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フrンツ・シュミット:歌劇「ノートル・ダム」

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 エスメラルダ/ギネス・ジョーンズ(ソプラノ)
 フェビュス/ジェイムズ・キング(テノール)
 グランゴワール/ホルスト・R・ラウベンタール(テノール)
 教会司教/ハルトムート・フェルカー(バリトン)
 クァジモド/クルト・モル(バス)
 役人/ハンス・ヘルム(バリトン)他、
 RIAS室内合唱団
 聖ヘトヴィヒ大聖堂合唱団
 アンドレアス・ユフィンゲル(オルガン)
 ベルリン放送交響楽団(現ベルリン・ドイツ交響楽団)
 クリストフ・ペリック(指揮)

 録音時期:1988年8月
 録音場所:ベルリン、イエス・キリスト教会
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)
 
 このオペラの間奏曲は稀に演奏され、オペラ間奏曲集なんかに組み入れられることもある。有名なのはカラヤンの演奏などがある。しかし、歌劇全体になると解説には殆ど上演されないと素っ気なく書かれているだけだ。それでもと思って、検索してみるとこういうCDがヒットした。何と歌手陣を見ると一流どころが並ぶ。管弦楽も合唱も実績のある団体だ。指揮者だけは知らない人だった。本体には世界初録音の表示があって、そうそう録音も存在しないようだ。ましてや映像はちょっと難しいそうだ。
 
 だいたい、フランツ・シュミットという作曲家はかなり保守的で、この人の交響曲も保守すぎてあまり印象に残っていないような状況だ。しかし、それでもどんなものかと知りたくて、手を出してしまった。大編成のオーケストラを大きく鳴らすその意味ではお気に入りなりそうだが、印象に残るメロディに乏しいのは交響曲と同様である。話はヴィクトル・ユーゴーの原作のオペラ化だ。映画などでは「ノートル・ダムの背むし男」という題名で知られている物語。ドイツ語、英語のあらすじと解説があるだけで、歌詞すら掲載がない。フランスの話だが、ドイツ語歌唱である。同時代のプフィッツナーよりは洗練されている感じではある。
 
 録音年月を見ると、まだ壁のあった頃の西ベルリンでの収録。フィルハーモニーの近所にあった教会である。当時は壁の間際だったようである。
 

マーラー:亡き子を偲ぶ歌、シューマン:女の愛と生涯、他 フェリアー、ワルター&ウィーン・フィル

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①マーラー:亡き子を偲ぶ歌
  録音:1949年10月4日、キングスウェイ・ホール、ロンドン(モノラル)
②シューベルト:若き尼僧
③シューベルト:ロマンス~「ロザムンデ」より
④汝は我を愛さず
⑤シューベルト:死と乙女
⑥シューベルト:ズライカⅡ
⑦シューベルト:汝は我の憩い
⑧ブラームス:我の眠りはしだいに浅くなり
⑨ブラームス:死、それは暗い夜
⑩ブラームス:便り
⑪シューマン:女の愛と生涯
 録音:1949年9月7日、エディンバラ(ライヴ)
(付録)キャスリーン・フェリアの声
キャスリーン・フェリア(アルト)
ブルーノ・ワルター指揮&ピアノ ①ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 
 イタリアのウラニアというヒストリカル専門のレーベルからリリースされたファリアとワルターとの邂逅のアルバム。この録音の1年前にNYPの演奏会に出演して、ワルターの指揮で「大地の歌」を歌っている。この1949年にエディンバラ音楽祭があって、そこでワルターと共演してのものようだ。VPOとも共演しているマーラーはセッションだが、その流れでロンドンで録音されたものだろう。このCDにはウィーンでの録音と記されているが、EMIの方はロンドンのキングスウェイ・ホールとあって、こちらの方が正しいと思う。このCDもEMI盤が大元の音源になっている。
 
 もう60年以上も前の古い録音ながら、かなり明晰な音で再生できるのはありがたい。同時にこの人のドイツ語の発音に難があることもわかる。こういうことはCD当初から言われていた両刃の刃ではある。いくぶん、ヴィヴラートもあって、スタイルは古いのかもしれない。ここではワルターのピアノも聴ける。決してうまいのではないが、伴奏に徹している感じはある。
 
