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オイストラフのロシアのヴァイオリン協奏曲集

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【収録情報】
CD1
・ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 Op.99
 エフゲニー・ムラヴィンスキー(指揮)レニングラード・フィル
 1956年11月18日

・ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第2番嬰ハ短調 Op.129
 ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(指揮)モスクワ・フィル
 1968年9月27日

CD2
・カバレフスキー:ヴァイオリン協奏曲ハ長調 Op.48
 カール・エリアスベルク(指揮)モスクワ放送交響楽団
 1949年5月12日

・タネーエフ:ヴァイオリンと管弦楽のための演奏会用組曲 Op.28
 クルト・ザンデルリング(指揮)モスクワ放送交響楽団
 1960年9月20日

CD3
・プロコフィエフ::ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調 Op.19
 キリル・コンドラシン(指揮)モスクワ・フィル
 1963年9月7日

・チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.35
 ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(指揮)モスクワ・フィル
 1968年9月27日
 オイストラフは20世紀を代表するヴァイオリニストだった。何回か来日もしてくれて、その妙技を披露してくれた。テレビに映った彼の演奏姿をみると、ヴァイオリンがおもちゃに見えるほど大きな体をしていたのを思い出す。そして、どんな難曲も涼しい顔をして弾きこなすのに、驚いたものだった。レコードも多く、本国発から、西欧、アメリカで録音されたものなどがあった。
 
 このアルバムは本国の作曲家の比較的現代に近いものを中心に集められたものだ。チャイコフスキーやプロコフィエフ、ショスタコーヴィチはお馴染みのものだが、カバレフスキー、タネーエフは日本では馴染みが薄い作品だと思う。録音は1949年から68年にかけてものだ。したがって、モノラルとステレオにまたがっているが、いずれもバックも含めて素晴らしい演奏を展開してくれる。オイストラフの演奏は安心して聴ける。
 
 なお、カバレフスキーの作品は同じ年(1949年)の録音で作曲者自身のものも存在する。また、CD自体はCD2の管弦楽は「State Symphony Orchestra of USSR」となっている。同一録音と思われる他のCDの表記は上の通りだ。多分、通販のカタログ表示の方が正しいのではないか。こんなところが海外のレコード会社はいい加減であると思う。

ムラヴィンスキー~チャイコフスキー:交響曲第5番

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 ムラヴィンスキーによるチャイコフスキーの交響曲第5番は数種類もあり、今更ながらという感じもしたが、本国内の演奏ではなく、ウィーン兵術週間での1978年6月のライヴというのが目を惹いた。グラモフォンから1960年のウィーンで録音されたものがあるが、あちらはセッションで今回はライヴだ。
 
 正直やりたい放題やっている感じで、他の指揮者による解釈とは違った印象を受ける。他の指揮者ならインテンポで通過する箇所もテンポを落として、見栄を切るような感じがあるのは面白い。この人の他のライヴ録音でも同じことやっているのかもしれないが、この録音ではそこが特に印象に残った。といって力任せ爆演でもない。行政の監視もない分開放的な感じも受ける。夫人所有のアーカイヴズが音源のようだが、ジャケットのラフな服装の寛いだ感じはそのまま演奏の象徴しているのかもしれない。

タイム・トンネル(25)死の商人

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 二人は南北戦争の激戦地ゲティスバーグに転送される。そこにはイタリアの政治家で著述家のマキャベリが1519年から転送されていて、両軍を天秤にかけて戦争を楽しんでいた...。
 
 今回から二人がワープしている様を司令室で観察しているところが出てくる。前回の本篇からそういうふうになっていたが、このエピソードでそれが定着して最終回まで固定されている。
 
 「君主論」で有名なあのマキャベリがアメリカの南北戦争の時代にいるというのが荒唐無稽だと言ってしまえば、それまでだが、発想を自由にしてこういうドラマに仕立ててくれるのが楽しいのである。1519年というと二人は中央アメリカでコルテスと遭遇するエピソードがあった。あの時にあるいはこのイタリア人を巻き込んだのかなと想像したりするのもこちらも楽しい。
 
 マキャベリに扮したのはマラチ・スローンは、アメリカのテレビ映画作品でよくみかけた俳優の一人だった。「ミステリー・ゾーン」や「刑事コロンボ」などでも出演していた。どちらかというと悪役が多かった印象がある。

