Quantcast
Channel: 趣味の部屋
Viewing all 1029 articles
Browse latest View live

「皇帝のいない八月」BD盤

$
0
0
 これもBD盤についての感想である。映画自体は既に記事にしているので重複は避ける。今回、VHSやDVDとの比較になるが、暗い場面になった時に、黒く潰れて何がなんだかわからないものがあった。殊にレンタルのVHSはひどく観られたものではなかった。今回BD化でかなり改善された。冒頭、パトカーの警官が銃撃されるシーン。直前の二人の警官が驚きの表情するところがはっきりとわかる。以前はそれが不鮮明だった箇所だ。
 
 ステレオ音声でないという不満もあるようだが、まずはこうしたいい状態に甦ったことはファンとして喜びたい。
 

桃太郎 海の神兵(松竹1945年)

$
0
0
 
 これは1945年4月15日に公開されたアニメーションである。割とスムーズに絵が動いているのは驚きである。内容は明らかにインドネシアを占領して、日本化するということを表している。敵は鬼だが、白人であり、英語を喋るし、角もあるのが御愛嬌だ。ユーモアが不足して真面目すぎるが、戦時中に既にこうした技術があったことは驚異であると思う。もっともアメリカのディズニー作品に比べたら、差異は相当ある。スタッフは戦地で接収したフィルムの中にあった「ファンタジア」を観た人がいたという。カラーでかつ、アニメーション技術の高度なのに、驚いたという。そこで、アメリカとの戦争は勝てないと悟ったようだ。それは「風と共に去りぬ」を観た人たちと同意見だったようだ。
 
 ここでは殆どが擬人化した動物たちが、やっているのでファンタジー的な面はある。手塚治虫は公開当時観ていたいう。それを「ジャングル大帝」に反映したと言われる。作品の中で、「アイウエオの唄」があるが、似たような唄が「ジャングル大帝」にあるのは、この作品へのオマージュなのだそうだ。
 
 この作品が直接戦後の東映動画に繋がっているかは不明だが、クールジャパンの根っこを観る思いがした。

情婦(ビリー・ワイルダー)(アメリカ:ユナイト1957年)

$
0
0
 この作品は数年前に「午前十時の映画祭」でスクリーン鑑賞した。また、最近BSイマジカで放映されて、フル画面だったので、ディスクに落としたところだ。
 
 最後にまだ観ていない人に結末を言うなとのナレーションが入るが、まさかのエンディングがあって、最後まで目が離せない。アガサ・クリスティの小説の映画化だが、ブリー・ワイルダー監督の職人芸が光る作品でもある。主人公は弁護士役のチャールズ・ロートンと言っていいだろう。威厳はあるが、どこかとぼけたところがあって、面白い人物。病気持ちでスーパーマンではないところがいい。マレーネ・ディートリヒの役者ぶりも見ものだ。それに比べてタイロン・パワーは二人に食われた形で割をくったような形だった。
 

フランス映画社破産

$
0
0
 高倉健の訃報の後、このニュースである。こちらは、時流に乗れず苦戦の末、力尽きたようだ。ファンには寂しいニュースが続く。

全盛期のフィラデルフィア管ならではの黄金の色彩感が発揮された「幻想」他

$
0
0
【曲目】
[DISC 1]
ベルリオーズ:
1. 幻想交響曲作品14
イベール:
2. ディヴェルティスマン(付随音楽「イタリアの麦藁帽子」より)
3. 寄港地
[DISC 2]
ベルリオーズ:
4. 交響曲「イタリアのハロルド」
5. 歌劇「トロイ人」より行進曲
フォーレ:
6. パヴァーヌ作品50
ルーセル:
7. バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第2組曲

【演奏】
4. ジョゼフ・ド・パスクワーレ(ヴィオラ)
フィラデルフィア管弦楽団
指揮:ユージン・オーマンディ
【録音】
1960年12月14日、ニューヨーク、マンハッタン・センター(1)
1963年1月20日&22日、フィラデルフィア、アスレチック・クラブ(2)
1960年11月20日、フィラデルフィア、ブロードウッド・ホテル(3)
1965年1月21日、フィラデルフィア、タウン・ホール(4)
1968年1月27日、フィラデルフィア、タウン・ホール(5)
1968年3月6日、フィラデルフィア、タウン・ホール(6)
1960年5月1日、フィラデルフィア、ブロードウッド・ホテル(7)
 