 

カルロス・クライバーによるマーラー:大地の歌

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● マーラー:大地の歌 [57:21]
 第1楽章:大地の哀愁に寄せる酒の歌 [08:30]
 第2楽章:秋に寂しき者 [09:02]
 第3楽章:青春について [02:55]
 第4楽章:美について [06:29]
 第5楽章:春に酔える者 [04:07]
 第6楽章:告別 [26:18]

 クリスタ・ルートヴィヒ(アルト)
 ヴァルデマール・クメント(テノール)
 ウィーン交響楽団
 カルロス・クライバー(指揮)

 録音時期:1967年6月7日
 録音場所:ウィーン、ウィーン コンツェルトハウス
 録音方式:モノラル(ライヴ)
(HMVのコメント)
この演奏会は、ウィーン芸術週間のマーラー特集の一環として企画されたもので、バーンスタインやクーベリック、マゼール、マデルナ、プレートル、アバド、ベームといった指揮者たちによって、交響曲全曲と管弦楽伴奏の歌曲が演奏されたという大規模なプロジェクトの一翼をになうものでした。
 当時のクライバーは、オペラを中心に活躍していたとはいえ、まだ知名度が低く商業録音もゼロという状態でしたが、オペラの現場ではすでに評判となっており、その実力を知っていた演出家のオットー・シェンクの薦めで、ウィーン・コンツェルトハウス協会の事務局長ペーター・ヴァイザーが、シュトゥットガルトを訪れて直接クライバーに出演を依頼したという経緯で実現したのがこのコンサートでした。オットー・シェンクさまさまです。
 指揮を引き受けたクライバーは、勉強のため、『大地の歌』のエキスパートで父の友人でもあった指揮者オットー・クレンペラーを訪ねるためチューリヒに向かいます。そこで演奏や歌手の人選についてアドバイスを受け、クレンペラーのお気に入りでもあったテノールのクメントとアルトのルートヴィヒを起用しておこなわれたのがここでの演奏ということになります。
 記録音源レベルの音質のため、ディテールの判断はつきにくいものの、全体の流れを形成する起伏の大きさや各パートの扱いを知ることは可能で、速めのテンポの中にさまざまな情報を詰め込むクライバーの凝縮度の高いスタイルと、情緒志向にならないクレンペラー的な解釈の共存した素晴らしい演奏を味わうことができます。スペシャリスト、ルートヴィヒの歌唱も万全ですし、クメントの力強く野趣に富む歌も作品にふさわしいと言えると思います。
 レパートリーを極限まで切り詰めたあろカルロス・クライバーがマーラーを振るとは、珍しい録音が出たものだというのが最初の印象だった。いささか珍品を聴く趣向かと思って、プレヤーにかけてみると、いささか録音が古くてモノラルであるのは残念だが、すっきりとした音で聴ける。いくぶん、早めで即物的なのは上のコメントにもある通りクレンペラーからのサジェスチョンがあるかもしれない。それにしても楽器の扱いなどは素晴らしく、かなりの力演だったのではないか。擁した歌手たちの素晴らしさも多分に貢献していると思う。1967年当時、クライバーはまだ無名に近い存在で、レパートリーの絞り込みの前の時期だったろう。しかし、CDの英文の解説には、二度とマーラーは取り上げなかったとあった。彼にはソリの合わないものがあったのかもしれない。ただ、死後製作されたドキュメントによると、ブルックナーなどにも結構詳しく、やろうと思えば何でもできる状態だったという。公には演奏しなくても、あらゆる曲を熟知していたというのは、本当のところだと思う。

プッチーニ:歌劇「西部の娘」(デッカ1958年盤)

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La Fanciulla Del West: Capuana / St Cecilia O Tebaldi Del Monaco Macneil
レナータ・テバルディ(ソプラノ:ミニー)
マリオ・デル・モナコ(テノール:ディック・ジョンソン)
コーネル・マクニール(バリトン:ジャック・ランス)他
フランコ。カプアーナ指揮 ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団・合唱団
原盤:デッカ
 
