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NHK朝のドラマでの音楽の扱い

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 ドラマ「花子とアン」は評判がいいそうだが、一つ疑問なのはカフェのシーン。大正時代の割にはしゃれたクラシック音楽が使われているが、あんなに鮮明な再生機の無かった時代にそぐわない。蓄音機の時代の音響ではない。
それから、ラヴェル編曲の「展覧会の絵」が流れていたが、その編曲が出来たどうかの時代、しかも当初はクーセヴィツキーが独占していた頃だ。そういう音楽がレコードになるとは、思わず噴き出してしまった。
 
 吉村公三郎監督がこの手のNHKのドラマの考証のいい加減さを指摘していたのは、もうかなり前のことだが、一向に改善してないようである。

マスカーニ:『カヴァレリア・ルスティカーナ』、レオンカヴァッロ:『道化師

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【収録情報】
1. マスカーニ:歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』全曲
 サントゥッツァ(村娘)/フィオレンツァ・コッソット(メッゾ・ソプラノ)
 トゥリッドゥ(若い農夫)/ジャンフランコ・チェッケレ(テノール)
 ルチーア(トゥリッドウの母)/アンナ・ディ・スタジオ(アルト)
 アルフィオ(荷馬車屋)/ジャンジャコモ・グェルフィ(バリトン)
 ローラ(アルフィオの妻)/アドリアーネ・マルティーノ(メッゾ・ソプラノ)

2. レオンカヴァッロ:歌劇『道化師』全曲
 カニオ(パリアッチョ、劇団の座長)/ジョン・ヴィッカーズ(テノール)
 ネッダ(コロンビーナ、女優、カニオの妻)/ライナ・カバイヴァンスカ(ソプラノ)
 トニオ(タッデーオ、道化役)/ピーター・グロソップ(バリトン)
 ペッペ(アルレッキーノ、役者)/セルジオ・ロレンツィ(テノール)
 シルヴィオ(村人)/ローランド・パネライ(バリトン)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団
 
カラヤン芸術の真髄を堪能できる映画仕立てのヴェリズモ・オペラの傑作2作品。1968年制作のこれらの映像は、視覚的な心理描写の巧みさにおいても先駆的なプロダクションとして歴史的な意義が深いといえるでしょう。自身が監督を務めた『道化師』では、劇中劇の観客としてカラヤンも出演しています。(UNIVERSAL MUSIC)
 これも所謂オペラ映画というもの。「道化師」はカラヤン自身の監督による。既に、スカラ座を指揮して1965年にこの二つの演目は録音しているが、1968年のこの映像はテノールなどのキャストが替っている。芝居のための装置はミラノのスケートリンクに二つのセットが背中合わせに作られたという。映像と音は多分別々にテイクされたもののようだ。映画らしくクローズアップなどもあって、細かい所作もわかりやすい。また、音楽の途中に入る拍手もないので、最後まで音楽を聴くことがでみるのもありがたい。その反面やはり、ライヴ特有の雰囲気が喪失されているのは寂しい気もする。

日本の軍歌

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日本の軍歌
◆誕生秘話・戦時エピソード・貴重資料満載!傑作軍歌をCDに完全収録!!◆抜刀隊/敵は幾万/喇叭の響/勇敢なる水兵/雪の進軍/軍艦行進曲/ウラルの彼方/広瀬中佐/海ゆかば/愛国行進曲/日の丸行進曲/荒鷲の歌/大日本の歌/国民進軍歌/靖国神社の歌/大政翼賛の歌/大東亜決戦の歌/加藤部隊歌 ほか
 
