレクィエムを2回振っています。本アルバムは、9月23日、25日の2日間行われたヴェルディのレクィエムから25日の公演が収録されています。両日ともキャストはほぼ同じですが、バスを担当するのが23日はニコライ・ギャウロフ、25日はニコラ・ザッカリアが登場しています。1964年モスクワ公演としては他の演目でもいくつかCD発売されているものもありますし、ヴェルディのレクィエムに関しては、23日の公演の記録として非正規盤が発売されていたこともあったようです。
カラヤンは1935年27歳の時に、当時音楽監督を務めていたアーヘン市立歌劇場とヴェルディのレクィエムを取り上げて以降、ベルリン・フィルとの最後の演奏会となった1989年のザルツブルク復活祭音楽祭に至るまで、幾度となく演奏している得意のレパートリーです。カラヤンとしても非常に力の入った演奏で、重要な公演で取り上げるのも頷けます。またアメリカ人ソプラノ歌手レオンティーン・プライスのソロも圧巻です。そして、このアルバムは、2014年7月25日に90歳で亡くなった往年の名テノール、カルロ・ベルゴンツィの追悼として発売されています。ベルゴンツィはカラヤンとの共演も数多く、本ディスクはベルゴンツィを偲ぶには絶好の盤と言えるでしょう。(キングインターナショナル)

 これは先頃亡くなったカルロ・ベルゴンツィの追悼盤という扱いらしい。上掲したようにソリスト、指揮者とも当時としてはこれ以上ない布陣で、スカラ座が如何にモスクワ公演を乗重要視していたかが、わかる。これは当時の放送用音源のようで、やや遠くから音が聞こえてくるし、モノラルなのが少々残念ところだ。しかし、カラヤンのこの曲の解釈はしっかり聴ける。意外とここでは重たい演奏のような感じがした。第2曲の「怒りの日」ももっと颯爽と出来ると思うのに、腰が重たい感じがする。「サンクトゥス」も最初は速いテンポだが、最後になると急ブレーキがかかったような感じ。これがカラヤンの解釈なのか、残念ながら正規録音の方は未聴なので、何とも断言できない。

メンデルスゾーン:オラトリオ「聖パウロ」

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『聖パウロ』全曲 マズア&ゲヴァントハウス管弦楽団(2CD)
・オラトリオ『聖パウロ』全曲
グンドゥラ・ヤノヴィッツ(ソプラノⅠ)
ローゼマリー・ラング(ソプラノⅡ)
ハンス・ペーター・ブロホヴィッツ(テノール)
テオ・アダム(バス:聖パウロ)
ゴトハルト・スティーエル(バスⅠ)
ヘルマン・クリスティアン・ポルスター(バスⅡ)
ライプツィヒ放送合唱団
ゲヴァントハウス児童合唱団
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
指揮:クルト・マズア
 録音:1986年12月、ライプツィヒ(デジタル)

 
 
 先日、休日に渋谷のタワーレコードを覗いてみた。すると、このマズア盤が目に入った。こういう録音もあったのかと思ったものだ。国内盤だしと思って、店頭では買わず通販で入手することにした。どうも調べるとマズアがゲヴァントハウスを振って、フィリップスに入れた一連の録音群の一つのようだ。今はデッカに移管されている。

 さて、帯にはメンデルスゾーンのオラトリオの第1作とあった。どうも彼の交響曲よりはこうした声楽曲の方が好みのように思える。一つには楽器編成がこの時代にしては大きなものであることも関連している。トロンボーンやオルガンなども使われて、重厚感があっていい。交響曲でも第2番の「讃歌」はオラトリオみたいなものだし、第5番「宗教改革」も重厚な響きが味わえる。また、バッハよりは世俗的で敷居は低い。

 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団はメンデルスゾーンに所縁あるオケでもあって、誇りをもって演奏しているのがいい。東西の壁崩壊の3年前の録音。まだローカル色が残っている頃のものでもある。