 かつての名テノールのデル・モナコのオペラが急に聴きたくなって、入手したもの。「トゥーランドット」に次ぐものだが、よく見たらウラニアというレーベルで、デッカのライセンスを得てリリースしたものだった。ちゃんとステレオ音源になっていて、このレーベルでは初のステレオ盤を手にしたことになる。廉価盤なので、解説も対訳歌詞も一切掲載がない。だいたい筋を知っているので、音楽に専心することとした。
 
 しかし、プッチーニの作品でもあまり人気がないのは、ちょっと通俗的な素材がもろに出てしまっているからだろう。明らかにラグタイムの引用があったりして、ちょっと違ったテイストなのだ。日本や中国の民謡を転用するのとはちょっと勝手が違ったような感じを受ける。歌詞にもやたらと英語が混じるのも、逆に違和感があったりする。内容は西部劇である。盗賊と保安官の打ち合いもあったりするが、活劇にはならず、男女の関係に重きがあるので、話自体も面白くはない。ミニーとはディスニーのキャラクターと同名だが、あばずれで少しも可憐な感じでないのも、共感を得にくいのかもしれない。

プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」(テバルディ)

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『蝶々夫人』全曲 セラフィン&聖チェチーリア国立音楽院管、テバルディ、ベルゴンツィ、他(1958 ステレオ)(2CD)
レナータ・テバルディ(ソプラノ:蝶々さん)
カルロ・ベルゴンツイィ(テノール:ピンカートン)
アンジェロ・メルクリアーリ(テノール:ゴロー)
フィオレンツァ・コッソット(メゾ・ソプラノ:スズキ)
エンツォ・ソルデッロ(バリトン:シャープレス)
ヴィルジオ・カルノナーリ(バス:神主)
パオロ・ワシントン(バス:ボンゾ)
オスカー・ナンニ(バス:ヤクシデ)
ミケーレ・カッザート(バリトン:ヤマドリ)
リディア・ネロッツィ(メゾ・ソプラノ:ケイト)
トゥリオ・セラフィン指揮
ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団・合唱団
 
 これも前回に取り上げた「西部の娘」と同時期にテバルディを主役に据えたプッチーニのオペラ全曲盤ものである。オーケストラと合唱は同一のアンサンブルで、これはベテランのセラフィンが指揮をしている。
 
 後年、カラヤン/VPOという布陣でデッカはこの曲を再度録音しているが、こちらの方が地元らしい演奏ではある。ただし、オーケストラは幾分粗い感じはする。それでも雰囲気は十分。唯一の不満は軍艦の大砲の擬音ではあった。わかりやすさをモットーとしたカルショウのアイディアなのか。しかし、それは余計なお世話だと感じる。「指輪」でも馬を歩かせて蹄の音を入れる風景の写真が載っていたが、同じ発想のようだ。1900年頃の船の大砲というより高射砲のような音だった。音楽でのみ勝負して欲しかった。

ニールセン:交響曲第4番&第1番(アラン・ギルバート/NYP)

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ニールセン
①交響曲第4番作品29「不滅」
②交響曲第1番作品7
アラン・ギルバート指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
Mrach 12-15,2014 Avery Fisher Hall,New York(Live Recording)
 
 アラン・ギルバートは、ニールセンの交響曲を順次取り上げているようだ。既に第2番と第3番は完了し、その録音も出ていたが、その次に出てきたのが、このカップリングだ。今回も演奏会のライヴ録音の形を取る。
 
 すでにニールセンの交響曲は複数の種類の録音を持っていて、今更のような感じもするが、この半分日本人の血が流れている若い指揮者がどんな演奏を聴かせてくれるかという興味が湧いて第1弾もこの第2弾も購入した。殊に第4番は学生時代、オーケストラで演奏した思い出の作品でもある。NYPはバーンスタイン時代にもこの作曲家の作品を録音している。ただし、第1番と第6番はなかった。やはりNYPともなると、余裕を感じさせる演奏を展開してくれる。
 
 盤はデンマークの「ダ・カーポ」というレーベル。ニールセンの母国の会社だ。来年はこの作曲家の生誕150周年になるので、その年に向けて全集完成を目指しているのかもしれない。ハイブリッドのSACD盤で、たまたまブルーレイのプレイヤーがSACDの機能を有していたので、折角だからそちらで聴いている。かなり奥行きのある録音でクリアなサウンドを楽しんでいる。第4番はあの箇所は、苦労したなとか、緊張したなとかが、頭に思い浮かぶ。第一次大戦中に書かれた作品で、何か祈りみたいなものはいつも感じるのだが、どうだろうか。