ガーシュイン:歌劇「ポーギーとベス」(サンフランシスコ歌劇場)

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ラキタ・ミッチェル(S ベス)
エリック・オウェンズ(Bs-Br ポーギー)
チョンシー・パッカー(T スポーティンライフ)
レスター・リンチ(Br クラウン)
エンジェル・ブルー(Bs-Br クララ)
カレン・スラック(S セリナ)
アルテウイーズ・デヴォーン(Ms マリア)
エリック・グリーン(Br ジェイク)
マイケル・ブラグ(T ミンゴ)
マリシャ・ジェシー(Ms アニー)
サマンサ・マケルハニー(Ms 苺売り)
アンバー・マーカムズ(S リリー)
マイケル・オースティン(T ロビンズ)
アシュリー・ファートアリア(T 蟹売り)
カルヴィン・リー(T ピーター)
フレデリック・マシューズ(T ネルソン)
アール・ヘイゼル(Br ジム)
ケニス・オヴァートン(Br フレイジャー)

ジョン・デメイン(指揮) サンフランシスコ歌劇場管弦楽団・合唱団
フランチェスカ・ザンベロ(演出)リタ・ダンジェロ・ティカドー(演出助手)ピーター・J.デイヴィソン(装置)
ポール・テイズウェル(衣装)マーク・マッカラー(照明)デニ・セイヤーズ(振付)

収録: 2009年6月、サンフランシスコ
 
 サンフランシスコ歌劇場の公演ライヴ映像。他にグライドボーンのプロダクションの映像を持っているが、スタジオ収録で演技と演奏は別テイクでそこがどこか違和感を覚えたが、こちらは舞台映像で観客の反応もあって楽しめる。このオペラハウスは以前日本が各国と平和条約に調印した場所でもある。
 
 さて、ガーシュインのジャズ調の乗りの作品ではあるが、内容は暗く悲しいものだ。クララが歌う有名な「Summertime」は冒頭と嵐のシーンに出てくる。赤ん坊に両親がついているから安心しなとあやす。しかし、この赤ん坊はオペラ進行中に孤児になってしまう。登場人物はみなギリギリの生活にあえぎ、葬式もままならない。殺されても埋葬できないなら、医学の解剖素材にすると警察に言われたりと惨憺たるものだ。
 
 いわば、アメリカの恥部を描いたような作品でしかも主要な登場人物は黒人である。初演当時は反発も多かったのではないか。夢も希望もない内容なのに、今日アメリカのオペラ作品の傑作とされるのは、ガーシュインの音楽と人情の機微が織りなす作劇が相乗効果を生んでいるのだと思う。

ペンデレツキ自作自演集

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【収録情報】
ペンデレツキ:
DISC1
①アナクラシス
②広島の犠牲者に捧げる哀歌(1959-60)
③フォノグラミ
④デ・ナトゥラ・ソノリス第1番
⑤ヴァイオリンと管弦楽のためのカプリッチョ           ワンダ・ウィルコミルスカ(ヴァイオリン)
⑥カンティクム・カンティコルム・ソロモニス             クラクフ・フィルハーモニー合唱団
⑦デ・ナトゥラ・ソノリス第2番
⑦ソロモンの雅歌
⑧ヤコブの夢
DISC2
①エマナティオーネン(1959)
②チェンバロと室内管弦楽団のためのパルティータ(1971)   フェリージャ・ブルメンタル(チェンバロ)
③チェロ協奏曲第1番(1972)                      ジークフリート・パルム(チェロ)
④交響曲第1番(1973)

クシシュトフ・ペンデレツキ(指揮)
DISC1①DISC④ロンドン交響楽団(その他)ポーランド国立放送交響楽団
 
 ペンデレツキのオーケストラを使った自作自演集である。トーンクラスターを使い、何やら不協和音がなったり、透明なサウンドが展開されたりといった音楽は武満徹と傾向が似ている。面白いのはパルティータという作品。通常の楽器以外にエレキギターやバス・ギターといった特殊楽器も使われている。これらの特殊楽器の他、ハープやコントラバスも活躍するので、ちょっと変った音がする。
 