 本屋を覗いたら、こういうCD付の書籍を見つけた。音源はいずれも一つを除き、戦前・戦中にビクターが録音したものばかりである。「軍艦行進曲」は有名な歌詞のほか、トリオに使われた「海ゆかば」も歌っているのが珍しい。もう一度頭に戻ると今度はオーケストラだけというなかなか渋い構成だったりする。一方で、同じレコード会社が一つの曲にいくつものヴァージョンを録音していることに気付く。「愛国行進曲」などはもとより「大陸行進曲」はLPでは複数の男性歌手が歌っているものを持っているが、ここでは藤原義江の独唱である。ややテンポを引きずっているのはご愛嬌か。この「大陸行進曲」なんかは中国人が聴いたら、多分気分を害する内容ではある。「防共の砦を築く」まではまあさもありなんだが、「四億の民と君ヶ代を歌うのは今だ」に至っては、何を言っているのかということになるだろう。当時は中国との戦争が終わるという甘い見通しが蔓延していた時代だったようだ。
 
 軍歌は割りと庶民が進んで口ずさんでいたということで、明治時代のものは出征の時に歌われたりするものがあったし、「元寇の歌」という軍歌は黒澤明監督の「一番美しく」(1944)でヒロインが自分を鼓舞するするために歌っていた歌であった。歌詞が難しくても曲調に助けられていたりする。また、退屈な歌は結構酷評されていたことも知った。ただし、「鳥取県浜田市」なんて書かれると、ちゃんと調べたのかと、疑りたくなる。

金正恩を描いたアメリカ映画への反応

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 北朝鮮が自国の元首を茶化したアメリカ映画に反発している。その反応仕方は、「表現の自由」を解さないのを如実に示しているように思えてならない。抗議が受け入れなければどう無慈悲な対応をするというのだ。言っていることは大人気ないが、兵器を持っているだけ、始末が悪い。

伊福部昭の映画音楽~「ゴジラ」中心に~

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 今年は「ゴジラ」が封切られて60周年。ゴジラも還暦を迎えたわけだ。いろいろなところで、そういう映画が回顧上映されたりしているのは、ファンとして喜びたいと思う。
 
 その音楽を作ったのが伊福部昭だ。今年は彼の生誕100周年でもある。映画ファンだけでなく、音楽ファンも多い。この人の音楽は聴けば曲名はともかくとして、独特の節回しですぐこの人の作品とわかる。かく言う自分も映画館で覚え知った作曲家である。怪獣映画だけでなく、時代劇やシリアスな戦争映画やドラマも手がけていたが、あの人の音楽とすぐわかったものだ。
 
 北海道出身だが、元をたどれば鳥取県東部にあった豪族の末裔である。鳥取市周辺に福部という集落もある。彼の曽祖父の代は宮司をしていたという。累代の墓も鳥取にあり、氏も鳥取で今は眠っている。出自も同じ山陰なので親近感が覚える。
 
 独学で作曲を修めて、戦争が終わるまでは林務官や技官をしていて作曲は余暇を使ってやっていたという。北大の学生オーケストラでヴァイオリン奏者として在籍していたのが、その他の音楽体験であった。
 
 戦争が終わって、上京して音楽で身を立てようして、音楽学校の教員になり、後進を育て、映画音楽に手を染っていった。映画は谷口千吉監督の「銀嶺の果て」が最初だった。河野秋武と若山セツ子がスキーに興じるシーンで谷口監督は派手なマーチを要求したのに対して、伊福部はうら悲しいイングリッシュ・ホルンのソロの音楽を主張しそれを通した。今観ると大自然の中で人間が如何に小さくはかない存在かということを知るような音楽であった。あれをマーチにしてしまうと陳腐な場面になったろうと思い、その炯眼に脱帽する思いがしたのを覚えている。反対に雪崩のシーンはゴジラでも出そうな音楽ではあった。
 
 幾多の名作の音楽を担当してきたが、やはりどちらかというと悲劇的な作品なんかがぴったりくるような感じがした。1954年の「ゴジラ」にしても祈りのような音楽もあれば、やがて死ぬ運命にあるゴジラの姿にも哀れむような音楽が流れる。時代劇の「反逆児」でも父・家康に死を命じられる信康の悲嘆を強調する音楽もあったりする。
 