グレッグソン:管弦楽作品集

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【曲目】
グレッグソン:
①管弦楽のための《ドリーム・ソング》(世界初録音)
②ホルン協奏曲(世界初録音)
③フルートとアンサンブルのための協奏曲《アズテック・ダンス》(世界初録音)
④管弦楽のための協奏曲

【演奏】
リチャード・ワトキンス(ホルン)
ウィザム・ボスタニー(フルート)
ブラムウェル・トヴェイ(指揮)、BBCフィルハーモニック

【録音】
2013年12月17日-18日、メディア・シティUK(サルフォード)
 
 1945年生まれのグレッグソンのまとまった作品集。④以外は全て世界初録音で当然未知の作品である。現代曲ながら、難渋な印象はない。④は調べると他の演奏の録音が手許にあった。だいたいこの人の作品はテューバ協奏曲など、少し珍しい楽器をソロに仕立てた協奏曲が多いような気がする。適度な刺激があって、こういう作品は聴くと楽しい。

ストコフスキーのNYPライヴ

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【収録情報】
①アミロフ:アゼルバイジャン民謡による交響的組曲(録音時期:1960年3月5日)
② ショスタコーヴィチ:交響曲第1番ヘ短調 Op.10(録音時期:1960年3月5日)
③ヴォーン・ウィリアムズ:トマス・タリスの主題による幻想曲(録音時期:1962年3月3日)
④ クルカ:交響的エピローグ『ジュリアス・シーザー』(録音時期:1962年3月3日)
レオポルド・ストコフスキー指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
録音場所:ニューヨーク、カーネギー・ホール  録音方式:モノラル(ライヴ)
 
 20世紀の巨匠レオポルド・ストコフスキーが振る20世紀の管弦楽作品集は、初の商用リリースとなる1960年と1962年の演奏を集めた希少音源集。オーケストラのテンションの高さに圧倒されるショスタコーヴィチの交響曲第1番、英国時代に親交を深め、その作品をアメリカへと広めたヴォーン・ウィリアムズの『タリスの主題による幻想曲』はもちろんのこと、アゼルバイジャンの作曲家アミロフの民族色濃厚な『交響組曲』、白血病で急逝したアメリカの作曲家クルカの『ジュリアス・シーザー』は、音の魔術師ストコフスキーならではのプログラム。オーケストラの燃焼度もかなりのもの。
 リマスタリングは、お馴染みのピーター・レイノルズ&レイノルズ・マスタリングが担当。(東京エムプラス)
 

 
 一般にストコフスキーというとレコーディングに熱心で、クラシックを大衆に伝えた大指揮者という面と、あまりにメディアに出すぎて芸術性に疑問を持たれた一面があるのはよく知られたところだ。しかし、現代曲の初演にも熱心で擁護もした。レパートリーの広さも相当なもので、同時代の指揮者では並ぶ人は少なかったのではなかろうか。
 
 さて、このアルバムは二つのNYPのコンサートから収録されたもの。カタログを見て、まず目にとまったのは①④のかなりレアな作品が収録されていることだった。もちろん、初めて接する作品。最初のアゼルバイジャン民謡をもとにした作品はハチャトゥリアンばりの面白いリズムを内包しているのでは期待してみた。その予想はずばり的中で、やはりステレオ録音で聴いてみたい作品だった。最後のクルカは夭折したアメリカの作曲家で、死の直前に完成したようだ。作曲者自身の解説も残っていて、芝居の筋立てに沿った構成ではないそうだ。サンディエゴ交響楽団の委嘱作。ショスタコーヴィチはアメリカ初演したり、初めてレコード録音した作品で十八番だろうし、RVWも結構取り上げているが、ロンドンの音楽学校で共に学んだ仲というのも作用しているようだ。
 
 かつて、ミトロプーロスとNYPの音楽監督を争っていたが、敗れた後にしばらくNYPの指揮台からは遠のいていたようだが、この録音当時はもうバーンスタイン時代になり、過去の因縁もある程度、自分できりをつけたのだろう。