 なお、通販で写真の通りの国内盤で購入したが、最後の売れ残りだったようで、販売不可の表示になっていた。EMIのロゴは徐々に市場から無くなっていっていると実感した。

タイム・トンネル(26)マルコポーロの謎

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 1287年のモンゴルの草原に転送され、マルコポーロ一行と遭遇する。クビライ汗の娘にヨーロッパを見聞させるために帰途につく途中だった。美しい姫にトニーは魅了され、もう時間の放浪者生活を止めて、時代に留まると言いだす。
 
 この手の題材はハリウッドは何度か手がけているが、何とも妙なテイストになってしまう。オマー・シャリフ主演の「ジンギス・カン」なんかはその典型だったが、このエピソードもしかりだ。白人がモンゴル人に扮しきれるわけはないのだ。また、風景もアジアのそれとは異なり、アメリカの風景である。冒頭の草原のシーンには第16話「ロビンフッドの復讐」と同じ場所が出てくる。樹木など明らかに違うからだ。
 
 王女役のヴィティナ・マーカスはアーウィン・アレンのプロダクションでは常連の女優だそうだ。「宇宙家族ロビンソン」でも宇宙人役で出ていたのは確認している。

タイム・トンネル(27)魔術師マーリン

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 544年のイギリスのコーンウォール地方に転送される。だが、司令室にマーリンが表れて、そういうふうに誘導するという今までとは違った設定になっている。魔術師だけに司令室もコントロールし、アーサー王を手助けする。主人公二人が助けになるということでの行動という設定だ。
 
 新味を出そうとした工夫の表れだが、円卓の騎士の物語でいささか子供向けの内容になってしまったのは、残念という他ない。ここから、やや手抜きと指摘されても仕方がないものが続いてしまうのである。

フリッツ・ライナーのR,シュトラウスBOX

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ライナーのR.シュトラウス録音集成
『フリッツ・ライナー・コンダクツ・R・シュトラウス~コンプリートRCA & コロンビア・レコーディングス』

【曲目】
<Disc1>
『交響詩「ドン・ファン」Op.20』
ピッツバーグ交響楽団(録音:1941年1月9日)
『交響詩「ドン・キホーテ」Op.35』
グレゴール・ピアティゴルスキー(Vc), ピッツバーグ交響楽団(録音:1941年11月15日)
『楽劇「サロメ」よりフィナーレ「ああ!私にキスさせてくれなかったわね」』
リューバ・ヴェリッチュ(Sp), メトロポリタン歌劇場管弦楽団(録音:1949年3月14日)

<Disc2>
『交響詩「英雄の生涯」Op.40』
ピッツバーグ交響楽団(録音:1947年11月10日)
『組曲「町人貴族」Op.60』
ピッツバーグ交響楽団(録音:1946年2月4日)

<Disc3>
『交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」Op.28』
RCAビクター交響楽団(録音:1950年9月20日)
『交響詩「死と変容」Op.24』
RCAビクター交響楽団(録音:1950年9月27日)
『歌劇「ばらの騎士」より 第2幕~銀のばらの献呈「気高くも美しき花嫁に」第3幕~フィナーレ「夢なのでしょう・・・本当ではないのでしょうか」』
リーゼ・スティーヴンス(Ms/オクタヴィアン),エルナ・ベルガー(Sp/ゾフィー) RCAビクター交響楽団(録音:1951年)

<Disc4>
『交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」Op.30』
シカゴ交響楽団(録音:1954年3月8日)
『楽劇「サロメ」より「7枚のヴェールの踊り」』~インゲ・ボルク(Sp), シカゴ交響楽団(録音:1954年3月6日&1955年12月10日),

<Disc5>
『「英雄の生涯」Op.40』
シカゴ交響楽団(録音:1954年3月6日)
『交響詩「ドン・ファン」Op.20』
シカゴ交響楽団(録音:1954年12月6日)

<Disc6>
『楽劇「エレクトラ」より エレクトラのモノローグ「ひとりだ!たったひとりだ!」、エレクトラとオレストの再会「何をお望みなの、見知らぬ人よ」、フィナーレ「エレクトラ!ねえさん!」』
インゲ・ボルク(Sp/エレクトラ), パウル・シェフラー(Br/オレスト),フランセス・イーンド(Sp/クリソテミス), シカゴ交響楽団(録音:1956年4月16日)

