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氾濫(大映東京1959年)

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氾濫
 
 伊藤整の小説の映画化。研究一筋の技師はその功績で重役に抜擢されるが、妻がピアノ教師と不倫、娘もその技師に近づいた大学助手と行くところまで行く。本人も戦時中に懇ろになった女性が近づく。そういう人間関係を増村保造監督らしいドライでかつスピーディに描く。日本映画にしては珍しいイタリア映画風な味わいのする作品である。
 
 登場人物はどれも自分本位で倫理観がどこか欠如しているような人たちだ。主人公の技師の務める会社の社長は、これまた経営者としてはあるまじき姿勢で、利用するだけ利用し、部下は奴隷と思っている。儲かれば何をやってもいいという男だった。しかし、他の人物は大なり小なり似たような人物ばかりである。タイトルはそうしたモラル欠如の氾濫という意味合いであろう。

プーランク:歌劇『カルメル会修道女の対話』(ハンブルク国立歌劇場)

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 フォルス侯爵:ヴォルフガンク・シェーネ(バリトン)
 ブランシュ:アレクシア・ヴールガリドゥ(ソプラノ)
 騎士フォルス:ニコライ・シューコフ(テノール)
 マダム・ド・クロワシー:キャスリン・ハリーズ(アルト)
 マダム・リドワーヌ:アンネ・シュヴァネヴィルムス(ソプラノ)
 マザー・マリー(副修道院長):ガブリエーレ・シュナウト(メゾ・ソプラノ)
 修道女コンスタンス・サンドニ:ヤーナ・ビュヒナー(ソプラノ)
 ハンブルク国立歌劇場管弦楽団&合唱団
 シモーネ・ヤング(指揮)

 ニコラウス・レーンホフ(演出)
 ライムント・バウアー(舞台装置)
 アンドレア・シュミット=フッテラー(衣装)

 収録時期:2008年
 収録場所:ハンブルク国立歌劇場(ライヴ)
2008年ハンブルク国立歌劇場での上演をライヴ収録。指揮はブルックナーのすばらしい演奏で大人気の女性指揮者シモーネ・ヤング、演出は高名なニコラウス・レーンホフが担当。衣装デザインはケント・ナガノの『パルジファル』や、シュレーカー『烙印を押された人々』が印象的だったアンドレア・シュミット=フッテラーです。
 名前ばかり有名で実際にはあまり聴かれていないオペラというのはけっこうたくさんあるものですが、この作品などはその代表格と思われるのでまず筋書きを簡単にご紹介いたします。

【あらすじ】
俗世の生活に嫌気がさした公爵令嬢ブランシュは、家族の反対を押し切って修道院に入ります。やがて政府によって一切の宗教活動が禁止され、悲嘆にくれる修道女たちは、殉教、つまり自ら命を絶つことを決意しますが、まだ新米修道女のブランシュにはそれほどの覚悟はもちろんなく、恐怖にかられて逃げ出してしまいます。
 ほどなく修道女長のマリーが現れ、ブランシュに対し皆と運命を共にするように促しますが、まだ不安に怯える彼女はそれを拒みます。やがてほかの修道女たちは牢獄に囚われて死刑を宣告され、15人の修道女が次々に広場のギロチンにかけられて処刑されてゆくのですが、それを見守る群衆の中にいたブランシュは、目の前の惨劇についに宗教に殉ずる決意が固まり、自らも断頭台の上にあがってゆくというなんとも凄まじい結末です。
 さらに驚くのは、これが実話に基づくストーリーだということでしょう。

【きっかけは友人の事故死】
友人の自動車事故死をきっかけに宗教に目覚め、以後、世俗音楽と宗教音楽の両方に優れた作品を書いたプーランクですが、この作品は両者を統合している点で、そうしたプーランクの流儀の頂点をきわめたものと言われます。
 深くしかも透明な悲しみが独特の世界を描き出したこの傑作には、そうしたプーランクの人生の哀しみと、実際の悲劇への深い共鳴があったに違いありません。
 パッケージだけを見ると、日本語字幕の表示がなく、英語字幕で観るかと字幕をクリックすると日本語とあってまず安堵した。舞台は極めてシンプルで余分なセットはない。男性の服装が1780年代には見えず、19世紀末のような感じの他は違和感もない。惜しむらくは、ヒロインのブランシュがややトウがたったようでイメージから外れる。
 