クルカ:交響的エピローグ「ジュリアス・シーザー」他

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クルカ
①交響的エピローグ「ジュリアス・シーザー」
②交響曲第2番
③管弦楽のための音楽
④小管弦楽のためのセレナード
カルロス・カルマー指揮 グランド・パーク管弦楽団
 
 
 先日聴いたストコフスキーのライヴ録音の中にあった①をステレオを聴いてみたくて、検索したらこういうものを見つけた。今世紀になってからの録音でデジタル録音のようだ。ただ、指揮者もオーケストラも知らないので、少し不安はあったが、バッチリとうまい演奏で聴かせてくれる。元気のいいアメリカ音楽という感じだが、病気で若死にしたのが悔やまれる。解説によるグランド・パーク音楽祭のレジデント・オケなのだそうだ。シカゴにある施設で、音楽祭になると集まるピックアップ・オケなのかもしれない。周辺の腕利きが集まるのか、破綻のない演奏を展開してくれるのはありがたい。④は少し編成が小さいようだが、結構いろいろな楽器がいるようで面白い。

フィビヒ:管弦楽作品集第3集

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フィビヒ
①交響詩「オテロ」
②交響詩「ザーボイ、スラヴィオとルジェイク」
③交響詩「トマンと森の精」
④交響詩「嵐」
⑤交響詩「春」
演奏: チェコ・ナショナル交響楽団/マレク・シュティレツ(指揮)
 
 最近、フィビヒに関心があって、2つの交響曲に次いで、これを買って聴いてみる。スメタナやドヴォルザークよりやや若いが、あまり民族性を感じない作風ではある。ドイツ的なかっちりした響きがまずあって、時折民族的なものが顔を出すといったところか。①のトランペットのファンファーレはすごく恰好いい。帯の解説にはスメタナの「高い城」への引用やドヴォルザークを彷彿とさせるとか書いてあるのが、引用の方はともかく、彼らよりはクセはないように感じてしまう。もちろん、同時代にあって、互いに触発されることは十分あることは理解する。これは実際聴いての最初の自分なりの感想である。

旗本退屈男 謎の大文字(佐々木康・東映京都1959年)

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 市川右太衛門十八番の退屈男シリーズで、今回は京都が舞台である。薩摩の島津家の浮沈に関わるのだが、このシリーズにはよく薩摩藩が何故か多く登場するような気がする。京都所司代が悪の総元締めである。公家や朝廷が絡むところは、幕末の話のようだが、早乙女主水之介の時代は五代将軍・綱吉の代である。
 
 話は極めて単純であり、勧善懲悪の従来のパターンである。ただ、HDにリマスターされて、それをBDに移して観てみると、衣裳の鮮やかさは今の映画にはないものだ。主人公の衣裳だけでなく、あらゆる衣裳が派手である。たまには理屈抜きで、御大の見栄とコメディ・リリーフの絡みなどを楽しみ、殺陣に興じるのもいい。
 
 

チレア:歌劇『アドリアーナ・ルクヴルール』全曲

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歌劇『アドリアーナ・ルクヴルール』全曲 テバルディ、デル・モナコ、カプアーナ&聖チェチーリア音楽院管(2CD)
レナータ・タエバルディ(S:アドリアーナ・ルクヴルール)
マリオ・デル・モナコ(T:マウリツィオ)
ジュリエッタ・シオミナート(MS:ブイヨン公妃)
ジュリオ・フィオラヴァンティ(Br:ショミネ)
シルヴィオ・マイオニカ(B:ブイヨン公)他
フランコ・カプアーナ指揮 ローマ聖チャチーリア音楽院管弦楽団・合唱団
 
 このオペラはNHKイタリア・オペラ公演の末期に日本初演されたものだったと記憶している。その当時はもう上京して学生生活を送っていた。その時に参考音源として、この録音が発売されていた。オペラに興味のある東京地元の学生はそのLP盤を持っていたのを、うらやましそうに眺めていたものだ。
 
 ヒロインは役者で確か嫉妬に狂った女性に毒殺されるというちょと生々しい話だが、全体に流れるメロディが美しい。チレアは本作のほかに「アルルの女」というオペラがあったと記憶するが、聴くのはこれが唯一である。プッチーニよりは7~8歳若い作曲家だったかと思う。
 