<Disc7>
『組曲「町人貴族」Op.60』
シカゴ交響楽団(録音:1956年4月17日)
『楽劇「サロメ」よりフィナーレ「ああ!私にキスさせてくれなかったわね」』
インゲ・ボルク(Sp/サロメ), シカゴ交響楽団(録音:1955年12月10日)
『楽劇「ばらの騎士」より「ワルツ」』(ライナー編)
シカゴ交響楽団(録音:1957年4月15日)

<Disc8>
『交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」Op.28』
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(録音:1956年9月)
『交響詩「死と変容」Op.24』
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(録音:1956年9月)

<Disc9>
『家庭交響曲 Op.53』
シカゴ交響楽団(録音:1956年11月5日)
『ブルレスケ』
バイロン・ジャニス(P), ~シカゴ交響楽団(録音:1957年3月4日)

<Disc10>
『交響詩「ドン・キホーテ」Op.35』
アントニオ・ヤニグロ(Vc), ミルトン・プレーヴス(Va),ジョン・ウェイチャー(Vn), シカゴ交響楽団(録音:1959年4月11日)

<Disc11>
『交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」Op.30』
シカゴ交響楽団(録音:1962年4月30日~5月1日)
『交響詩「ドン・ファン」Op.20』
シカゴ交響楽団(録音:1960年2月6日)

【演奏】
フリッツ・ライナー(指揮)
 
 ライナーというとシカゴ交響楽団を振って盛んにRCAに録音していたイメージが強いが、シカゴ以前はピッツバーグ交響楽団の常任指揮者でコロムビア・レコードに録音していた。また、50年代半ばから60年代前半まで、RCAはEMIに変えてデッカと提携していたようで、デッカに遺したVPOの録音も含まれている。
 
 さて、まずコロムビア時代の録音を取り出してみる。いずれも初出はSPとして販売されたものだ。音がややデットでテンポも速い。テンポの方はシェラック盤の収録時間が関係しているのかもしれない。ピッツバーグ交響楽団はシカゴ交響楽団に比べていささか荒いという印象も受ける。しかし、このBOXはこのコロムビア時代の録音があるのに価値があると思う。ここのCDはLP時代のデザインの紙ジャケットに入っている。本当は紙ジャケットは管理上ありがたくないのだが、目は楽しませてくれる。

あゝ野麦峠(新日本映画1979年)

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 1979年6月30日に公開された作品。山本茂美の原作の映画化したものだが、実は約10年ほど前に内田吐夢監督による企画があったという。吉永小百合主演ということで、特作プロを立ち上げ、劇団民藝などが協力していたという。しかし、資金的に困難だったようで、かつ吉永プロで吉永の父親があまり目立たないことにも難色を示して、流れたという。それは山本薩夫監督は民藝の宇野重吉から聞いたいたことが、上映パンフレットやキネマ旬報などにも掲載されていたのを目にしたものだ。
 
 普通こういう女工哀史の内容だと、暗くジメジメしたイメージが強い。しかし、山本監督が抱負としてカラッとした感じで仕上げたいといったように、必ずしもお涙頂戴の内容とはなっていない。これは監督の考え方や資質もあるだろう。さげなく家業から、銀行資本と結びつく経営の変容などが巧みに織り込まれているし、世界の情勢に翻弄されることも描かれている。
 
 この作品は封切直後、立て続けに2回も観ている。初回は封切り日に日比谷劇場に足を運んだ。次は京都の映画館で友人たちと観たが、女性はたいていハンカチで目を拭いていたのを思い出す。山本監督は3年後には「新緑篇」という続編も撮っていて、それが遺作となる。これは本当にストライキの映画になってしまっている。情緒的なものよりも資本主義の冷徹さを描こうしたものであろう。
 
 

マグマ大使(1966-67)

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 これも懐かしいテレビ映画である。1966年7月4日から67年9月25日まで合計52話からなるもので、フジテレビ系列で放送された。資料によると日本初のオールカラーのテレビドラマでTBS系の「ウルトラマン」に先駆けて製作されたものだという。ただ、リアルタイムはモノクロで観ていた。
 
 今観るとアニメーションをうまく使っていることがわかる。モノクロ画面ではそこらが明瞭でなかったように記憶する。また、配役も名のある俳優が揃っているのは、プロデューサーの手腕によるところが多いという。
 