 どうも同じ演目を執拗に追いかけるクセがあって、カウントしたらこれが3種目のソフトということになる。今回はオーストラリア出身の女流指揮者シモーネ・ヤングが指揮するということに注目した。彼女の振るブルックナーは聴いたことはないが、この歌劇場でのプフィッツナーの歌劇「パレストリーナ」の見事な指揮ぶりに感心したので、興味を惹いた。ドイツものではなく、フランスものだが、ドビュッシーやラヴェルのような肌合いではない。宗教関連なので、コラールがたくさんあって、それが厳かにきれいに鳴るのだ。
 
 場が改まるとト書きがドイツ語で表示される。むろんこれも日本語字幕が付く。したがって筋が明確になるのはありがたいと思った。

コメットさん(国際放映1967~1968年)

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コメットさん.jpg
 
 「コメットさん」のドラマは二つの版があるが、今回取り上げるのは古い方である。1967年7月3日から68年12月30日にかけて、TBS系で放映された。全部で79話で最初の19話はモノクロ作品で、後はカラー作品となっている。ヒロインとお手伝いに入る家庭の兄弟の子役は全話同じだが、後半49話から両親が変更になっている。
 
 さて、放映当時は家にはモノクロTVしかなく、全てモノクロで観ている。また初回の発端篇は観ておらず、途中から観て面白いと思って熱心に観ていた記憶がある。子供の頃、さしてスタッフや俳優のことなどは気にもとめなかったが、今見返してみると、なかなか錚々たる人たちが関わっていることがわかった。まず、初期の主題歌は作詞が寺山修司、作曲が湯浅讓二であった。どちらも後にビッグ・ネームの人たちだ。シナリオ担当の中には、市川森一なども参加している。また、演出も中盤は中川信夫などが担当している。中川監督は新東宝で怪談映画で有名だが、その会社のスタジオでこういう作品にも関わっていたとは驚きだった。他に大槻義一監督は木下恵介監督の門下で「二十四の瞳」では、役者としても出ていた。この作品はアニメと実写の融合作品だが、特撮は大映でガメラなどを製作した築地米三郎が担当しているのも目を惹く。
 
 脇役も斎藤達雄、杉狂児、原緋紗子といった戦前からベテランが登場したり、藤山直美が子役として出ていたりする。上述のように途中で住み込み先が変更になっていて、前の家庭はなかったことになったという設定だったのは覚えている。また、江戸時代にスリップして水戸黄門となって活躍したエピソードは何故か鮮明に覚えていた。そこに登場した悪代官は東映時代劇で敵役を主に演じていた戸上城太郎だった。両親役は最初が芦野宏と馬渕晴子、後半が伊丹十三と坂本スミ子。
 
 当時26話が主流だった79話で正月も休止することなく放映されているから、かなりの人気作だったと思われる。少女マンガ雑誌に掲載されていたにも拘わらず、男女問わず観ていたように思う。主演の九重祐三子も人気者になって、紅白の司会もこなしていた。しかし、放映終了後、整形手術をしてしまい、その変貌ぶりに大いに失望したものである。いじらなくても良かったのにという思いがした。その後、人気は落ちて表舞台にあまり出なくなってしまった。また、長男役の蔵忠芳は人気子役だったが、長じては体を壊して肝臓癌で夭逝している。その直前に「テレビ探偵団」に顔を出して、ゲッソリやつれた顔を出して、びっくりしたものだ。
 
 このように、かつてのドラマを見直すと新しい発見があるものだ。

ウィーン国立歌劇場でのR.シュトラウス『カプリッチョ』

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・R.シュトラウス:歌劇『カプリッチョ』全曲

 ルネ・フレミング(S 伯爵夫人)
 ボー・スコウフス(Br 伯爵)
 ミヒャエル・シャーデ(T フラマン)
 マルクス・アイヒェ(Br オリヴィエ)
 クルト・リドル(Bs ラ・ロシュ)
 アンゲリカ・キルヒシュラーガー(Ms クレロン)
 ミヒャエル・ロイダー(T トープ氏)
 イリーデ・マルティネス(T イタリア人女声歌手)
 ベンヤミン・ブルンス(T イタリア人テノール歌手)
 クレメンス・ウンターライナー(Bs 家令)
 ヨゼフィーネ・ティラー(若い踊り手)
 サミュエル・コロンベ(若い踊り手)、他
 ウィーン国立歌劇場管弦楽団
 クリストフ・エッシェンバッハ(指揮)