 映画音楽は、しかし、全くの0からのものばかりでなく、既存の作品からの転用も多いものだということを知ったのも、伊福部音楽から知った。というのもこの人の「交響譚詩」という1943年の作品の演奏に参加してから、映画音楽以外の作品に目を向けるようになったからだ。「ゴジラ」のタイトルバックの有名な音楽は1948年のヴァイオリンと管弦楽のための協奏的狂詩曲の一節というのがわかったし、海上保安隊の訓練のシーンなどに流れるマーチも実は戦時中の吹奏楽作品「古志舞」が由来のようだ。結構、戦時中に作られた作品から転用したものが多いことに気付き、面白いと思ったものだ。
 
 また1962年の東宝の「忠臣蔵」(稲垣浩監督)の音楽を聴いてみると、怪獣映画に使われた素材がテンポを変えて流れる。こうしてテンポを変えるとちゃんと時代劇に合うし、編成を変えるとまるで印象が変わったりする。たとえば1951年の「偽れる盛装」でヒロインの妹が自転車で京都市内を走るシーンの音楽はフルートやチェレスタで明るく演奏されるが、よく聴くと怪獣を出現で出動する自衛隊のマーチと同じで、金管に置き換えられて力強く演奏されてまるで違う音楽になっている。場面で適切な音楽を付ける名人だったのだなと感心したものだ。
 
 彼の教え子には、黛敏郎、芥川也寸志、小杉太一郎、池野成といった錚々たる顔ぶれがならぶ。これらの人たちはいずれも伊福部昭が映画の現場に紹介したようなものだ。黛敏郎は生前、レコードの解説に伊福部先生の音楽は対位法が使われてないと書いている。そう言われてみればメロディライン1本通っているような感じではある。

ロト&レ・シエクルの2つのアルバム

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ドビュッシー:
・管弦楽組曲第1番 (1882) (祭/バレエ/夢/行列とバッカナール)
 録音時期:2012年2月2日
 録音場所:パリ、シテ・ド・ラ・ミュジーク

・『海』~3つの交響的スケッチ
 録音時期:2012年4月13日
 録音場所:ローマ、聖チェチーリア音楽院
 
ストラヴィンスキー:
・バレエ音楽『春の祭典』(1913年初版)
 録音時期:2013年5月14日(メス・アルセナル)、5月16日(グルノーブルMC2)、9月29日(フランクフルト旧オペラ座)

・バレエ音楽『ペトルーシュカ』(1911年初版)
 録音時期:2013年5月14日(メス・アルセナル)、5月16日(グルノーブルMC2)
フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮 レ・シエクル
 
 二つのディスクは1年間の間があるようだが、実はドビュッシーの方が商工中金の出している雑誌「商工ジャーナル」に紹介されていたのに、興味を覚えたからだ。検索してみたら、ストラヴィンスキーも出てきたという次第。
ドビュッシーの方は珍しい初期の管弦楽組曲第1番を録音していたことが大きなポイントでもあった。解説によると第3曲の「夢」のフルスコアが紛失、他も不完全な状態だったのを現代の作曲家が補筆完成したものらしい。もちろんこれが世界初録音であった。
 
 正直、指揮者もオーケストラも知らない初めて知った。アプローチは古楽のピリオド奏法のアンサンブルだそうだ。古典派以前の作品ばかりと思っていたら、こうした後期ロマン派から現代曲も挑戦しているとは正直驚いた。あまりビブラートを弦はかけないから、ストレートな音に聴こえる。管楽器も普通のオーケストラで使用しているものとはやや異なるのかもしれない。新鮮な響きは一つの収穫だった。

プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」(ハンブルク2012年)

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『蝶々夫人』全曲 ブッサール演出、ジョエル&ハンブルク国立歌劇場、ヴルガリドゥ、イリンカイ、他(2012 ステレオ)
蝶々さん:アレクシア・ヴルガリドゥ(ソプラノ)
 スズキ:クリスティーナ・ダミアン(メゾ・ソプラノ)
 ピンカートン:テオドール・イリンカイ(テノール)
 領事シャープレス:ラウリ・ヴァサール(バリトン)
 ゴロー:ユルゲン・ザッハー(テノール)
 ケイト・ピンカートン:イダ・アルドリアン(メゾ・ソプラノ)
 ヤマドリ公爵:ヴィクトール・ラド(バリトン)
 勅使:トーマス・フローリオ(バリトン)、他
 ハンブルク国立歌劇場合唱団(合唱指揮:クリスティアン・ギュンター)
 ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団
 アレクサンダー・ジョエル(指揮)