 タワーから米コロムビア時代のオーマンディ&フィラデルフィアの録音が復刻されている。発売当時のLPジャケットも採用されているから、古いファンにはありがたかろう。この中で、後年RCAやEMI、テラークに再録されあものも多いが、中には唯一というのもある。「イタリアのハロルド」がここではそうである。
 
 日本では結構小品の大家とか、協奏曲の大家と皮肉交じりに評価されていたが、このラインナップを見ると60年代では決してポピュラーではなかった作品が並んでいる。それも豊饒なサウンドで聴かせてくれて、彼らなりに消化している感じである。やはり、凄い楽団であり、指揮者であったことを認識させられる。「幻想交響曲」は彼らの十八番だそうだが、ここではスタンダードな楽譜で割と鋭角的な演奏ではあった。

高倉健

$
0
0
高倉 健
 訃報が公になって、各種その人となりや、出演した作品のことが大いに報道された。今少し落ち着いてきたというところか。謂わば、古いタイプの撮影所出身のスターであった。
 
 デビュー当初の作品を観ると普通の二枚目という感じであった。任侠ヤクザのイメージは当然ない。60年代に入ってからは、専属の東映がギャングものや任侠ものを制作するようになって、そういう主役を務めるようになって、この人のイメージが定着したように思う。その間にも内田吐夢監督による「宮本武蔵」において佐々木小次郎に扮したり、「飢餓海峡」においてキャリアのエリート刑事に扮してはいた。深作欣二監督の「狼と豚と人間」や「ジャコ萬と鉄」も任侠路線とは異なった役柄ではあったが、概ねヤクザの役柄ばかりだったと思う。
 
 転機は東映を退社してフリーになった時。山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチ」では東映の路線を薄っすらと継承しつつも、実直で優しい人間像を演じていた。ここらあたりから、任侠の世界ではない人物もやるようになって、いろいろな映画ファンにも観られるようになったのではないか。じっと耐えて、余計なことを言わない男の硬派なイメージがファンを惹きつけたが、実際はよく喋る人だったようだ。また、プライベートを一切明かさない人でもあった。
 
 印象としては、決して演技がうまくはなく台詞廻しも流暢ではなかった。上記の佐々木小次郎はやはり時代劇馴れしていないこともあって、いささか生硬な感じがした。ただ、任侠のキャラクターに完全染まってしまうのに焦りを感じていたようで、いろいろな試みしている。「ゴルゴ13」や「新幹線大爆破」の主演はその表れのようだが、成功はしていない。やはり東映を離れた後の諸作から存在感が増したと言っていいと思う。中には「冬の華」のように古巣でヤクザをやっていたが、かつての恰好をつけた人物ではなく、ヤクザの空しさみたいなものが出ていた。
 
 今は旧作を観て個人をそっと偲ぶのがいい。歯の浮いたようなお追従は故人がもっとも嫌がることではなかろうか。

サヴァリッシュ/シューベルトの宗教作品

$
0
0
【曲目】
シューベルト:
① ドイツ・ミサ曲 D872
② サルヴェ・レジナ D379
③ 詩編 23 D706
④ 詩編 92 D953
⑤ 聖霊讃歌 D948
⑥ ミサ曲第2番ト長調 D167
【演奏】
ルチア・ポップ (ソプラノ)(D167)
アドルフ・ダッラポッツア (テノール)(D167)
ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ (バリトン)(D953,D167)
カペッラ・バヴァリエ (D706,D953)
ヴォルフガング・サヴァリッシュ (指揮&ピアノ) バイエルン放送交響楽団&合唱団
 
 一般にシューベルトは歌曲王として知られているが、オペラも書き、このような宗教曲も発表している。あまりの抒情性が強いのか、オペラは緊張感がなく、成功していない。宗教曲も同じ声楽ながら、あまり知られていないのが実情だろう。詳しいことは知らないが、彼の宗派はプロテスタントなのかもしれない。ブラームスの「ドイツ・レクイエム」同様に①のような作品はそれを如実に反映しているのではなかろうか。
 