 

春琴抄(西河克己・ホリ企画制作1976年)

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 山口百恵の文芸作の第5弾。全て再映画化というのが、彼女の文芸映画の特徴ではある。脚本に衣笠貞之助の名前があることから、衣笠監督が大映で山本富士子と本郷功次郎の主演で撮った「お琴と佐助」を底本にしていると思われる。残念ながら、衣笠版はこの時点で未見である。配役表を見ると春松検校役の中村伸郎が共通しているのがちょっと目を惹いた。
 
 アイドル映画ではあるが、割と定石通りの制作姿勢のようだ。衣装も三松の協力も得て、明治時代の風景もかっちり再現している。大阪の話なのに、この作品も含めて全て東京の撮影所で撮られているのも面白い。本作はやはり日活撮影所を使用、スタッフも日活で活躍した人ばかりであり、脇役も日活のロマン・ポルノで活躍した女優などが出ている。当時の日活は自社のマークはロマン・ポルノを作る一方、こうした他社のOEM作品で一般映画を製作したいたことがわかる。
 
 内容はちょっと考えられないくらいのSM的内容である。男は何故そこまで女のわがままを受け入れてしまうのか、多分今の若い人たちにはわからないだろう。自分自身はとてもできることではない。本作を含めて、この原作の映画化作品では、1935年の「春琴抄 お琴と佐助」(島津保次郎監督・田中絹代、高田幸吉)と1954年の「春琴物語」(伊藤大輔監督・京マチ子、花柳喜章)を観ている。今は上述したように衣笠版を観てみたいと思っている。

ザ・ヤクザ(シドニー・ポラック・1974年アメリカ)

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 高倉健の訃報を受けて、ワーナー・ブラザーズからDVDがリリーズされた。やっとというか、こんな形のリリーズはいささか複雑な思いがする。
 
 さて、シドニー・ポラック監督がスタッフを引き連れて、半分以上を日本で撮った作品だ。したがって、スタッフや俳優にも日本からの参加がかなりある。考証でおかしな部分は修正されて、それなりの描写になっているのは、特筆に値する。日本側は主に東映京都撮影所のスタッフや俳優たちだ。クレジットにも東映に協力を感謝と出てくる。最後の斬りあいは「昭和残侠伝」あたりを彷彿とさせるものがあるし、香港のカンフー映画を意識しているとも言われている。ストーリーやシナリオも日本に詳しいシュレダー兄弟が関与しているし、出演のハーブ・エーデルマンともども山田洋次監督の「男はつらいよ」にも関わっているのは周知のことだ。
 
 主演のロバート・ミッチャムの探偵も時折日本語の台詞があるのは御愛嬌か。敵役の親分の岡田英次とか高倉健の妻役の岸恵子はあたりは東映の任侠映画とは違った感じのキャラクターだが、子分を始めとする脇役たちは東映作品で観たような顔ぶれだ。他に、植村謙二郎というベテランも出ていたのがわかり、ちょっとびっくりした。やくざ映画と西部劇が合体したようなテイストはなかなか面白い。
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プッチーニ:歌劇「トゥーランドット」(セラフィン/スカラ座)

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Turandot: Serafin / Teatro Alla Scala Callas Schwarzkopf Ferandini
 
 EMIからワーナーに転籍したマリア・カラスの録音の一つ。今回、SACDになって再発売となった。だが、モノラル録音である。それをSACDにしたとはどういうことになるのか。初めての体験でもある。スタートボタンを押すと、なんとも平板で迫力に欠ける音が再生されてしまった。何ともこじんまりとした音楽になっている。その代わり、小太鼓などがやけに目立って聴こえるのは気のせいなのか。モノラルながらも、もっと大きな音楽にして欲しいのだが、肩すかしをくらった形だ。スカラ座にしてはややアンサンブルも粗く聴こえてしますのは、DSDにして粗が透けて見えてしまったのだろうか。
 