 演出:ヴィンセント・ブッサール
 装置:ヴァンサン・ルメール
 衣装:クリスティアン・ラクロワ
 照明:グィド・レヴィ

 収録時期:2012年
 収録場所:ハンブルク国立歌劇場(ライヴ)
 
 この演目はどう演出しても、日本人として突っ込みをいれたくなり、また違和感を覚えるものではある。日本の風俗を正確に考証してもそうである。一つには原作そのものに、日本への誤った理解もあるし、プッチーニも行ったこともない東洋の島国を十分理解していないからだろう。それは「トゥーランドット」で中国人が感じるものと同じではなかろうか。
 
 さて、この舞台も現代化されていて、登場は「和服」で登場するヒロインも第2幕以降はジーンズ姿である。逆にその方があっさりとして妙なエキゾチシズムなどない方がいい。また、ボンゾは僧侶だが、この舞台では軍人のようである。一方、ピンカートンの妻はアメリカ女性ということで扮装がマリリン・モンローのような顔立ちにしてあるのはご愛嬌か。領事もゴローもやや現代風の背広を着ている。
 
 最後、自害するシーンはヒロインは舞台裏に隠れて、息子として抱いていた人形が出てきて、頭が落ちて壊れることで示されるが、この子を父親に預けてしまうという設定にやや無理があったような印象だ。
 
 演奏の方は、オーケストラは好演、歌手は全て未知の人たちだが、ピンカートン役のテノールにやや不満を覚えた。

訃報:ロリン・マゼール氏

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 アメリカの指揮者ロリン・マゼールが亡くなった。84歳。
 
 この人はどこの国籍の人か当初よくわからなかった。フランス語で記者会見したり、ヨーロッパでよく活動して録音も多く遺した。しかし、実はアメリカ人だったというのはかなり後になってことだ。風貌でかなり損をしていたような印象だが、それでもプッチーニのオペラを熱心に取り上げてくれたし、マーラーもNYPで連続上演していたりしていた。NYPとは平壌に行ったりもして、話題も多かった。VPOのニューイヤーコンサートに出た時も、スマトラ沖の地震・津波で多くの犠牲者が出て、好例の「ラデツキー行進曲」を取止めたりもしている。
 
 ヴァイオリンもよく弾きこなして、自作の協奏曲の録音もあるし、歌劇「マスネ」の全曲盤で間奏曲のヴァイオリン・ソロはこの人が演奏していたなんて噂もある。
 
 話題の多い人だったが、最近は病気療養中だったようだ。ご冥福を祈ります。

映画「赤線地帯」の音楽(黛敏郎)

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 映画そのものについては、以前に記事にしているので、重複を避け、この映画についた黛敏郎の音楽について触れてみたい。晩年の溝口健二監督作品には主に黒澤作品でも有名な早坂文雄が担当していたが、この映画が製作された時には、亡くなっていた。例外的に1954年に一度組んだ若手だった黛敏郎が起用されたのだが、この音楽が論争を呼んでしまうのだ。
 
 タイトルバックで流れる音楽はまさに前衛音楽そのものだ。電子楽器の使用もあるようで、弦楽器が中心だが、効果音として女声も入る。一般の人ならあまり聴いたことがないような種類の音楽だった。当然、当時の評論家は貶すのが使命と思っていた節があったので、この音楽も槍玉にあがったようだ。赤線にうごめく娼婦の生活を描いたものだが、映画の中味にそぐわないという訳だ。ものの本によればフランス留学の成果として収めたミュージック・コンクレートによる音楽ということらしい。それだけ聴くとたいへん難しいものだ。しかし、一種気だるい感じの音楽は、映画の雰囲気を如実に表しているから驚く。
 