 実は合唱なさっているブロ友の方からの紹介があって、最近知った作品でもある。しかも、伴奏は弦楽器を欠いた編成で金管が主体となっているというので、いやが上にも興味を持った。あくまで楽器は合唱の保持に徹している扱いだが、こうした音が出せるのが一種のあこがれでもある。実に美しい音楽である。弦楽器が入らない分、大甘になっていないのもいい。後は⑥を他盤で聴いた以外は知らない作品ばかり。アカペラだったり、ピアノ伴奏だったりと形態が多様で、キリスト教徒でない者にはちょっと馴染めないところもある。

ムーティ指揮シカゴ響/プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」

$
0
0
プロコフィエフ:バレエ「ロメオとジュリエット」組曲第1番op. 64bis、組曲第2番op. 64terより(10曲)
【曲目】
モンタギュー家とキャピュレット家
少女ジュリエット
マドリガル
メヌエット
仮面
ロメオとジュリエット
タイボルトの死
僧ローレンス
別れの前のロメオとジュリエット
ジュリエットの墓の前のロメオ

【演奏】
リッカルド・ムーティ(指揮)
シカゴ交響楽団

【収録】
2013年10月3、5、8&11日/シカゴ、シンフォニーセンター、オーケストラ・ホール(ライヴ)
 
 最近は音楽を聴く形態も変化があって、なかなかパッケージものがリリースされない。今や指揮の重鎮となったムーティも記事でその動向を知るのみで、新しい録音が少ない。フィラデルフィアに次いでのアメリカのメジャー・オーケストラであるシカゴ交響楽団の定期演奏会からのライヴとして、数点出てきた中の一つである。ヴェルディの「オテロ」とレクイエムに次ぐ第3弾。フィラデルフィアとの録音もあるが、そちらは所持していない。この人の十八番の一つだそうだ。
 
 ややゆっくり目のテンポで、「モンタギュー家とキャピュレット家」では話の裏側にある両家の対立は実は人間の醜さを強調したような解釈で、グロテスクさを強調しているように感じる。わざと無機的パッセージもあったりして、プロコフィエフが物語を冷徹にみているように思うのだが、それがクッキリと現れた演奏ではなかろうか。
 

CBS時代のオーマンディによるR.シュトラウス作品集①

$
0
0
【曲目】
R.シュトラウス:
[DISC 1]
1. 交響詩「英雄の生涯」作品40
2. 組曲「町人貴族」作品60
[DISC 2]
3. 歌劇「ばらの騎士」組曲
4. 楽劇「サロメ」より 7枚のヴェールの踊り
5. ピアノと管弦楽のための「ブルレスケ」二短調
6. ホルン協奏曲第1番変ホ長調作品11

【演奏】
1. アンシェル・ブルシロウ(ヴァイオリン)
2. アンシェル・ブルシロウ(ヴァイオリン)、サミュエル・メイズ(チェロ)、ウィリアム・スミス(ピアノ)
5. ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
6. メイソン・ジョーンズ(ホルン)
フィラデルフィア管弦楽団
指揮:ユージン・オーマンディ

【録音】
1960年1月15日、ニューヨーク、マンハッタン・センター(1)
1965年2月13日、フィラデルフィア(2)
1964年2月12日、フィラデルフィア、タウン・ホール(3)
1962年11月15日、フィラデルフィア、タウン・ホール(4)
1966年2月3日、フィラデルフィア、タウン・ホール(5)
1966年6月18日、フィラデルフィア、タウン・ホール(6)
 
 ベルリオーズなどのアルバムと同時にタワーによって復刻されたアルバム。この中で「英雄の生涯」と「ばらの騎士」は彼らの十八番で何回も録音されているようだが、RCA時代はともかく、このCBS録音の存在は今回初めて知った。やはり、以前はせいぜい17cmLPや45prmに収録されるような小品ばかり目にしていたせいで、このような大曲は知らなかったようである。また、コロムビアにはワルターやバーンスタインといった「ライバル」もあって、少々割を喰った不運もあったのだと思う。
 
 このシリーズは演奏もさることながら、フィラデルフィア管弦楽団に詳しい市川幹人氏の解説である。ソロをしている人物を具体的にあげて、どういう過ごし方をしたのかまで記載されている。