 守役の江木俊夫はこのドラマで知った。後年の人気アイドルグループ「フォーリーブズ」のメンバーとして活躍するが、マグマ大使の守少年がアイドルになったという感覚でしばらくいたのを思い出す。しかし、当時は売れっ子の子役であって、黒澤明監督の「天国と地獄」で主人公の息子役で出演していた。
 
 他、父親役の岡田真澄もこのドラマで知ったが、既に日活で活躍していたスターだったし、アース役の清水元はベテランの舞台俳優だった。黒澤作品や大映の時代劇に出ていた。因みに同じ手塚治虫の「鉄腕アトム」の主人公アトムの声を担当していた清水マリはこの人の娘というのはよく知られている。ガム役の二宮秀樹は大映京都の子役で雷蔵などと共演しているし、「大魔神」にも出演していた。大阪弁を話す青い目の外人、イーデス・ハンソンも出ていた。
 
 ともかくもほぼ完全な形で今も鑑賞でみるのはありがたい。

訃報:エフレム・ジンバリストJr.

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 エフレム・ジンバリストJr.が本日亡くなった。享年95歳。「サンセット77」や「FBI」など映画よりもテレビ作品で知ったスターだった。その後、同姓同名の有名なヴァイオリニストがいて、クラシック・レコードのカタログなどにもあった。何とそれはこの人の父君だった。シニアの方は、古いクラシック・ファンには名手として知られていたが、息子はハリウッドで名をなした訳だ。
 
 かっこいい人で、颯爽としていた。「サンセット77」も「FBI」も確か日曜日の午後8時あたりに放映されていたと記憶している。その直前がアニメ番組だったから覚えている。前者はあまり観ていないので内容は覚えてないが、後者は比較的再放送も多く、観るのを楽しみにしていたこともあった。吹替えは黒沢良だった。
 
 天寿を全うしたと言っていいだろう。どうしているだろうかと思っていたところへの訃報だった。虫の知らせというのかもしれない。ご冥福を。

二つのドニゼッティのシンフォニア集

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(Vol.1)
ドニゼッティ:
・シンフォニア ニ長調『出発』
・シンフォニア ニ長調『炎』
・シンフォニア ハ長調
・シンフォニア ニ長調
・道化芝居『愚か者』へのシンフォニア
・シンフォニア ホ短調
ディエゴ・ディニ・チアッキ指揮 イタリア国立放送管弦楽団
(Vol.2)
ドニゼッティ:
・ベッリーニへの追悼のシンフォニア
・葬送前奏曲
・シンフォニア ニ長調
・アントニオ・カプッツィへのシンフォニア
・シンフォニア ハ長調
・シンフォニア・コンチェルタンテ ニ長調
・シンフォニア ニ長調
ディエゴ・ディニ・チアッキ指揮 サン・カルロ歌劇場管弦楽団
 
 「愛の妙薬」、「ドン・パスクァーレ」や「ランメルモールのルチア」といったオペラで有名なドニゼッティの秘曲が録音となって出た。シンフォニアが2つのアルバムになった。交響曲といった表現を通販などのカタログでは使われているが、演奏会用の序曲といった方がいいくらいの作品群だ。現にイタリア・オペラでも序曲と呼ばれている楽曲はオリジナルではシンフォニアと呼ばれてものが多い。
 
 年代的には19世紀前半の作品である。楽器編成もそう大きくないようだ。また、ところどころオペラのような節廻しもあって、やはり本質的にはオペラ作曲家だ。また、同時代のライバルだったロッシーニの作品に似たようなところもあったりする。総体的に強い印象はない。埋もれてしまったのも、ある意味わかるような感じもする。管弦楽作品だが、オペラ的、しかし、歌がないので中途半端な感じがした。
 

エヴェレストのストコフスキーによる秘曲

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【収録情報】
・スクリャービン:交響曲第4番 Op.54『法悦の詩』
・アミロフ:交響的ムガム『キュルド・オヴシャリ』
レオポルド・ストコフスキー指揮 ヒューストン交響楽団
 