 演出・装置・照明:マルコ・アルトゥーロ・マレッリ
 衣装:ダグマール・ニーフィント
 振付:ルーカス・ガウデマク

 収録時期:2013年6月27日
 収録場所:ウィーン国立歌劇場(ライヴ)
(発売元コメント)
R.シュトラウス最後のオペラ『カプリッチョ』に強力な新映像が登場です。2013年6月のウィーン国立歌劇場でのライヴ。2008年新演出の再演とはいえ、かなり力を入れた再演です。
 何といってもルネ・フレミングの伯爵夫人が目玉。彼女の『カプリッチョ』の映像は実にこれで3種目で、いかに当り役か分かるというもの。フレミングならではの神経の行き渡った表現はここでも絶品。彼女と、伯爵のボー・スコウフス、フラマンのミヒャエル・シャーデ、クレロンのアンゲリカ・キルヒシュラーガーは2008年のオリジナル・キャストで、いずれもバッチリの適役。ことにキルヒシュラーガーが準主役を務めるのはウィーンならではの贅沢です。オリヴィエを歌うマルクス・アイヒェは、2012年4月、東京・春・音楽祭でのワーグナー『タンホイザー』で素晴らしいヴォルフラムを歌って絶賛されたことがまだ記憶に新しいところ。そしてラ・ロシュには大ベテランのクルト・リドルが入って脇を締めています。
 指揮は、フレミングとは度々共演しているクリストフ・エッシェンバッハ。彼独自の緻密な美感はフレミングと相性が良いのでしょう。もちろん、ウィーンのオーケストラはシュトラウスに最適です。
 演出のマルコ・アルトゥーロ・マレッリは、名前はイタリア人風ですが、生まれはスイスのチューリッヒでハンブルクなどドイツ語圏の劇場で活躍してきた人。舞台もイタリア的な明るい美感とドイツ的な機能美が融合したものと言ってよいでしょう。
 嬉しい日本語字幕付き。鮮明映像でウィーンのシュトラウスをお楽しみください!(キングインターナショナル)

 ルネ・フレミングはこのオペラを得意としているようで、パリ国立歌劇場の映像も出ていて、それも手許にある。少し映像的な手が加わり、ライヴ感のないものだったが、こちらのウィーンでの最新映像は公演そのものの映像で舞台の雰囲気があって、自分には好ましく感じた。
 
 最初は芸術論争みたいなものがあって、R.シュトラウスの芸術観をまとめたような台詞があって、おもしろかった。絶叫する管弦楽にはウンザリといった内容は自己反省の意味合いがあるのかなと思って、苦笑せざるをえない。
 
 クリストフ・エッシェンバッハは最近ピアニストよりも指揮者の方の活躍が多いように思う。ダニエル・バレンボイムみたいになるのだろうか。フィラデルフィア管弦楽団を指揮したものは何点か所持しているが、今回彼が指揮する姿を初めてまともに観たような気がする。

西河克己監督

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写真:西河克己監督
 
 この監督は1960年代の日活を支えた監督だった。しかし、出発点は松竹大船で、作風は大船調だったのはやはり修行時代からの影響であろう。一般には、吉永小百合や山口百恵といったアイドルを主演にしたものが多く、しかもリメイクものがかなりの割合を占めているのが特徴である。どりらかというと職人タイプの監督で、作家性をあまり打ち出さない監督だった。それでも日活初期の「東京の人」などを観ていると、技量はしっかりした監督だと思っている。
 
 この監督は鳥取県智頭町出身。わずか4歳までしか暮らしてないが、故郷への思い入れは強く、登場人物に街の名前を取り入れたり、島根県が舞台の「絶唱」を鳥取に替えて、しかも二度も映画化していたりする。
 
 山口百恵が起用されたスナック菓子のCMに彼女がこの監督をパーティに呼んだ設定のCM映像を見たことがあるが、極めて温厚そう人に見えた。

旗本退屈男 謎の幽霊船(松田定次)(東映京都1956年)

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 市川右太衛門の十八番、退屈男シリーズにして初めてのカラー作品である。今回は琉球まで足を伸ばし、異国情緒も織り込んでの活劇である。
 
 この映画はやはり御大右太衛門のややオーバーな所作や台詞廻しと殺陣を見る映画だが、カラー化と相俟ってその衣装も一層派手になった。今見ると保存の関係化やや赤味がかった発色になっていて、褪色が進んでいるのは残念である。これを以て、史実がどうのこうのとかいうのは野暮であり、芝居を観て楽しめるか、どうかである。あまり理屈をつけるような観方はしないほうがいいと思う。
 
 この映画の初見は浅草公会堂での上映で、まだ御大は健在でファンの集いが開催され、その折の上映だった。上映に先立って自ら出演のショーなどもあったようだが、当時は映画だけでよいということで、映画鑑賞のみだった。会場に入る前に御大の生の声が聴こえたので、生で見ておけばよかったと後悔したことがある。
 