CBS時代のオーマンディ&フィラデルフィア/R.シュトラウス作品集

$
0
0
R.シュトラウス:
[DISC 1]
1. 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30
2. 交響詩「ドン・キホーテ」作品35
[DISC 2]
3. 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」作品28
4. 交響詩「ドン・ファン」作品20
5. 交響詩「死と変容」作品24

【演奏】
2. ローン・ムンロー(チェロ)、カールトン・クーリー(ヴィオラ)
フィラデルフィア管弦楽団
指揮:ユージン・オーマンディ

【録音】
1963年2月3日(1)、1961年2月26日(2)、1963年11月13日(3)、フィラデルフィア、タウン・ホール
1960年1月31日(4)、1959年12月21日(5)、フィラデルフィア、ブロードウッド・ホテル
 
 一流オーケストラの首席奏者ともなると、指導を受けた師匠も凄い人だったりする。ここでソロを務めているローン・ムンローはピアティゴルスキーの門下の名手だという。この録音の翌年にはバーンスタインに乞われてNYPの首席に転じる。バーンスタイン/NYPも「ドン・キホーテ」を録音した時にソロを担当している。ヴィオラのクーリーはNBC交響楽団の首席から転じた人。トスカニーニによるベルリオーズの交響曲「イタリアのハロルド」のソロはこの人だった。
 
 こうして奏者の名前が出てくるというのは、他の録音との繋がりもわかって、関連の楽しみが増える。それにしても、CBS時代にもこのコンビはR.シュトラウスの作品を結構録音していたことがわかる。如何に自分が片寄った知識しか持ち合わせていなかったが、わかるというものである。

プロメテウス~ヴォルフ管弦楽伴奏歌曲集

$
0
0
プロメテウス〜管弦楽伴奏歌曲集 バンゼ、ヘンシェル、ナガノ&ベルリン・ドイツ響
ヴォルフ:
①メリーケの詩による歌曲集
・思っておくれ、おお心よ
・祈り
・古い絵に
・眠る幼な児イエス
・聖週間
・明け方に
・火の騎士
・新しい愛
・どこに慰めを求めよう
・ため息
・ヴァイラの歌
・眠りに
・彼が来た(春だ)
②スペイン歌曲集
・花を摘みに行くなら
・私の巻髪に包まれて
・優しい恋を失った人は
・心よ、がっかりするのはまだ早い
③ゲーテの詩による歌曲集
・ミニヨン
・ねずみ捕りの男
・竪琴弾きの歌 1
・竪琴弾きの歌 2
・竪琴弾きの歌 3
・アナクレオンの墓
・プロメテウス
ユリアーネ・バンゼ(S)、ディートリヒ・ヘンシェル(Br)
ケント・ナガノ指揮 ベルリン・ドイツ交響楽団 ベルリン放送合唱団
 
 ヴォルフというとその作品の殆どは歌曲である。したがって、あまり興味ある領域ではなかった。しかし、このようにいくつか自身で伴奏部をオーケストレーションをしているとは、知らなかった。マーラーとは同い年の人で、大のワグネリアンだった。方向性の異なるブラームスの作品は徹底的にこき下ろしたりしていたという話もよく聞いた。
 
 ヴォルフが手掛けた管弦楽曲は「ペンテレジア」といった交響詩くらいしか知らない。やはり、ワーグナーのような響きだったと思う。これらは、本来ピアノ伴奏であって、素人の私にはなかなかワーグナーの影響がすぐにはわからないのだが、こうして管弦楽になおしてくれると、響きはワーグナーと同じ志向ということがわかる。マーラーよりも、影響は濃いような気がする。主人公の歌の部分にも言及すべきだろうが、どうしてもバックのオーケストラが気になってしまう。このアルバムでは「火の騎士」は合唱曲だった。またヘンシェルは幾分フィッシャー=ディースカウのような声をしていて驚いた。

フィビヒ:交響曲第1番、組曲『故郷の印象』

$
0
0
フィビヒ:
①交響曲第1番ヘ長調 Op.17
②管弦楽組曲『故郷の印象』 Op.54
 第1楽章:月の光
 第2楽章:田舎の踊り
 第3楽章:ハイランド・ホー
 第4楽章:炉端でのお話
 第5楽章:村の踊り
マレク・スティレック指揮 チェコ・ナショナル交響楽団
 