スヴェトラーノフ:ミャスコフスキー:交響曲&管弦楽作品全集

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交響曲全集 スヴェトラーノフ&ロシア国立交響楽団(16CD)
(発売元コメント)
スヴェトラーノフ畢生の大作!
ミャスコフスキー:交響曲全集

20世紀に活躍した作曲家でありながら27に及ぶ交響曲を作曲したことで知られるニコライ・ヤコヴレヴィチ・ミャスコフスキー(ミヤスコフスキー)は、1881年に生まれ1950年に亡くなったロシア/ソビエトの作曲家。
幼少から音楽の道を志してはいたものの、軍人の家庭に生まれたために軍務が優先され、音楽院に入学したのは25歳になってからというミャスコフスキーですが、このとき知り合ったプロコフィエフとは、共作などを通じて親交を深め、その関係は生涯にわたって維持されました。
長年モスクワ音楽院の教授を務めたミャスコフスキーですが、作風の変遷には大きなものがあり、交響曲にしても、聴きやすさを基調にはしているものの、中には実験的で前衛的な要素や、民俗的な要素が認められるものもあり、また、シンプルで古典的なもの、合唱を交えた大掛かりなものから、ブラスバンドのためのものまで多彩をきわめているのが特徴。往年の名指揮者ニコライ・マルコによると、奇数番号の交響曲は瞑想的でペシミスティックな情感を湛えるものが多く、偶数番号の交響曲は、大衆のために作曲しているとミャスコフスキー本人が語っていたということです。
これだけの数の交響曲をまとめてレコーディングしたのはスヴェトラーノフただひとり。過去に録音のあった3曲を除き(第3番:1965年,第19番,第22番:1970年)、ソ連崩壊の年、1991年に始められた全集レコーディングは1993年に完成しています。
その偉業は、今後もロシア/ソビエト交響曲史を語る際には避けて通れないものとして既に広く認められているので、今回、ワーナー・フランス/スヴェトラーノフ・オフィシャル・コレクションからの登場は、スヴェトラ・ファンのみならず歓迎されるところでしょう。>