 変にお涙頂戴の音楽ではなく、機械的で冷徹かつ気だるい感じの音楽が効果を上げるのだ。全く音楽がなく、芝居だけの展開する部分も結構あって、日本映画には珍しい部類に入るのかもしれない。
 
 当時まだ20代の黛は敢然と批評家たちに反論したようだ。それだけ血気盛んだったのだろうと思う。今この映画を観て音楽に違和感を唱える人はそんなに多くないのではなかろうか。

流れる(東宝1956年)

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 この映画はフィルムセンターで「成瀬巳喜男監督特集」で観たのが最初だったと思う。もう30数年前のことだった。この時、代表作の「浮雲」が日程の関係で観られず、仕方なく行くことができたので観たという感じだった。ところが、それこそ主役級の女優が大勢出演するし、新劇のベテランの杉村春子に加え、かつての松竹蒲田の大スター栗島すみ子まで出ているのだから、スクリーンで圧倒されてしまった。
 
 出演者クレジットのトップは田中絹代で控えめな女中さんという役どころだが、この人物の目を通した描き方だった。確か、幸田文もこういう女中として花柳界の置屋に住み込んで取材したとかということを聞いたことがある。そうだとしたら原作者の分身ということになるか。
 
 山田五十鈴の女将の存在が圧倒的で高峰秀子扮する娘との対立、先輩格の女将、栗島すみ子との対峙など見応えがあった。どれも斬った張ったの大きなドラマはなく、日常のおけるやり取りだから、逆に演技力がものを言う。ことに栗島扮する女将の非情な行動は合理的ですらある。それでいて他人の面子をつぶさないようにするという、まさに大人の行動だ。栗島すみ子は戦後初めてスクリーンに登場したのではなかったろうか。30年代まではトーキー作品にも出演していたが、戦時中からは遠ざかっていたのではなかったか。それを口説き落として出てもらったのは、成瀬監督ならではかもしれない。出番が終わって、田中絹代とともに最敬礼をして監督はこの女優を見送ったという。栗島の方も「ミキちゃん」と呼んでいたようだ。こういう人との繋がりは、どこか胸を熱くするものを覚える。

ライナーによる「カルメン」(RCA)

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『カルメン』全曲 ライナー&RCAビクター管、スティーヴンズ、ピアース、他(1951 モノラル)(3CD)
・ビゼー:歌劇『カルメン』全曲

 リーゼ・スティーヴンズ(メゾ・ソプラノ:カルメン)
 ジャン・ピアース(テノール:ドン・ホセ)
 ロバート・メリル(バリトン:エスカミーリョ)
 リチア・アルバネーゼ(ソプラノ:ミカエラ)、他
 ロバート・ショウ合唱団、リセ・フランセーズ児童合唱団
 RCAビクター管弦楽団
 フリッツ・ライナー(指揮)

 録音時期:1951年5月、6月
 録音場所:ニューヨーク、マンハッタン・センター
 録音方式:モノラル(セッション)
 
 ライナーがシカゴ交響楽団の常任指揮者になる直前のもの。当時はMETでオペラを振っていたりした。これはRCAへのセッションだが、翌年のライヴ録音もあって、タイトルロールも同じリーゼ・スティーヴンズだった。オーケストラはレコード会社の名前があてはめてあるが、METのそれということが言われている。
 
 さて、こちらの方がいくぶん速めのテンポで仕上がっていて、音も心なしか軽い印象を持つ。衛兵の交代の箇所の児童合唱は正直いってうまくない。ライヴの方が良かったように思う。大人の合唱もメンバーがあまりいないようで薄く聴こえる。この団体は、トスカニーニの録音でよく目にした合唱団のようだ。
 
 なお、第4幕の冒頭で管弦楽だけの踊りの音楽の挿入がある。その一つに「ファランドール」というのがあって、その箇所にさしかかったら、「アルルの女」第2組曲の最終曲の後半部をそのまま演奏していた。これはユニークな構成だと思った。