 ストコフスキーというよく知られた作品を、何度も指揮しているイメージを勝手に持ってしまったが、こうしたほぼ同時代の作品も熱心に取り上げた人でもあった。スクリャービンの方は今では大して珍しくもないが、録音された1959年当時ではたいへんマニアックなレパートリーだったのではないのか。アミロフに至っては初めて知る人だ。1923年生まれのアゼルバイジャンの作曲家で当時は旧ソ連の作曲家として認識されていたのだろう。ムガムというのはこの人の独自のものらしい。中東風のエイキゾティックなテーストのする音楽は面白い。
 
 35mmの磁気フィルムに記録されたこのレーベル独特の録音で、比較的いい状態のものだ。ただ、この盤ではスクリャービンなどはトランペットだけが突出して聴こえたりするし、ややデット気味なのも気になる。が、こうした作品がステレオで聴けるのはありがたい。

黎明八月十五日 終戦秘話(関川秀雄)(東映東京1952年)

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 関川秀雄監督が「きけ、わだつみの声」に続いて取り上げた戦争テーマの作品。今回は終戦に至るまでの秘話を庶民の側面と政府中枢の側面とを二元的に描こうとしている。前作が京都撮影所だったのに対し、これは東京撮影所での製作である。
 
 さて、どうしても15年後に東宝が制作した「日本のいちばん長い日」との比較になってしまう。東宝の岡本喜八作品は専ら政府中枢の話に集中し、終戦の詔勅を天皇自ら録音したレコードを巡っての攻防に重点が置かれてたいへん緊迫感のあるものだった。しかし、この東映作品は総花的であって表面をなぞったようで、緊張感は全くないのが最大の欠点である。まだ、詳細な資料が揃わなかったのかもしれない。憲兵を始め、軍人は概ね悪人として描かれているのも気になる。
 
 サンフランシスコで講和条約が締結され、占領が解かれた直後に公開されたものだが、真相を伝えようとする意気込みだけは伝わった。青山杉作、千田是也、滝沢修、松本克平、三島雅夫、加藤嘉といった新劇の各劇団の幹部も多く出演しているのも、後年の東映作品にはない現象である。

雁(池広一夫)(大映東京1966年)

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新文芸座で映画『雁』を鑑賞。
 
 これは、リメイク作品である。既に大映はこの13年前に豊田四郎監督を起用して高峰秀子主演で映画化している。前作も本作も成沢昌茂の脚本であるから、基本的な構成は大きな相違はない。本作は京都撮影所で時代劇を撮っていた池広一夫監督が珍しく東京撮影所に出向いて演出したものだ。
 
 さて、やはり監督の資質の違いが如実に出ている。豊田監督が人情の機微を丹念に描き、明治の雰囲気がよく出ていたのに対して、本作はお玉の心持が中心で明治の雰囲気よりも女の情念が主眼のような感じだ。最も異なるのがラストだ。前作はヒロインが茫然と雁が飛び立つのを見ているのに比し、本作では心残りはあるもまた妾宅の玄関に入ってしまうところでエンドである。要するに諦めて妾に甘んじるということをかなり直截な描いている。池野成の暗い音楽が輪をかけて絶望的な気分になる。前作が團伊玖磨でややほのぼのとはしているものの、どこか悲しげな音楽とはかなり差がある。
 
 そこが映画の面白さではないかと思う。

R.シュトラウスの自作自演集BOX

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【曲目】
<CD1>
R・シュトラウス: 交響詩「ドン・ファン」「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」~ベルリン・シュターツカペレ(録音: 1929年6月)
歌劇「インテルメッツォ」より交響的挿入曲~ベルリン・シュターツカペレ(録音: 1927年2月)
楽劇「サロメ」より「7枚のヴェールの踊り」~ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(録音: 1928年11月)
交響詩「死と変容」~ベルリン・シュターツカペレ(録音: 1926年11月)

<CD2>
R・シュトラウス: 交響詩「ドン・キホーテ」~エンリコ・マイナルディ(Vc) ~ベルリン・シュターツカペレ(録音: 1933年6月)
「町人貴族」からの組曲~ベルリン・シュターツカペレ(録音: 1930年6月)

