【収録情報】
● ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇『こうもり』全曲(英語歌唱)
ロザリンデ:ナンシー・グスタフソン(ソプラノ)
アイゼンシュタイン:ルイス・オテイ(バリトン)
アデーレ:ジュディス・ハワース(ソプラノ)
アルフレード:ボナヴェントゥーラ・ボットーネ(テノール)
ブリント:ジョン・ドブソン(テノール)
ファルケ博士:アンソニー・マイケルズ・ムーア(バリトン)
フランク刑務所長:エリック・ギャレット(バス)
オルロフスキー公爵:ヨッヘン・コヴァルスキー(カウンターテナー)
【第2幕のスペシャル・ゲスト】
ジョーン・サザーランド(ソプラノ)
マリリン・ホーン(メゾ・ソプラノ)
ルチアーノ・パヴァロッティ(テノール)
1. チレア:歌劇『アルルの女』~フェデリコの嘆き(パヴァロッティ)
2. ロッシーニ:歌劇『セミラーミデ』~常に持ち続けておくれ、貴方の心に私への忠誠と愛を(サザーランド&ホーン)
3. サン=サーンス:歌劇『サムソンとデリラ』~あなたの声で心は開く(ホーン)
4. ヴェルディ:歌劇『椿姫』~パリを離れて(サザーランド&パヴァロッティ)
5. ビショップ:『埴生の宿』(サザーランド)
コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団&合唱団
リチャード・ボニング(指揮)
演出:ジョン・コックス
収録時期:1990年12月31日
収録場所:ロンドン、コヴェント・ガーデン、ロイヤル・オペラ・ハウス(ライヴ)
● ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇『こうもり』全曲(英語歌唱)
ロザリンデ:ナンシー・グスタフソン(ソプラノ)
アイゼンシュタイン:ルイス・オテイ(バリトン)
アデーレ:ジュディス・ハワース(ソプラノ)
アルフレード:ボナヴェントゥーラ・ボットーネ(テノール)
ブリント:ジョン・ドブソン(テノール)
ファルケ博士:アンソニー・マイケルズ・ムーア(バリトン)
フランク刑務所長:エリック・ギャレット(バス)
オルロフスキー公爵:ヨッヘン・コヴァルスキー(カウンターテナー)
【第2幕のスペシャル・ゲスト】
ジョーン・サザーランド(ソプラノ)
マリリン・ホーン(メゾ・ソプラノ)
ルチアーノ・パヴァロッティ(テノール)
1. チレア:歌劇『アルルの女』~フェデリコの嘆き(パヴァロッティ)
2. ロッシーニ:歌劇『セミラーミデ』~常に持ち続けておくれ、貴方の心に私への忠誠と愛を(サザーランド&ホーン)
3. サン=サーンス:歌劇『サムソンとデリラ』~あなたの声で心は開く(ホーン)
4. ヴェルディ:歌劇『椿姫』~パリを離れて(サザーランド&パヴァロッティ)
5. ビショップ:『埴生の宿』(サザーランド)
コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団&合唱団
リチャード・ボニング(指揮)
演出:ジョン・コックス
収録時期:1990年12月31日
収録場所:ロンドン、コヴェント・ガーデン、ロイヤル・オペラ・ハウス(ライヴ)
>もちろん本編の『こうもり』はとても面白いものですが、この1990年大晦日の公演を観に来ていた方々のお目当ては第2幕のガラ・コンサートでした。何しろこの日は伝説の名ソプラノ、ジョーン・サザーランド[1926-2010]の「さよなら公演」であり、彼女は本編の役としての登場ではなく、あくまでも「オルロフスキー公爵が開催した舞踏会のゲスト」として舞台に立つつことになっていたのです。
他にゲストとして招かれたのは世紀のテノール、パヴァロッティと、こちらも名メゾ・ソプラノ、マリリン・ホーン。サザーランドを交えた3人が代わる代わる歌う第2幕のガラ・コンサートはまさに夢の舞台だったのです。夫リチャード・ボニングとともに、ロイヤル・オペラを活性化させた彼女の功績は大きく、この公演が終了した際には満場の聴衆から大喝采を受けたということです。(Arthaus Musik)
他にゲストとして招かれたのは世紀のテノール、パヴァロッティと、こちらも名メゾ・ソプラノ、マリリン・ホーン。サザーランドを交えた3人が代わる代わる歌う第2幕のガラ・コンサートはまさに夢の舞台だったのです。夫リチャード・ボニングとともに、ロイヤル・オペラを活性化させた彼女の功績は大きく、この公演が終了した際には満場の聴衆から大喝采を受けたということです。(Arthaus Musik)
これは少し異例の公演の実況映像だと思う。最初、サザーランドはアデーレの役で登場かと思ったら、第2幕のオロロフスキー公爵邸でのパーティ客として登場し、余興として主にイタリア・オペラのアリアを披露するという設定だ。ガラ・パーフォーマンスが組まれることはよくあるらしく、他でもそういう録音が存在するのは知っていたが、この公演は本筋の歌手の存在は薄くなって、引退する老歌手に花を持たせるためのものになっている趣向。指揮がサザーランドの夫君のリチャード・ボニングというのもコヴェントガーデンの計らいだろう。
さて、本筋の方だが、英語歌唱というのが面白いし、オルロフスキー役がカウンター・テナーの歌手が担当していて、台詞は男らしいの良いとして歌唱が女性的になるという落差がありあすぎる。序曲などもクライバーのものに比べたら、残念ながら遜色がありすぎるのは残念である。そして件のガラのシーンになると雰囲気が違いすぎるのも違和感を覚えてしまうのは、鑑賞者の側の頭が固いからだろうか。サザーランドは華はあるものの、レコード芸術では某氏が徹底的に嫌っていて、それこそボロボロな評価しかしなかったということを思い出してしまた。もうこうなると評論ではなく、個人の趣味の押し付けである。