 映画の冒頭に若い殿様役で江原真二郎の姿がある。この人は京都出身で、最初は京都撮影所でこうした役ばかりをやっていたというが、その中の1本。翌年、東京撮影所に転じて、今井正監督の「米」の主演に抜擢されて、東京撮影所の青春映画のスターになるのはよく知られている。「米」ではわざわざ(新人)と表記されているが、それほどこの映画の当時は目立った存在ではなかったようだ。

旗本退屈男 謎の紅蓮塔(松田定次)(東映京都1957年)

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 前作でカラー化されたと思ったら、またモノクロ・スタンダードの画面に戻った作品。ただし、次からはカラー・スコープ仕様に定着してしまうため、この形式では最後の作品である。巷の資料にはカラーとの表記もあるが、それは誤りである。
 
 今度は地方ではなく、将軍のお膝元での騒動を扱ったもので、月形龍之介扮する怪しげな人物が蠢く活劇になっている。歌手の美空ひばりが出て歌うが、退屈の殿様はやめんかと言って、歌うのを禁じてしまう。総じて、このシリーズは歌や踊りが出てきて、レビューみたいな感じもあるが、やめさせるのはやや珍しい。

Vaclav Neumann - Early Recordings

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<CD1>
ドヴォルザーク:
(1)交響曲第1番 ハ短調 B9「ズロニツェの鐘」[プラハ交響楽団(1957年2月13-15日/ドヴォルザーク・ホール)]
(2)交響曲第4番 ニ短調 Op.13[プラハ交響楽団(1959年11月4-6日/ドヴォルザーク・ホール)]

<CD2>
(1)ドヴォルザーク: 交響曲第2番 変ロ長調 Op.4[プラハ交響楽団(1958年4月9-12日/ドヴォルザーク・ホール)]
(2)ドヴォルザーク: チェロと管弦楽のためのロンド ト短調 Op.94[ヨセフ・フッフロ(Vc)、プラハ交響楽団(1958年4月17日/ドヴォルザーク・ホール)]
(3)グリーグ: 叙情組曲 Op.54(全4曲)[プラハ交響楽団(1961年3月20-21日、30-31日/ドヴォルザーク・ホール)]

<CD3>
(1)チャイコフスキー(ヴァーツラフ・トロヤン編): 四季 Op.37b[映画交響楽団(1953年10月26-27日/ドモヴィナ・スタジオ)]
(2)グリーグ: 「ペール・ギュント」第1組曲 Op.46[プラハ交響楽団(1961年3月20-21日、30-31日/ドヴォルザーク・ホール)]
(3)グリーグ: 「ペール・ギュント」第2組曲 Op.55[プラハ交響楽団(1961年3月20-21日、30-31日/ドヴォルザーク・ホール)]

<CD4>
(1)ルーセル: 交響曲第3番 ト短調 Op.42[ブルノ・フィル(1963年11月4-6日/ブルノ・コミュニティ・ホール)]
(2)ルーセル: 「バッカスとアリアドネ」第2組曲Op.43[ブルノ・フィル(1963年12月13-15日/ブルノ・コミュニティ・ホール)]
(3)メシアン: 異国の鳥たち[イヴォンヌ・ロリオ(Pf)、チェコ・フィル(1966年11月18-22日/ドヴォルザーク・ホール)]
(4)メシアン: 鳥たちの目覚め[イヴォンヌ・ロリオ(Pf)、チェコ・フィル(1966年11月18-22日/ドヴォルザーク・ホール)]

<CD5>
(1)シューベルト: 交響曲第3番 ニ長調 D200[チェコ・フィル(1966年2月28日-3月2日/ドヴォルザーク・ホール)]
(2)シューベルト: 交響曲第8番 ロ短調 D759「未完成」[チェコ・フィル(1966年2月9-11日/ドヴォルザーク・ホール)]
(3)ヴラディミール・ソムメル: 声楽交響曲[ヴェラ・ソウクポヴァー(A)、チェコ・フィル、同合唱団(1964年12月11-14日/ドヴォルザーク・ホール)]