 この盤はカラスのタイトルロールにスワルツコップのリューという組み合わせが売りなのだろう。ただ、後者は相変わらずの変なブブラートが気になるし、カラスもややこの役にしては軽量な感じがしてしまう。セラフィンは舞台ではワーグナーなんかも歌わせているとは文献的には知っているのだが。やはりこの役はソプラノでも少々ドスの利いた残忍な感じが欲しい。
 
 改めてリューの死の場面で虚しさが漂ったところで幕の方がいいように思えてならない。

カラスによる「カルメン」

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Carmen: Pretre / Paris National Opera Callas Guiot Gedda
マリア・カラス(S:カルメン)
ニコライ・ゲッタ(T:ドン・ホセ)
アンドレア・ギオー(S:ミカエラ)
ロベール・マサール(Br:エスカミーリョ)
ナディーヌ・ソートロー(S:フラスキータ)
ジャーヌ・ベルビエ(MS:メルセデス)
ジャン=ポール・ヴォークラン(T:ダンカイロ)
ジャック・プリュヴォ(T:レメンタード)
モーリス・マイエフスキー(T:レメンタード)DISC2の一部
クロード・カレ(Br:モラーレス)
ジャック・マルス(B:スニガ)
ジョルジュ・プレートル指揮 パリ国立歌劇場管弦楽団 ルネ・デュクロ合唱団 ジャン・ペノー児童合唱団
19764.7.6-20 サル・ワグラム、パリ
 
 マリア・カラスがオペラ引退する1年前の録音で、最晩年の歌唱が聴ける。また唯一のフランスもので、しかも実演では一度も出演しなかった演目というのも目を惹く。
 
 しかし、録音は明晰でフランス語の発生もそれらしい。カラヤン盤(RCA)のようにイタリア語かフランス語かわからない発音する人がいとのとは大違いだ。演奏もカラヤン/VPOよりもこちらがいいような気がする。一つにはお国ものの強さもあるのだろう。これはフランス・オペラの代表格ですぞと言わんばかりの矜持ある演奏のように聴こえる。カラスの役作りも見事だし、これで映像があったらと思う。

ケント・ナガノによる日本唱歌集

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【収録情報】
『唱歌~日本の子供の歌』
 ジャン=パスカル・バンテュス編曲

● 七つの子
● 雨降りお月さん
● 早春賦
● 青い目の人形
● 月見草の花
● 十五夜お月さん
● 花かげ
● 夕焼け小焼け
● 春よ来い
● 隅田川
● 赤とんぼ
● 赤い靴
● 朧月夜
● 夏は来ぬ
● 花嫁人形
● 『ちんちん千鳥』による管弦楽幻想曲
● 浜千鳥
● どこかで春が
● ちんちん千鳥
● 砂山
● さくら
● あの町この町

 ディアナ・ダムラウ(ソプラノ)
 モントリオール児童合唱団
 モントリオール交響楽団
 ケント・ナガノ(指揮)

 録音時期:2010年2月28日、3月2日、2011年6月28,29日
 録音方式:ステレオ(デジタル)
 日系のアメリカの指揮者ケント・ナガノが日本の唱歌を扱ったアルバム。やはりDNAがなせることなのか、自分のルーツ探しをしているような感じである。独唱も合唱も向こうの人たちだが、ちゃんと日本語で歌わせている。時折発音が我々のネイティヴとは異なるが、それはオペラなどで母国語でない歌唱をする歌手の発音もやや違和感を以て聴かれているだろう、そんな程度である。アレンジャーの解釈に全て賛同はしかねるが、概ね心休まる編集は好感が持てる。
 

BPOジルベスター2014

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 今回の年末に再度BPOのジルベスターへ行ってきた。海外のコンサートなどはまとまった連休がないと無理。金銭的にも無理があってもやはり行ってみたいと思うのだ。

 普段の定期とは違いベルリン・フィルハーモニーといえども、少しカジュアルなコンサートのようだ。決して難解な作品はしない。今回、最大の収穫はメナヘム・プレスナーという90歳のピアニストでモーツァルトのコンチェルトをきけたことだった。登場したら足元がおぼつかず、大丈夫かと思った。が、一端演奏が始まると、至極透明な音色のピアノがなめらかに流れる。極上の音楽はこのことと感嘆して、耳を澄ました。終演後、場内は万雷の拍手、それにスタディング・オベーション。お恥ずかしいことに初めて知る人だった。ボザール・トリオで長年活動していた人で、マグデブルク出身のドイツの人ながら、ユダヤ系のため、アメリカに亡命していた。ソリストとしては70歳の頃から始めたとある。