アルヴィド・ヤンソンスによるショスタコーヴィチ:交響曲第8番

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アルヴィド・ヤンソンス指揮 ベルリン放送交響楽団
ショスタコーヴィチ:交響曲第8番ハ短調 作品65
 
録音時期:1981年11月11日
録音場所:ベルリン放送局大ホール1
録音方式:ステレオ
 
 このショスタコーヴィチの第8番は比較的好きな作品で、気になった指揮者のものはたいていチェックしている。今活躍中のマリス・ヤンソンスの父君による指揮である。息子マリスの録音も手許にあるが、父親はどういうものか。相手は東側のベルリンの放送局のオケだ。同名の西側のオケは今は別名称になり、今もこの名称でこのオーケストラは存続して活動している。
 
 さて、聴くとムラヴィンスキーのものよりも重たい感じがするテンポも遅いが、作曲者の思いはよく伝わっているのではないか。スケルツォ楽章も悲しみの遁走という感じでそう速くはない。息子がピッツバーグ交響楽団を振った演奏もこうまで重い印象はなかった。ムラヴィンスキーはどうか。やや冷徹な感じはするが、重さのイメージはない。一番古いロンジンスキーとNYPによるアメリカ初演のライヴは激しさはあったものの、重いイメージはない。一つにはドイツのオーケストラが演奏しているというのがあるのかもしれない。 

クルト・ワイル:「ヴィーナスの接吻」

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 1955年にテレビ放送用に撮られた映像である。半分テレビドラマのようでもあるのだが、クルト・ワイルのミュージカルということで手にしてみた。字幕はないが、比較的平易な英語なのでおおよその様子はわかる。ヴィーナスの像を入れたのだが、しがない理髪師の青年がその手に指輪を嵌めたら、本物の女性になって一波乱するというもの。
 
 出ている人たちも全て未知の人ばかり。話は他愛のないもので荒唐無稽ですらある。ただ、ヴィーナスというのは、裸の美人というふうにしかイメージがわかないが、欧米では人を惑わす異教の象徴みたいな扱いになるようだ。このミュージカルからして、世の男性を翻弄する。ただ、アメリカ娘みたいなのはご愛嬌だ。これを見ていてふとワーグナーの歌劇「タンホイザー」を思い出した。ヴィーヌス(オペラではヴェーヌス)が登場して、主人公を惑わす。こちらは完全に敵役で邪教の親玉としての登場である。
 
 しかし、よくこういう映像が残っていたものである。流石はアメリカだ。経年劣化で画質は今ひとつで音もモノラルだが、ジャズっぽい音楽が楽しい。クルト・ワイルの一面に触れられるのは貴重だ。

ドホナーニ:交響曲第2番他

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 タワーレコード渋谷店を覗いてみた。普段通販で見落としたものはないかと一周すると、やはりある。ただ、既に発注したものとの重複は避けたい。そういうことを念頭に手にしたのが、下記のNaxos盤だった。

ドホナーニ
交響曲第2番ホ長調作品40
3つの歌作品22より第1番と第2番

アレクサンダー・ヒメネス指揮
フロリダ州立大学交響楽団
エヴァン・トーマス・ジョーンズ(バリトン)

演奏者は全て未知の人たちだ。まあ、後は若さにかけて購入した。趣味で集ったクラブではなく、プロを目指す音楽専攻の学生や指導教員からなるオーケストラである。アンサンブルはきっちりしている。メインの交響曲はかっちりした構成の後期ロマン派風の作品であった。1945年に作曲されて、1957年に改訂されているようだ。フィナーレには、バッハのコラールによる変奏曲となっていて、壮麗である。今、活躍中の指揮者の祖父に当たる人だが、あまりその作品に接する機会がなく、貴重な音源だと思った。

牡丹燈籠(大映京都1968年)

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 久々に「牡丹燈籠」を観る。この暑い中、少しはスーっとなるかと思ったら、一向に効果はない。
 