<CD6>
(1)マーラー: 亡き子をしのぶ歌[ヴェラ・ソウクポヴァー(A)、チェコ・フィル(1962年12月3-5日/ドヴォルザーク・ホール)]
(2)マーラー: さすらう若人の歌[ヴェラ・ソウクポヴァー(A)、チェコ・フィル(1962年12月3-5日/ドヴォルザーク・ホール]
(3)マーラー: 美しいトランペットが鳴り響く所[ヴェラ・ソウクポヴァー(A)、チェコ・フィル(1964年12月11-14日/ドヴォルザーク・ホール)]
(4)ボシュコヴェツ: シレンティウム・トゥルバトゥム~アルト、エレキ・ギターと大管弦楽のための[ヴェラ・ソウクポヴァー(A)、チェコ・フィル(1965年8月31日-9月1日/ドヴォルザーク・ホール)]
(5)ドヴォルザーク: 夜想曲 Op.40[プラハ交響楽団(1968年9月9-12日/ドヴォルザーク・ホール)]

ヴァーツラフ・ノイマン(指揮)
 
 ノイマンというと、自国のスメタナやドヴォルザークのほか、ベートーヴェンやマーラーといったドイツ・オーストリアのレパートリーがまず思い浮かぶ。しかし、ここに集められた初期の録音集は、それ以外のフランスものや、レアな珍しいものがあって、目を引く。
 
 ルーセルなんか、ブーレーズのようなフランスの指揮者がやると洗練された音楽に聴こえるが、ノイマンのこの録音ではなんとなく泥臭く、フランス音楽よりはチェコ音楽みたいに聴こえてしまう。一方でメシアンなんかもそつなくこなしている。やはり、先入観をもってはだめだといういい例だ。
 
 チャイコフスキーの「四季」は、ふつうガウクのアレンジが演奏されるが、ここでは初めて目にする名前の音楽家のアレンジである。もっと面白いのはボシュコヴェツの作品。編成の中にエレキ・ギターがあって、響きが少し変わっている。といって作風はやや保守的な感じもする。
 
 とにかく、興味津々のアルバムではある。

ワルター・ヴェラーによるプロコフィエフ:交響曲全集&管弦楽曲集

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交響曲全集、管弦楽曲集 ヴェラー&ロンドン響、ロンドン・フィル(4CD)
【収録情報】
Disc1
プロコフィエフ:
1. 交響曲第1番ニ長調 Op.25『古典交響曲』
2. ロシア序曲 Op.72
3. 交響曲第5番変ロ長調 Op.100

Disc2
4. 交響曲第2番ニ短調 Op.40
5. 交響曲第3番ハ短調 Op.44

Disc3
6. 交響曲第4番ハ長調 Op.112(改訂版)
7. 交響曲第7番嬰ハ短調 Op.131『青春』

Disc4
8. 交響曲第6番変ホ短調 Op.111
9. スキタイ組曲 Op.20
10. 組曲『3つのオレンジへの恋』 Op.33bis
ヴァルター・ヴェラー指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
ロンドン交響楽団(第1番、第5番、第7番)
 
 1970年代半ばのアナログのステレオによるセッション録音。この指揮者はVPOのコンマスを経て、指揮者になった人で、最近はあまり情報に接していないが、1939年生まれだから、今年誕生日を迎えると75歳になる。
確か、単独で来日してNHK交響楽団を振っているのをテレビで見かけたので、名前だけは知っていた。
 
 この録音当時は30代だから、実に若々しい演奏を展開してくれる。ロシアあたりの演奏はまた違う洗練された西欧流の解釈であるが、推進力もある。有名な第5番など機械的な演奏になってしまいがちだが、冒頭からメロディをオーケストラに歌わせている。いいものに出会ったという感じだ。

マルケヴィチ&日本フィルの1980年ライヴから

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①リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェーラザード」          1980.10.17 東京厚生年金会館
②ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」      1980.10.23 東京文化会館
③ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」           1980.11.1 日比谷公会堂
 
 マルケヴィチは日本フィルのために4回ほど、来日しているという。これは最後の4回目にあたる。なお、亡くなる直前の1983年1月にはNHK交響楽団と東京都交響楽団を指揮するために来日、前者はその映像がソフト化されている。後者はそのワーグナー・プロを生で接しているので、自分には思い出深いものであった。
 
 さて、①は名曲コンサートとしてのメインで演奏されたもの。前プロにブラームスのハイドン変奏曲やビゼーの「アルルの女」の音楽が演奏されたようだ。これらも収録して欲しかったのだが、了承が得られなかったのかもしれない。演奏はどうなんだろうと思ったが、意外や豊饒な音を引き出しているのは、厳しい薫陶があったればこそだろうか。後の二つは定演で並べて演奏されているが、違った機会の演奏の収録は何らかの関係者の意思が働いているのかもしれない。
 