<CD3>
R・シュトラウス:
交響詩「英雄の生涯」~バイエルン国立管弦楽団(録音: 1941年6月)
皇紀2600年奉祝音楽~バイエルン国立管弦楽団(録音: 1940年11月)
歌劇「ばらの騎士」より第2幕のワルツ~ベルリン・シュターツカペレ(録音: 1927年2月)
歌劇「ばらの騎士」より第3幕のワルツ~バイエルン国立管弦楽団(録音: 1941年6月)

<CD4>
モーツァルト:
交響曲第39番変ホ長調K.543, 交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」~ベルリン・シュターツカペレ(録音: 1926年11月)
交響曲第40番ト短調K.550~ベルリン・シュターツカペレ(録音: 1927年)
歌劇「魔笛」序曲~ベルリン・シュターツカペレ

<CD5>
ベートーヴェン:
交響曲第5番ハ短調Op.67~ベルリン・シュターツカペレ(録音: 1928年)
交響曲第7番イ長調Op.92~ベルリン・シュターツカペレ(録音: 1926年)

<CD6>
グルック: 歌劇「「オーリードのイフィジェニー」序曲
ウェーバー: 歌劇「オイリアンテ」序曲
ワーグナー: 歌劇「さまよえるオランダ人」序曲
ワーグナー: 歌劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲
コルネリウス: 歌劇「バグダッドの理髪師」序曲
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(録音: 1928~1929年)

<CD7>
R・シュトラウス:
交響詩「ドン・キホーテ」~オズヴァルト・ウール(Vc) バイエルン国立管弦楽団(録音: 1941年)
献呈, 夜, 憩えわが心, 秘め事~ハインリヒ・シュルスヌス(Br) (録音: 1921年)

【演奏】
リヒャルト・シュトラウス(指揮&P)
ベルリン・シュターツカペレ
バイエルン国立管弦楽団
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 今年はR.シュトラウスの生誕150周年だった。したがって、いろいろな指揮者による録音がBOXとなっているのはその流れだが、やはりご本人による指揮というのが、登場した。1921年から41年まで、指揮もしくはピアノ伴奏をした録音で、独グラモフォンに入れたものである。一応自作自演集とはしたが、中にはモーツァルトやベートーヴェン、ワーグナーなど他の作曲家の作品を指揮したものまで入っている。他にVPOなどを振った自作自演集が存在している。これらは戦時中で1944年頃のものだった。
 
 さて、70年以上も前の録音でいささか臆したが、自身が指揮した日本政府の要請で作曲した「皇紀2600年奉祝音楽」が目当てであった。以前、国内盤で出ていたものの見送って、入手が叶わなかったからだ。指揮者としても優れていて、殊にモーツァルトの大家としても知られていたという。モーツァルトのものは80年以上も前の録音なので、恐る恐るプレーヤーにかけてみたが、鑑賞には一向に支障がないばかりか、軽やかな音楽運びには驚く。もっともシェラック盤(SP)収録ということで、テンポを速めていることも考えられるが、それにしても聴いて心地がいい。
 
 

R.シュトラウスBOXから~ベートーヴェン

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 本当の自作自演は後の楽しみとして、次はベートーヴェンの第5番と第7番のカップリングを聴いてみる。前者が1928年、後者が1926年の録音。もうどちらも電気吹き込みになっているので、音はしっかりしている。いくぶんデットな響きはするが、普通に聴ける。
 
 さて、これは明らかに収録時間を意識したような演奏で、第5番などは飛びきり速いテンポである。何か余裕がないというか、何かにせき立てられている感じ。そう時間内に先生、お願いしますと、レコード会社のスタッフに言われたような感じがした。第7番はあまりそんな感じはしないが、第5番は今まで聴いた中では最も速い。オーケストラはシュターツカペレ・ベルリン。戦後は東側にあって、代表的なオーケストラとして君臨していたが、ここではそんな感じはしない。アンサンブルも不揃いで縦の線が時より乱れるし、金管の中には音を外しているように聴こえる箇所もある。
 
 さて、リヒャルト・シュトラウスは、指揮台では極めて冷静で動作もコンパクトだったという。カール・ベームに指揮は右腕だけで出来ると言ったそうだ。オペラの指揮だったかで、ピット内で実際にやろうとしたら、興奮したのか思わず左手を動かしてしまい、ベームの方を向いて苦笑いしたという話が残っている。また、ボックスの裏にはカラヤンの短いコメントが載っている。
曰く「彼なら、最小限の動作で大いなる結果を作り出すであろう。指揮する時は感情を露わにしなかった。つまり感情は音楽の中からほとばしった」と。