【収録情報】
ミャスコフスキー:交響曲&管弦楽作品全集
CD1[76:46]
・交響曲第1番ハ短調 作品3
・交響曲第25番変ニ長調 作品69

CD2[75:07]
・交響曲第10番ヘ短調 作品30『青銅の騎士』
・交響曲第11番変ロ短調 作品34
・交響曲第19番変ホ長調 作品46

CD3[78:46]
・交響曲第9番ホ短調 作品28
・交響曲第14番ハ長調 作品37

CD4[76:12]
・交響曲第7番ロ短調 作品24
・交響曲第8番イ長調 作品26

CD5[76:38]
・交響曲第5番ニ長調 作品18
・交響曲第12番ト短調 作品35『十月革命15周年に捧ぐ』

CD6[77:41]
・交響曲第4番ホ短調 作品17
・交響曲第15番ニ長調 作品38

CD7[75:01]
・交響曲第17番嬰ト短調 作品41
・交響曲第20番ホ長調 作品50

CD8[79:04]
・交響曲第22番ロ短調 作品54『交響的幻想』
・交響曲第26番ハ長調 作品79『ロシアの主題による』

CD9[74:01]
・交響曲第24番ヘ短調 作品63
・交響曲第27番ハ短調 作品85

CD10[79:57]
・交響曲第3番イ短調 作品15
・交響曲第23番イ短調 作品56『バラード』

CD11[79:48]
・交響曲第16番ヘ長調 作品39
・交響曲第18番ハ長調 作品42『10月革命20周年に捧ぐ』
・祝典序曲 ハ長調 作品48

CD12[79:01]
・交響曲第2番嬰ハ短調 作品11
・交響曲第13番変ロ短調 作品36
・スラヴ狂詩曲 ニ短調 作品71

CD13[78:19]
・交響曲第6番変ホ短調 作品23『革命』
・悲愴序曲 ハ短調 作品76

CD14[77:45]
・交響曲第21番嬰ヘ短調 作品51
・シンフォニエッタ イ長調 作品10
・沈黙 ヘ短調 作品9
・セレナード第1番 作品32-1

CD15[78:58]
・シンフォニエッタ イ長調 作品32-2
・シンフォニエッタ イ短調 作品68-2 
・コンチェルティーノ・リリコ ト長調 作品32-3

CD16[77:37]
・リンクス 作品65
・ディヴェルティスマン 作品80
・アラスター ハ短調 作品14

ソ連国立交響楽団(第3番・第22番/ステレオ)
ソ連国境警備隊楽団(第19番/ステレオ)
ロシア国立交響楽団(上記以外/ステレオ)
ロシア国立アカデミー合唱団(第6番)
エフゲニー・スヴェトラーノフ(指揮)

 休日の渋谷のタワー・レコード店頭で目にとまったもう一つはこれである。店頭では結局これを入手した。輸入盤でフランスのワーナー(旧・エラート)のものなので、逃すとしばらく入手困難であろうと思って決めた。後刻ネットで検索すると、この店頭価格の方が安かったので、逆に安堵したし、案の定「お取り寄せ」の表示だったので、店頭での判断は良かったと思った。

 さて、ミャスコフスキーという人は何と27曲もの交響曲を書いたことになっている。モーツァルトやハイドンの時代ならともかく、19世紀から20世紀にかけてこれだけの交響曲を書くとは驚きである。実はその多さに怖気づいて、なかなか聴くにもなれなかった。しかし、こうしてまとめてくれると、背中を押されたような気分だ。まだ、これを書いている時は未開封状態。演奏団体に若干の不安もある。あまり信用していないオケだからだ。また、第19番はちょっと変わった団体が演奏しているが、これは吹奏楽のための作品のようで、軍楽隊もしくは警察関連の吹奏楽団の演奏ということらしい。交響曲以外の作品も初めて見る題名ばかりだ。後は聴いたら出来るだけ記事にしたいと思っている。

ミャスコフスキー:交響曲第1番&第25番

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 16枚組の最初は第1番と第25番が組まれている。演奏は全てロシア国立交響楽団ということになっている。
 
 この作曲家は1881年の生まれだから、コダーイとは同い年。バルトークやストラヴィンスキーなどより1年先に生を受けている。したがって、もっと前衛的な音楽と思いきや、すこぶる保守的な音楽だった。もう一世代前のチャイコフスキーやリムスキー=コルサコフに近い路線かもしれない。交響曲もショスタコーヴィチやプロコフィエフなどよりは規模は小さい。だいたい20~30分くらいの作品ばかりだ。ただし、オーケストラの編成は標準的である。赤軍につき、ソ連に留まったところを見ると前衛的な難しい音楽よりも大衆にわかりやすいものということなのだろう。これがこの作曲家の初印象である。
1912年}

強迫/ロープ殺人事件(リチャード・フライシャー・米20世紀フォックス1959年)

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 原題は「Compulsion」(辞書的には強制)。「海底二万哩」や「トラ・トラ・トラ!」のリチャード・フライシャー監督が、1959年に20世紀フォックスで撮ったモノクロ・スコープ作品。
 
 知能的に秀でた二人の学生が、自分たちの優秀さを示さんがために少年を誘拐の上、殺害してしまうという1924年に実際にシカゴあった事件をもとに、裁判のあり方を描いた作品。何故か日本では劇場では公開されておらず、テレビ放映がなされただけの隠れた作品である。大物弁護士に扮するはオーソン・ウェルズ。しかし、彼は映画が半分過ぎたあたりでやっと登場する。存在感は申し分ない。法廷で無罪か有罪を争うのはあっさり放棄してしまう。後は情状酌量を訴えるのに切り替える。それが犯人たちやその親たちは不満だが、事実は事実で覆しようはない。最後に彼は二人の犯人を絞首刑にして、死んだ少年が生き返るのだったら、執行すればよい。そうはならない。ただ復讐のために死刑にするのだったら、野蛮だった時代と変わらない。今は文明国になった時代にそれでよいのか。それに犯人もまだ二十歳前。ここシカゴでは25歳未満の者には死刑にしないという決まりがあるのに、それ覆すのか。彼らが金持ちの子息だから、吊るしてしまえというのか。無期懲役で十分ではないか、と熱弁をふるう。それが妙に説得力がある。
 