 さて、この映画は社会派の山本薩夫監督の作品。「白い巨塔」や「戦争と人間」の監督がこのような怪談映画を撮っていたとは当初驚いたが、社会の矛盾の結果によるということに話を組み立ている。幽霊よりも、主人公に死んだ兄の嫁と結婚せよと親族に迫られるが、そういう連中の方が数段恐く見える。その兄嫁も無表情で恐い。
 
 ただし、お露役が赤座美代子がやや魅力不足で残念。当時は文学座の新人だったと思う。もう少し艶っぽい方が良かったように思う。多分、前作「ドレイ工場」で芸者役で出演していた流れでの起用だったのではなかろうか。
 
 山本薩夫監督としては、不本意な作品だったようで、悩む姿をスタッフは目撃している。ただ、緩急を交えた演出は流石にプロで、時折ユーモラスなシーンも織り交ぜて映画を仕立てている。

全日本吹奏楽コンクール課題曲参考演奏集 1995-1997

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全日本吹奏楽コンクール課題曲参考演奏集 1995-1997
1995年(指揮:岩村 力 演奏:東京佼成ウインドオーケストラ)
01:I. 行進曲「ラメセスII世」/阿部勇一
02:II. スプリング・マーチ/大石美香
03:III. 第1行進曲「ジャンダルム」/高島 豊
04:IV. アップル・マーチ/野村正憲

1996年(指揮:岩村 力 演奏:東京佼成ウインドオーケストラ)
05:I. 管楽器のためのソナタ/伊藤康英
06:II. 般若/松浦欣也
07:III. クロマティック・プリズム/松尾善雄
08:IV. はるか、大地へ/上岡洋一
09:V. 交響的譚詩~吹奏楽のための/露木正登

1997年(指揮:中村ユリ 演奏:東京佼成ウインドオーケストラ)
10:I. マーチ「ライジング・サン」/新井 千悦子
11:II. マーチ「夢と勇気、憧れ、希望」/内藤淳一
12:III. 五月の風/真島俊夫
13:IV. ラ・マルシュ/稲村穣司
 今、高校球児は甲子園に向けて予選の最中だが、吹奏楽に関わっている人たちは、コンクールのシーズンだ。課題曲が決まると、関係する学校や団体は連盟が作成した参考音源に耳を傾け、課題曲を選ぶのだが、これはそういった音源である。演奏するオーケストラもある程度初体験な訳だから、手探り状況で必ずしも名演という訳でもないが、どんな音楽だろうかというには、参考になるものだ。
 
 この中には、作品として優れていて後年コンサートに盛んに演奏される曲もあれば、これぎりで消える作品も当然ある。1995年から97年の3年間の課題曲を集めたものだが、社会人の一般の楽団でやった曲が数曲あったので、入手した。コンクールで演奏したもの、後に演奏会で演奏したもの様々だ。8番目の曲は作曲者が指揮した折に参加して演奏したという思い出の作品でもある。学校を卒業してかなり経てからの出会いの作品で、青春の思い出とは行かないが、久々に聴くと当時のことが蘇る。その時、指揮をした仲間は若くして鬼籍入りしてしまい、聴くと彼の顔が浮かぶ。
 
 

今年のバイロイト音楽祭

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 今年は「タンホイザー」の舞台装置の一部が破損して、公演が中断になったという。しかも初日に。
 
 最近はイメージを崩した演出が多く、魅力がなくなってきた。演出家の独りよがりにような気がするが、ヨーロッパではそういう解釈もありということで、受け入れる人も多いようだ。でも、神話にヒッピーまがいのジークフリートが出てきてしまうとやはり考え込んでしまう。

訃報:カルロ・ベルゴンツィ

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 往年のイタリアの名テノールの訃報を新聞で知った。享年90歳というから、天寿を全うしたと言っていいかもしれない。

 カラヤンの録音を聴いてみようといくつか取り出した中にイタリア・オペラもあった。その中にこの人が主人公を歌っているものが数点あった。聴く度に今どうしているのか、と思ったものだ。やはり虫の知らせとでもいうのか、その矢先の訃報だ。

 冥福を祈り、うたごえに耳を傾けたいと思う。

六人の暗殺者(滝沢英輔・日活1955年)