 フィビヒは名前のみ聞いたことがある作曲家で、実際に聴くのはこの盤での鑑賞が初体験になる。母親がドイツ人でライプツィヒ音楽院で学んでいるので、どうしてもドイツ・ロマン派の系列の音楽になっている。1850年に生まれ、1900年に没しているので、もっと刺激のある音楽なのかなと思ったら、メンデルスゾーンやシューマンの作風に近い保守的なものだった。そして、そこに自国の要素を少し足したような感じの箇所もある。ドヴォルザークやスメタナなどの先達とは色合いが異なる。
 
 交響曲は4楽章制のごくオーソドックスな作品。シューマンのようなテイストだ。まだ②の組曲の方が、この人の独自性が感じられる。
 
 オーケストラはかつてビクターあたりではチェコ国立交響楽団という表記をしていた団体のようだ。

ヒトラーの第9/フルトヴェングラー

$
0
0
ベート^ヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ブルーノ・キッテル合唱団
エレナ・ベルガー(S)、ゲルトルーデ・ピッツィンガー(A)、ヘルゲ・ロスヴェンゲ(T)、ルドルフ・ヴァツケ(B)
1942年4月19日 旧フィルハーモニー、ベルリン(ライヴ)
 
 これが曰くつきの第9のライヴ録音。原盤はロシアのVENEZIAとの表記がある。ラジオ中継もあって、エアチェックした人がいたらしく、今日になっても聴かれるとされているものだ。
 
 この約1ヶ月前にも一部ソロ歌手が異なるが、オケもコーラスも同一で第9が演奏されている。そちらは、旧ソ連のメロディアやEMIから出ていたので、よく知られていた。実はこれは4月のと同じではないかという人もしたが、今回聴いてみると3月の演奏のものとは、やや違って聴こえる。強いて言えば、こちらの方がやや粗い感じがする。戦時中のことで、社会情勢が不安になっているのは同じだが、こちらはヒトラーの誕生日を祝うようにゲッペルスから半ば強要されたものだ。そのせいか、やけになって振っている感じもある。この時、肝心のヒトラーは会場にはおらず、官邸に篭っていたそうだ。ゲッペルスの演説の後に、前プロとしてバッハの管弦楽組曲のアリアが演奏されて、その後にこの第9が鳴ったという。これが戦後、ナチスに協力したという証拠にされて、フルトヴェングラーは窮地に立たされたという。
 
 さて、中身自体は、会場のざわつきに始まり、拍手で指揮者登場のシーンから収録されている。もちろん後の拍手も入っている。演奏中、案外会場内のノイズが聞き取れる。今のデジタル録音と比較したら貧弱な音だが、70数年前にしたら、いい状態である。フィナーレの過度なアッチェルランドはバイロイトでのライヴにもあるが、ここは乱暴なまでに速い。3月の演奏よりも凄まじく感じる。怒っていたのだろうか。解説も楽曲そのものよりも、演奏に至る経緯が詳細に書かれている。音と解説で十分かつ貴重な歴史的資料である。
 
 なお、表表紙の写真は最前列にヒトラーに頭を下げたような光景だが、この演奏会よりも数年前のもののようだ。また、この演奏の最後の部分は記録映画にも収録されているという。実際にその一部分を観たこともあるが、専ら音楽にだけ集中しようとしている指揮者と楽員の姿が如実に映っていたのを覚えている。

マニフィカト、詩篇第9番 ノセダ&トリノ王立歌劇場管弦楽団

$
0
0
ペトラッシ:
1. マニフィカト(世界初録音)
2. 詩篇第9番

サビーナ・ツヴィラク(ソプラノ:1)
ジャナンドレア・ノセダ指揮 トリノ王立歌劇場管弦楽団・合唱団
 
ダラピッコラ、シェルシと共に20世紀中期~後期のイタリア作曲家で中心的な役割を担ったペトラッシ。ストラヴィンスキーからの影響と全音階主義を感じさせる『マニフィカト』(1934~36)と『詩篇第9番』(1939~40)は、中世、ルネサンスのポリフォニーと近現代的なハーモニーを結び付けたペトラッシ初期の代表的作品です。ソプラノ、合唱とオーケストラという編成を持つ世界初録音の『マニフィカト』に対し、『詩篇第9番』の編成は2パートの合唱、弦楽オーケストラ、金管楽器、打楽器、ピアノ。(発売元・東京エムプラスの紹介文から)
 