 今日死刑のあり方について議論は多いが、これは示唆的な内容の作品と思った。もとより、映画では死刑廃止などとは声高に言っていない。ただ復讐のための死刑は如何なものと言っているだけだ。最初、何が何でも極刑に意気込んでいた検事もうなだれてしまう。実際、犯人たちは知能は高いが、人間的にはかなり未熟だ。判決時になっても反省すらしない。弁護士はこれから事の重大さを時間とともに身に染むだろうと彼らに言う。実際、無期懲役でしでかしたことに向かう方がきついのかもしれない、とも思った。

恐怖の土曜日(リチャード・フライシャー監督・20世紀フォックス1955年)

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 リチャード・フライシャー監督が1955年に制作した犯罪もの。しかし、銀行強盗だけを描くのではなく、その銀行が所在する街の住人たちの人間模様を並行して描いているところが、この作品の特徴である。
 
 事業継承のプレッシャーに押しつぶされようとしている二世実業家と不倫まがいの行為をするその妻。彼の部下は子供の教育で悩んでいる。男性に人気がフェロモンたっぷりの看護婦はその青年実業家と懇意になりかけるが、同時に強盗が狙う銀行の支店長が彼女に興味を持っている。また郊外には近代的な生活をしないアーミッシュの一家も暮らしている。そういったところに4人の強盗が犯罪を決行する。実行じたいはかなりあっさりとしているが、人間模様の描写が見事である。強盗役に一人にリー・マーヴィンが扮している。かなり凶暴な役どころ。少年であろうと、殴りつけてのしてしまうし、銀行では冷酷に人を撃ってしまう。その一人は亡くなってしまう。
最後、彼らはアーミッシュの牧場に逃れる....。アーミッシュの当主はアーネスト・ボーグナインで「北国の帝王」での対立がここで少し見られる。

ミャスコフスキー:交響曲第10番、第11番&第19番

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 DISC2は3曲の交響曲が入っている。面白いのは第19番。これは吹奏楽のための作品のようだ。ただし、西側のミリタリー・バンドとは異なり、管弦楽の管楽セクションのための音楽のようでもある。検索してみると、サクソフォーンなどは使用されていない。それゆえに、他の吹奏楽作品とは異なった響きがした。
 
 なお、この一連のBOXのCDを中身を表示するプレーヤー(パソコン)にかけるとジャケットの表示とは違う表示が出てくる。これは少し困った現象で、全て初めて聴く音楽が殆どの場合、何が本当なのかわからなくなってしまう。

アルフレッド・リード自作自演集

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アルフレッド・リード自作自演集
 
 最近、日本コロムビアからリリースされたアルフレッド・リードが自作を東京佼成ウィンド・オーケストラを振って録音したものを集めたものだ。吹奏楽経験者なら、一度は名前を聞いたことのある人だ。「吹奏楽の神様」という人もいるくらいで、その殆どを吹奏楽に捧げたような人ではあった。今年が没後10周年にあたるという。
 
 さて、販売者は日本コロムビアだが、中味はかつて佼成出版社から出ていた録音と同一のようである。二冊の解説リーフレットが挿入されているが、最後の方にスタッフの名前など記されているが、実際に録音にあたったのは日本ビクターの面々。佼成出版社のPBでビクターが制作した録音群なのである。それをコロムビアが同出版社のライセンスを受けて発売したもというからややこしい。たまたまPBだったから、実現したもののようである。ビクターもコロムビアも業績が今一つ冴えない。そうした両社の思わぬ「邂逅」は何だか、こちらも複雑なものを感じてしまう。
 
 演奏はそこぶるスタンダードなもの。少し生真面目すぎるなと思う作品もあるが、聴いてみると楽しめるアルバムではある。
 
 
 
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