 日本フィルはスポンサーの放送局から見放され、また方向性の違いから分裂してしまったオーケストラだった。当時も苦しい運営が続いていたと思うが、それを乗り越えて今も立派に活動しているのは敬服に値する。こういう巨匠の指導を受けたことも大きな財産だと思う。彼らの再建の道のりを描いた映画も作られたのを思い出した。

トリブホーン・シャヒディ:管弦楽曲集

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交響詩「サド」
バレエ「高利貸しの死」(抜粋)
バレエ「シアブシュ」より 若者の踊り
バレエ「ルバイ・ハヤム」(抜粋)
ゲルギエフ/ロンドン交響楽団
クラリネット協奏曲(イーゴリ・フェドトフ独奏)
交響的絵画「ダリウス」
マーチ
ゲルギエフ/マリインスキー劇場管弦楽団
 
 これは商工中金から送られてくる「商工ジャーナル」のコラムで紹介されたものである。ゲルギエフが二つの手兵を指揮して、シャヒディというタジキスタン出身の作曲家の作品を取り上げているが、この雑誌を見るまで全く知らない作曲家だった。1946年生まれでハチャトゥーリアンの弟子にあたる人である。2007年頃から拠点をロンドンに移したために、母国以外のヨーロッパでも演奏されるようになったという。
 
 とにかくエイキゾティックで、民族的な音階やリズムを多用して、メリハリのある音楽を作っていりのは師匠譲りである。打楽器が多く使われて活躍するのが特徴である。管楽器だけのアンサンブルと弦楽器だけのアンサンブルが交互に出て、それを打楽器が支えているという感じなのが「サド」という交響詩。最後のマーチは威勢がいい。思わぬ拾い物をしたというのが感想である。

ローレン・バコール逝去

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 ロビン・ウィリアムズに続く訃報。
 
 こちらは89歳で、天寿を全うした形だ。ハンフリー・ボガードのパートナーとして有名だが、ボギーの死後はジェイソン・ロバーズと結婚して、一子をもうけている。その子も役者として活躍中らしい。
 
 御苦労さまといいたい。

『パルジファル』全曲 シノーポリ&バイロイト(1998 ステレオ)(日本語字幕付)

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 ポール・エルミング(T パルジファル)
 リンダ・ワトソン(S クンドリ)
 ハンス・ゾーティン(Bs グルネマンツ)
 ファルク・シュトルックマン(Br アンフォルタス)
 エッケハルト・ヴラシハ(Br クリングゾル)
 マティアス・ヘレ(Bs ティトゥレル)
 リチャード・ブルンナー(T 第一の聖杯騎士)
 シャーンドル・ソーリョム=ナジ(Br 第二の聖杯騎士)
 サラ・フライアー(Ms 第一の小姓)
 ジェーン・ターナー(Ms 第二の小姓)
 ヘルムート・パンプフ(T 第三の小姓)
 ペーター・マウス(T 第四の小姓)
 クラウディア・バラインスキ(S 花の乙女)
 ジョイス・ガイヤー(S 花の乙女)
 ジモーネ・シュレーダー(A 花の乙女)
 カテリーナ・ベラノヴァ(S 花の乙女)
 ドロテー・ヤンセン(S 花の乙女)
 ラウラ・ニュカネン(Ms 花の乙女)
 アンドレア・ベニッヒ(Ms 天からの声)
 ジュゼッペ・シノーポリ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団・舞踏団

 演出・装置:ヴォルフガング・ワーグナー
 衣装:ラインハルト・ハインリヒ
 花の乙女たちの振付:イヴァン・マルコ

 収録時期:1998年7月6,13日
 収録場所:バイロイト祝祭劇場
 
 まず、日本語字幕付なのが、ありがたい。しかし、4時間半もかかるというのがネックでなかなか鑑賞の段にならない。今から16年前の映像で読み替えの舞台かなと思っていたら、割と保守的な舞台ではあった。セットも極めてシンプル。
 
 この演目は登場人物の名前がわかりにくく、自分では混乱してしまうのだが、一番の悪漢はクリングゾルであるころを押さえて見ないと、どれがどうだだかわからない。また、聖杯の話は十字軍の昔からあって、ヨーロッパは特に有名だろう。映画「インディー・ジョーゾンズ最後の聖戦」でも出ていたくらい欧米人にはなじみのことかもしれない。しかし、宗教を異にするものはそれがなんだ的でわかりにくい。このオペラは一番ミステリアスで難しいと思う。

青空娘(大映東京1957年)

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 資料には10月8日公開とある。これは増村保造監督の第2作にあたるもので、早くも若尾文子と出会っているということになる。この後、この女優をいろいろな役につけた多くの傑作を撮っていくのだった。
 