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 日活というと石原裕次郎や吉永小百合といったスターが頭によぎるが、彼らが登場するまでは、かなり路線を模索していたことがわかる。初期はこのような時代劇も撮っていた。周知の通り、戦前の日活と戦後のそれとは全く異なったものだ。戦前は大映に継承され、日活は配給専門会社になった。戦後の1954年に自前の撮影所を開設して、映画製作を再開した。当然、スターや監督の駒不足は否めず、演劇畑の劇団に依存せざるを得なかった。その劇団のうち、同社と提携したのが、新国劇であり劇団民藝だった。前者は何本かユニットで劇団総出演の映画を作っているし、後者は劇団員の出演の他、新人の演劇基礎訓練を担っていた。
 
 この作品は新国劇のユニット作品の一つ。坂本龍馬暗殺の真相を探る内容である。主人公は龍馬に憧れ私淑する。そういう人物を殺されたのだから、犯人探しに躍起になる。だが、明治の世になってその犯人の一人を捜し当てるが、その人物も所詮駒の一つで虚しさだけが残るといった内容だった。
 
 新国劇は殺陣もうまく、迫力はあった。しかし、この作品はそれが売りではなく、人のあり方などがしっかり描けていたように思う。組織の酷さみたいなものが描かれていた。新国劇の要である島田正吾と辰巳柳太郎が交互に主役を張っていたような印象だが、この作品は島田が主人公をやり、辰巳は敵役に回っていた。今やこの劇団もない。監督の滝沢英輔は京都・鳴滝組の流れをくむ人でこういう時代劇は得意とした人であった。新国劇の一党の他、滝沢修、三島雅夫、河野秋武らが助演している。

ドニゼッティ:歌劇「アンナ・ボレーナ」(ウィーン)

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『アンナ・ボレーナ』全曲 ジェノヴェーゼ演出、ピド&ウィーン国立歌劇場、ネトレプコ、ガランチャ、他(2011 ステレオ)
[出演]アンナ・ネトレプコ(アンナ・ボレーナ/ソプラノ)エリーナ・ガランチャ(ジョヴァンナ・シーモア/メゾ・ソプラノ)イルデブランド・ダルカンジェロ(エンリーコ8世/バス・バリトン)フランチェスコ・メーリ(リッカルド・パーシー卿/テノール)エリーザベト・クールマン(スメトン/メゾ・ソプラノ)
ダン・パウル・ドゥミトレスク(ロシュフォール卿/バス)ペーター・イェロシッツ(ハーヴェイ/バス)
[演出]エリック・ジェノヴェーズ[装置]ジャック・ガベル&クレア・スターンバーグ[衣裳]ルイザ・スピナテッリ[照明]ベルトラン・クデルク
[指揮]エヴェリーノ・ピド[演奏]ウィ-ン国立歌劇場管弦楽団及び同合唱団[合唱指揮]トーマス・ラング&マルティン・シェベスタ
[収録]2011年3月31日、4月2日&5日ウィーン国立歌劇場[映像監督]ブライアン・ラージ
 
 ネトレプコとガランチャが共演したウィーン国立歌劇場の公演映像である。映像監督がブライアン・ラージというのが、いささか抵抗はあるが、最盛期の女声が共演するのは見ものではある。ただし、現在リリースされているのは、日本語字幕はなく、英語字幕での鑑賞を強いられている。
 
 さて、話の内容はヘンリー8世のイギリス王室内の出来事である。タイトルロールは英語風にいうとアン・ブーリンのこと。主な人物の名を目にすると世界史で習った内容だった。2幕の悲劇的セリア・オペラと出る。最後はヒロインの狂乱の場となって、「ルチア」と並ぶシーンでもある。いずれもイギリスが舞台であるのが、面白い。
 
 キャストもイタリア以外の歌手が大半だし、オーケストラも女性や東洋人のヴァイオリン奏者がいたり、合唱でも東洋人のメンバーがいたりして、かつてのローカル色は後退しているように見える。舞台はシンプルだが、下手な読み替えでないのもうれしい。
 
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