 ラトルもコンマスの樫本大進もこの人の前では小僧っ子に見えるほど威厳があった。時折、指揮者やオケを挑発し、自ら主導権を取るという風だった。外面はたいへん柔和だが、指導となると厳しい人なのだそうだ。音楽の真髄に触れさせてもらったような感じだった。
 
★★★2014年 ベルリンフィルハーモニー ジルベスターコンサート★★★

■出演■
サイモン・ラトル(指揮)
メナヘム・プレスラー(ピアノ)

■演目■
ラモー: 歌劇『優雅なインドの国々』より、組曲
モーツァルト: ピアノ協奏曲イ長調KV488
コダーイ: ハーリ・ヤーノシュ組曲
ドヴォルザーク: スラブ舞曲
★★★2014年 ベルリンフィルハーモニー ジルベスターコンサート★★★

■出演■
サイモン・ラトル(指揮)
メナヘム・プレスラー(ピアノ)

■演目■
ラモー: 歌劇『優雅なインドの国々』より、組曲
モーツァルト: ピアノ協奏曲イ長調KV488
コダーイ: ハーリ・ヤーノシュ組曲(抜粋)
ドヴォルザーク: スラブ舞曲


山河あり(松山善三)(松竹大船1962年)

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 山河あり

  松山善三監督の第2作にあたるもの。前作が東宝系列でのものだったが、今回は古巣の松竹での作品。師匠の木下恵介の企画ものである。スタッフはキャメラマンの楠田浩之を始め、木下組で固めているのが特色である。
 
 本作はハワイに移住して苦労する日系人の物語である。移住後は人間扱いされず、やっと安穏な生活を手に入れたと思ったら、祖国と移住先の国アメリカとが戦争状態になって、股裂き状態に苦労するという内容。ここで、気を惹くのは親子の論争である。二世たちはアメリカ市民であるが、親たちは日本への思いが強い。日本を無条件に礼賛する姿勢に反発する。また、学校では日本の「蛮行」が教えられて、自分らは肩身の狭い思いをしているということを訴えるのだ。ここで思ったのは親たちの思いは、今の日本でしきりと言われている「まともな国」を主張する内容とほぼ似ている。一方、二世たちはリベラルか、もしくは左翼的な発想に似ている。この映画の脚本は松山善三と久板栄二郎である。このシナリオの底流は久板の思いが強く反映されているような気がする。この人の脚本はかなりリベラル思考で黒澤明監督の「わが青春に悔なし」や木下恵介監督の「大曾根家の朝」などを担当している。台詞の中で、大陸で日本軍のやっていることは蛮行であることをはっきり言わせている。
 
 今日的な議論をかなり包含していて、なかなか興味ある一作と言って良いだろう。ただ、何故かなかなか上映されていないようであるのは残念である。

サヨンの鐘(松竹京都1943年)

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サヨンの鐘

 清水宏監督の戦時中の作品。ホームグラウンドの大船ではなく、京都の撮影所の作品というのは何か暗示的ではある。既に大船には居づらい状況になっていたのかもしれない。
 
 1943年と言えば、日本の戦局は厳しくなった頃である。映画ではしきりに植民地の日本化に沿ったものが作られていた。これもその一つ。台湾の蕃社の民族が日本語を徹底的に叩き込まれるところが出てくる。だが、清水監督はあまり声高に台詞を言わせず、例のごとく子供たちを遊ばせるような捕り方をしている。俳優も半分は素人のような感じではある。かなりのどかな感じであるのが、救いではある。
 
 ただ、今の我々は1930年に「霧社事件」が起きているのを知っている。台湾の部族が日本の支配に馴染めず、叛乱を起こして、日本人を殺傷した事件である。この映画のように、いつも友好的だったかは割り引いて観る必要はある。こういう映画でも日本人の上から目線を感じる。そういう日本人の態度を永井荷風が「断腸亭日乗」の中で厳しく指摘しているのを思い出した。
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