 さて、この映画は源氏鶏太の小説の映画化である。さわやかな青春喜劇といったところか。もっとドロドロしたものがあるのかと思ったら、サラリと軽く流すような感じの物語である。やや予定調和的なドラマになってしまって、調子抜けしたが、喜劇の試みということなのだろう。そうはいっても、登場人物は早口だし、じめじめした日本的な情みたいなものを排した作風はやはり新鮮に感じる。イタリア映画の喜劇みたいな筋運びは、当時としてどれだけ受け入れられたのだろうか。生みの母親との出会いもかなりアッサリと処理されていた。同じ大映の母ものとはずいぶん異なる。

十誡(セシル・B・デミル)(米パラマウント1923年)

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十誡
 
 セシル・B・デミル監督は壮大なスペクタクルを得意とする人だった。宗教的な内容もエンテイメントの素材にすぎないような印象も少なからずあった。
 
 この「十誡」はデミル監督が1回目に撮りあげたサイレント作品のほうである。有名な海が割れるシーンもちゃんとある。ただ、意外だったのは誰も知るモーゼの登場する古代の話は前半のみで、それを敷衍させた現代の話のほうに重きがおかれている。壮大な古代なシーンとは打って変わって、やや平凡なメロドラマになってしまっている。大工の兄弟がいて、兄は実直、弟は商才があって抜け目がない。弟の仕事ぶりは不誠実なものばかり。ずる賢く立ち回るといった手合いで、やがて兄弟の行く手180度異なってしまうという内容だった。信心深い彼らの母親がどうもモーゼの話を読み聞かせるといった構成のようではあった。
 
 よく知られているカラー・ヴィスタで再映画化した作品は古代編のみ。オールスター・キャストなのは周知の通り。現代編がいささか中途半端であることをデミル監督は反省したのかもしれない。

グノー:聖チェチーリア荘厳ミサ曲、小交響曲

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グノー:
・聖チェチーリア荘厳ミサ曲
 ピラール・ローレンガー(ソプラノ)
 ハインツ・ホッペ(テノール)
 フランツ・クラス(バス)
 アンリエット・ピュイグ=ロジェ(オルガン)
 ルネ・デュクロ合唱団
 パリ音楽院管弦楽団
 ジャン=クロード・アルトマン(指揮)
 録音時期:1963年6月

・小交響曲(9つの管楽器のための)
 ハレ管弦楽団
 サー・ジョン・バルビローリ(指揮)
 録音時期:1958年9月
 最近、再リリースされたグノーのアルバム。EMIレーベルやPYEレーベルで出ていたものが、業界の編成でワーナーに変わったものの一つで、やはりその面で複雑な思いで手にした1枚であった。
 
 メインの宗教曲は、聖チェチーリア(=St.Cecil)の名があるのが目を惹く。この聖人は音楽の守護聖人として知られる。現にイタリアではこの聖人の名を冠にした音楽院も存在する。多分、この聖人に感謝し、称えるための宗教曲を書こうと発念したのであろう。極めて静謐で、聴くと心落ち着く心地になる。ここでは、最後に「ドミネ・サルヴム」が追加された形で演奏される。これだけは別の機会に作られたもののようで、これを加えた楽譜も出版されているらしく、この形式でも多く演奏されるらしい。指揮者のジャン=クロード・アルトマンはあまりよく知らない人だった。1929年生まれ、1993年に亡くなっている。
 
 もう一つは、以前オーケストラの仲間が一部ではあるが、演奏しているのを聴いて、なかなか洒落た音楽だなと思った作品だ。木管セクション(ホルンも含む)のためのもので、もっと演奏されていい作品と思う。
 
 

グーゼンス:幻想協奏曲&交響曲第1番

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グーセンス:
・ピアノと管弦楽のための『幻想協奏曲』  ハワード・シェリー(Pf)
・交響曲第1番
リチャード・ヒコックス指揮 メルボルン交響楽団
 
 ユージン・グーゼンスというと指揮者というイメージが強い。いろいろなアルバムを出していて、CDにもなっている。その作品とはというとあまり聴いたことはないので、どんな音楽か聴いてみた。極めて保守的聴きやすい作品、しかし、そう印象が強いものでもないというのが率直な感想だった。
 因みにこれがヒコックスの最後の録音だという。
 
 