 
 まず、ゴッフレッド・ペトラッシ(1904-2003)という作曲家はこの盤で初めて知った。個人的には冒険ではある。現代作曲家の部類に入るので、難しいのかなと思ったら、案外メロディが流れる。ハーモニーなんかはやはり現代曲を感じさせるものがあって、新旧がミックスしたような感じだった。ストラヴィンスキーの影響とあるが、新古典主義になってからのものから影響かもしれない。前者は大管弦楽、後者は木管セクションが欠けた編成で逆にピアノが2台使われていて、これがまた独特な響きになる。
 
 

座頭市のブルー・レイ盤(アメリカ製)

$
0
0
 これは映画評というよりもディスクの収録状態の報告の色合いが強い。黒澤作品で何かBDをと思っていたら、こういう商品にもヒットした。1962年の第1作から11年間続いて製作された勝新太郎のシリーズのBDである。しかもアメリカからの逆輸入盤である。
 
 まず、収録状態はかなり良好である。しかも、ボタン操作で、英語字幕は簡単に消すことができる。そして、後半の作品は、版権の移動があったりしてなかなか複雑な中、会社のロゴなどはオリジナルのままになっている。(国内盤のDVDもそのようになっているが)カラー作品は人間の肌の発色がはっきりとしていてみやすい。モノクロ作品は輪郭がくっきりとしている。BDには3作品ずつ時系列順に収録され、最後の25作目の余白には予告編がまとめて収録、他にアメリカの専門家による分析の記録映画がついている。このBOXは通常のDVDも付いているが、リージョン1のもので、国内のプレーヤーではかからない可能性がある。(BDがあれば不要)予告編が本篇と離れて収録されているのがやや不便であるのと、英語字幕が消せないのが、難点といえば難点であった。

菅原文太逝く

$
0
0
 高倉健に次いで、菅原文太が亡くなった。癌を患っていたのを公表していて、第一線からは退き、農業に従事していたことは知っていた。同じ俳優だった息子に先立たれ、急速に元気を無くしたようであった。
 
 東映時代の諸役がたいへん印象に残っているが、最初は長身を生かしてモデルだったという。そして新東宝に入社して映画界に入る。新東宝が経営破綻した後は松竹に転じる。松竹ではあまり目立った印象がない。ただ、木下恵介監督の「死闘の伝説」では横暴な地主の息子役で徹底した敵役だった。酔って撮影所を歩いていたところを木下監督の目に止まっての出演だったらしい。「香華」にも青年将校役で起用されていた。70年代に入って、「仁義なき戦い」や「トラック野郎」のシリーズもので人気者になった。高倉健が少し古い任侠もののスターなら、こちらは実録やくざもののスターというイメージだった。
 
 正直、東映時代の諸作はそう熱心に観ていない。むしろフリーになって、市川崑監督の作品や「千と千尋の神隠し」の声の出演などが印象に残る。高倉健とは2歳若い。資質も全く異なる俳優だった。80歳超えていたので、こういう時を迎えるのは、自然の成り行きではあるが、やはり寂しいものを感じてしまう。
イメージ 1

高倉健と菅原文太

$
0
0
img20050319_1.jpg
 
 ここのところ相次いで亡くなった高倉健と菅原文太は共に東映の看板俳優だった。二人とも任侠映画のスターとの表現があるが、肌合いは全く異なるような感じがする。
 
 高倉の方は、まさに任侠映画でスターだった。フリーになった後も寡黙な印象が強い。それから晩年になってプライベートは一切明かさず、世間と断絶したような感じだった。珍しくテレビ朝日の「SMAステーション」の生放送に登場した折も、オフの時は何をしているのか、という問いにも、教えませんと言うだけだった。人見知りの強い人だったようだが、気を許した人にはよく話しかけていたという。
 
 一方菅原の方は、任侠スターとはやや違う。確かに任侠映画にも出演していたが、それらは脇役が多かったように思う。東映が任侠ものから実録ものに路線を変えた時に、スターになったという感じだ。もっとリアルな感じで本当に義理人情の世界とは無縁の世界の住人というイメージではあった。トラック野郎シリーズといったコミアルなものもあったが、恐い感じのキャラクターである。その実録ものも終焉すると、やはり東映を離れる。そして、逆に落ち着いた役柄が多くなる。市川崑監督の「映画女優」では巨匠・溝口健二監督をモデルにした映画監督役を堂々と演じていた。他に一見恐そうな感じだが、実は優しい老人なども演じていたように思う。役者は引退したが、逆に社会に向かって積極的に発言する姿を見ると、本質的にインテリだったなと気づかされる。
 