バルトーク:カンタータ・プロファーナ/バレエ音楽「かかしの王子」

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(収録曲)
①カンタータ・プロファーナ
②バレエ音楽「かかしの王子」
ピエール・ブーレーズ指揮 シカゴ交響楽団・①合唱団 ジョン・アラー(T)、ジョン・トムリンソン(Br)
 
 1991年に録音されたもの。②の方は既にCBSに入れたNYPとの共演の録音を持っていたので、長らく買わずにいた。しかし、①の大規模な声楽曲を他の演奏の輸入盤で期せず、入手できたものの、歌詞の英訳すらなく、何を歌っているのかわからない状態続いていた。気になっていたが、かつて国内盤があったことを知り、探したら中古品ながら、見つけることができた。どちらこというとこの声楽曲が目当てであった。
 
 内容は悲しい話が語られる。一人の老人がいて、9人の立派な息子がいた。彼らには狩りだけを教え、9人は野山を駆け巡っていたが、森のきれいな橋を渡ったら尽く男鹿にされてしまった。父親が迎えに行くももうこの姿で家の門はくぐれないといって、帰宅を拒むといった内容が歌われる。独唱のテノールは息子の代表を、バリトンは父親の台詞をそれぞれ歌う。
 
 バルトーク自身の作詞によるらしいが、ハンガリーやルーマニアなどを一体化しようという意志から発したようだが、その意志は十分に作品には反映しなかったらしい。大規模な合唱を伴う作品はこれが唯一だというから、意外な感じがしないでもない。いや、こんな作品があったのかという驚きの方が大きかったというのが正確かもしれない。
 
 

訃報:鈴木則文監督

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 東映で活躍されていた鈴木則文監督が亡くなった。「トラック野郎」シリーズが有名だが、藤純子の「緋牡丹」シリーズも脚本で参加していた人だった。折しも、CSの東映チャンネルで後者のシリーズの連続放映の最中である。
 
 享年80歳ということだが、まだまだ活躍できたのではなかったろうか。残念である。ご冥福を祈ります。

ヤルヴィ:バルトーク「中国の不思議な役人」/ヴァイネル「ハンガリー民俗舞曲」

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Bartok;the Miraculous Manda
(収録内容)
①バルトーク:バレエ音楽「中国の不思議な役人」(全曲)   ロンドン・ヴォイセズ
②ヴァイネル:ハンガリー民俗舞曲 作品18
ネーメ・ヤルヴィ指揮 フィルハーモニア管弦楽団
 
 これも現在廃盤となっていて、アマゾンのマーケットプレイスで見つけたアルバムである。セコハン物を通販で購入するのは比較的賭けみたいなところがあるが、ここでしか入手できないものは思いきるしかない。
 
 さて、目当てはバルトークの方ではなき、ヴァイネルという作曲家の作品②の方である。まだ記事にはしていないが、ドラティのバルトーク・アルバムで余白にボーナストラックとして収録されていた。ところがモノラル録音の上、解説は省略されていて、どういう背景の人であるかもわからなかった。そういう時に見つけたものがこれだった。デジタル録音でもあり、英文ながら簡単な解説もあったし、顔写真まで載っていたのである。
 
 レオ・ヴァイネル(1885~1960)は、バルトークとは同世代の作曲家。1921年にバルトークがヴァイネルについて、「彼はドイツの音楽で音楽の勉強をしたが、その拠り所をドビュッシー前のフランス音楽、殊にビゼーあたりに定めている。同時に彼はあらゆる現代的な試み(暗にバルトーク自身の試み)への敵対者として彼を位置づけるクラシック純正主義の傾向も示した」と書いている。どこか保守的であったようだ。民謡からの引用はなく、この作品もバルトークやコダーイのものよりはリストのハンガリー狂詩曲やブラームスのハンガリー舞曲との共通性があるというのである。
 
 こういう題名なので、同調者と思ったら全く逆だった。言われてみれば、バルトークほど土臭くはない。結局バルトークやコダーイの活動があっての作品なのだが。どこか中途半端な印象ものくはない。何か徹しきれてないものがあって、埋もれてしまっているのかもしれない。
 
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