訃報:米倉斉加年氏

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 ネットニュースで知った。享年80歳だったという。
 
 劇団民藝の重鎮の一人で、滝沢修や宇野重吉から直接薫陶を受けた人でもあった。
 この人を知ったのはNHK大河ドラマ「三姉妹」(原作:大仏次郎)での中村半次郎役においてであった。その
独特な風貌とコミカルな演技に存在感が大きく強い印象を放っていた。その後、「裸の大将放浪記」の舞台が
近くの町の劇場でかかり、生でもその演技に接している。他に映画やテレビドラマの脇役で活躍ぶりを見た。
 
 「男はつらいよ」ではほんの少ししか登場場面がないのに、やはり強い印象があったし、「座頭市と用心棒」では
凄みとコミカルとを両方要求されるヤクザの親分などが印象に残る。近年では「坂の上の雲」などにも薩摩出身の元勲を演じていた。元来が九州出身なので、方言もお手の物だったのだろう。
 
 慎んで哀悼の意を捧げたい。
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「女の小箱」より夫が見た(大映東京1964年)

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 増村保造監督の中期の作品で、一番勢いがあった頃のものだろう。黒岩重吾の小説の映画化だが、会社の株を買い占める若い男が登場し、その会社の証券課長の夫人がヒロインという設定だ。題名から、メロドラマみたいだが、実は経済小説でもあり、金と欲望が渦巻くある意味で汚い人間のやり取りが中心の話だ。ここでも小気味よく、物語が展開してゆくから、飽きない作品に仕上がっている。
 
 早口の台詞廻しは相変わらずだが、ヒロインの夫や兄がいう「男の夢」や「女の役割」なんかは今聞くと、それは違うのではないかといって内容である。1964年2月公開だから、オリンピックの直前の時代。世の中はモウレ0ツ社員が多く、しかし、何のために仕事をしているか、ともすれば見失いがちの時代でもあったのではないか。ヒロインを取り巻く身近な男性たちは依然として古い価値観と物差しで発言するから、何か勘違いしているなと思うのだが、当時はどういうふうに受け取られたのだろうか。ヒロインはそうした考えを明確に拒否して新しい生活に入ろうとするが、その相手もしがらみでたいへんなことになる。
 
 冒頭のヒロインの入浴のシーンがタイトルバックになっている。顔が映らないところは吹き替えだと思うのだが、極めてスレスレの映像であがって下着をつけるところなどは一瞬きわどいものになっている。ガラス越しなので、映倫も通ったのであろうが、当時としてショッキングな映像だったろうなと思われる。

ロッシーニ:歌劇「泥棒かささぎ」

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『泥棒かささぎ』全曲 ミキエレット演出、ジア&ボルツァーノ・トレント・ハイドン管、ペルトゥージ、カンタレロ、他(2007 ステレオ)
【収録情報】
・ロッシーニ:歌劇『泥棒かささぎ』全曲

 ミケーレ・ペルトゥージ(Bs 代官)
 マリオラ・カンタレロ(S ニネッタ)
 ディミトリ・コルチャク(T ジャンネット)
 マヌエラ・クステル(Ms ピッポ)
 アレックス・エスポジト(Br フェルナンド)
 ポオロ・ボルドーニャ(Br ファブリツィオ)
 クレオパトラ・パパテオロゴウ(Ms ルチア)
 ステファン・チフォレッリ(T イザッコ)
 プラハ室内合唱団
 ボルツァーノ・トレント・ハイドン管弦楽団
 リュー・ジア(指揮)

 演出:ダミアーノ・ミキエレット
 収録時期:2007年8月
 収録場所:ペーザロ(ライヴ)

 この作品は序曲はよく演奏会や録音で取り上げられるが、オペラ全体になると滅多に見かけない演目だ。大学オケの後輩たちが序曲を取り上げた時に、同じセクションの後輩が楽器を貸せてくれと言われたのをよく覚えている。序曲は実際動きが激しいので、自分の楽器だとたいへんなので、貸与を申し出てきたのである。
 
 さて、序曲からすると、ドタバタ喜劇の内容かなと思っていたら、登場人物たちは結構深刻な芝居をする。かささぎは人間がパントマイムでやるという演出で、多分バレリーナの女性を起用しているようだが、それが今ひとつ効果的でないのは残念である。むしろ、芝居進行の邪魔に感じてしまった。別に鳥の着ぐるみをしているのでもなく、短パンを履いたそこら辺の姉ちゃんの扮装だから、余計にそう感じてしまった。
 
 肝心の音楽はきっちりとした正統的な解釈ではあるが、ロッシーニ特有のニュアンス(なかなか言葉では表現できない)がやや希薄な印象も受けた。指揮者は中国出身の人であった。
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