【曲目】
モーツァルト:
2台のピアノための協奏曲(ヴィチャ・ヴロンスキー、P,ビクター・バビン、P)、
フランク:
交響曲ニ短調。以上、1966年7月2日ライヴ
ルーセル:
「バーフスとアリアンヌ」第2組曲、
ラヴェル:
ピアノ協奏曲(ニコール・アンリオ・シュヴァイツァー、P)、
ベルリオーズ:
幻想交響曲。以上、1966年7月5日ライヴ
ドビュッシー:
「牧神の午後への前奏曲」、交響詩「海」、
シューマン:
交響曲第4番。以上、1967年7月15日 ライヴ
モーツァルト:
2台のピアノための協奏曲(ヴィチャ・ヴロンスキー、P,ビクター・バビン、P)、
フランク:
交響曲ニ短調。以上、1966年7月2日ライヴ
ルーセル:
「バーフスとアリアンヌ」第2組曲、
ラヴェル:
ピアノ協奏曲(ニコール・アンリオ・シュヴァイツァー、P)、
ベルリオーズ:
幻想交響曲。以上、1966年7月5日ライヴ
ドビュッシー:
「牧神の午後への前奏曲」、交響詩「海」、
シューマン:
交響曲第4番。以上、1967年7月15日 ライヴ
シャルル・ミュンシュ指揮 シカゴ交響楽団
>長らくボストン響音楽監督を務めたシャルル・ミュンシュは1962年に退任。以降はフリーとして活躍するつもりが1967年にはパリ管音楽監督に就任します。その合間のシカゴ響への客演ライヴが、一気にセット化。良好なステレオ録音というのもたまりません。ミュンシュのシカゴ響初登場は1947年ですが、以後は縁が薄かったところ、当時のシカゴ響ラヴィニア音楽祭(シカゴ響を中心とした夏の音楽祭)音楽監督の小澤征爾!が師匠に当たるミュンシュに声を掛けて、実現したのが当ライヴです。お得意のレパートリーがずらりと並びます。ロシア出身の伝説のピアノ・デュオ、"ヴロンスキー&バビン"を迎えたモーツァルトの2台ピアノ協奏曲は初出レパートリー。フランクも緊張と弛緩の繰返しが強烈なミュンシュらしい好演(1966年7月2日ライヴ)。ルーセルの「バーフス」第2組曲を15分強で駆け抜けるのも凄い。公私ともに同志であったニコール・アンリオ・シュヴァイツァーとのラヴェルの協奏曲、これは物凄くお洒落な演奏。さらに極め付けの「幻想」で痺れてください。シカゴ響の馬力を生かしてゴツゴツとした肌触りすらある豪快そのものの名演(1966年7月5日ライヴ)。ドビュッシーの「牧神」は、色気たっぷりでとろけるよう。「海」の光彩陸離はいつもながら、オケの底力が凄い。そしてミュンシュのドイツ魂が聳え立つ、派手な中にも構成的なシューマンの交響曲第4番(1967年7月15日ライヴ)。1967年の11月にはパリ管結成で、あのお披露目演奏会を指揮。翌1968年には、パリ管のアメリカ・ツアーを行いますが心臓発作で急逝してしまいます。野外演奏故に自動車の音や飛行機?の音が聴こえたりするのも御愛嬌ですが、ミシガン湖に近い猛暑のシカゴで燃えに燃えたミュンシュの絶叫も音楽の合間に轟きます。
ミューズ貿易
ミューズ貿易
1966年から67年というとシャルル・ミュンシュはフリーとしていろいろなオーケストラと共演している。パリ管弦楽団ができるまでは、珍しい組み合わせも見られた。この録音もそうした一環のものであろう。この当時はマルティノンの時代にあたる。したがって、オケとしては必ずしも万全ではなかった時代でもある。セッション録音にはない演奏上の傷はあるし、雑音もあるが、それでもミュンシュは楽員を鼓舞して、熱狂的な拍手を受けているというのは、やはりただものでは指揮者というべきだろう。ステレオ収録ながら、ややデッドな感じなのは已むをえまい。モーツァルトやシューマンの作品もあるが、やはりフランスものが聴きものだろう。ルーセル、ベルリオーズ、ラヴェル、ドビュッシーは興奮する。