 昭和一桁までの生まれの俳優さんたちは、たいへん個性的な人が多い。まだ何人かは現役で頑張っておられるが、こうやって続け様に訃報に接すると「昭和」が一段と遠く感じて寂しい。

世界の車窓から

$
0
0
 テレビ朝日系列で流れる短時間の「鉄道紀行」番組だ。鉄道ファンのみならず、沿線の風景などが楽しく、心休まる番組であると思うが、これが意外にも地域によっては放送が打ち切られてしまっているところが多いようだ。首都圏の放送がオンタイムということなら、関西圏や中京圏は何週間か遅れての放送のようだ。北海道や福岡、中国地方の地上波は放送していない。
 
 以前なら「朝日ニューススター」というCSチャンネルでまとめて放送していたが、「テレビ朝日チャンネル」になってからは、見かけなくなった。そうしたら、やっとBS朝日で23:54~0:00の枠で週3回(火、木、金)で放映していることがわかった。時間にして正味2分程度。しかし、それがいい。特にヨーロッパあたりのものが気に入っている。石丸謙二郎の落ち着いたトーンの語りがこれまたいい。

雁(豊田四郎)(大映東京1953年)

$
0
0
雁 [1953]
 
 大映には森鴎外原作の「雁」の映画は二つあるが、これは古い方の豊田四郎監督作品である。不本意に高利貸の妾になった女が帝大生の秀才に淡い恋心を描くも結局かなわないというもの。まだ貧しかった明治時代の哀れな市井人たちの営みを、丹念に描いたのがこの映画の特長である。それはちょっと聴くと優しげな團伊玖磨の音楽が効果をあげている。
 
 これは円熟期の豊田四郎監督の手腕、成沢昌茂の巧みなシナリオ、名キャメラマン三浦光雄、大きなセットを使って明治の界隈の雰囲気を再現した伊藤熹朔と木村威夫の腕も相まって、仕上がった映画である。原作も読んだことはあるが、これといった起伏のある小説ではない。全てしがらみの中で精一杯生きている人たちがけなげに見える。敵役であるはずの高利貸の男ですら、そんな感じを持つ。この味わいは1966年の再映画化作品ではないものである。
 
 ヒロインが思慕する学生はドイツ留学が決まって、手の届かない存在になってしまう。ヒロインは結局の諦めの境地になって映画は閉じる。ラストシーンは雁が飛び去るのを見つめるヒロインのアップだったと思う。雁は自由に空を飛んでゆく、それとは違う境涯をかみしめるようである。
 
 学生役の芥川比呂志はちょっと原作とはイメージが違うようだ。また、彼にしろ、学友役の宇野重吉にしても、学生にしては歳をくった感じだ。

菅原文太追悼文~中島貞夫監督(日本経済新聞・文化欄)

$
0
0
 今朝の日本経済新聞の文化欄に中島貞夫監督の菅原文太の手記が載っていた。要するに彼が目指していたのは「アンチ任侠」だったという。とすれば鶴田浩二や高倉健が主演していた映画とは全く別の方向性だったということだ。先に亡くなった高倉健と対立はしてなかったのだろうが、積極的に接近していたわけでもないように思う。それを「任侠二大スター」と一絡げに出す新聞の見出しに違和感を覚えていたが、この一文で少し溜飲が下りた。
 
 東映に移った後も鳴かず飛ばずの状態だったとある。中島監督との初仕事は「日本暗殺秘録」でのテロリスト・朝日平吾役だったという。財閥の当主・安田善次郎を平然とその自宅で殺害する役だった。これが妙にはまっていた印象がある。ある程度名が売れたら、それこそ必死にやっていたのが、伝わっていたという。長身・細身で眼だけは鋭かったという。凶暴的面が「仁義なき戦い」で、漂々とユーモラスな部分が「トラック一番野郎」とあったが、まさしくその通りだと思った。
 
 
 
 
 
 
 
 
Viewing all 1029 articles
Browse latest View live