この映画は公開直後、名画座で観ている。確か銀座並木座だったかと思う。沢田研二と菅原文太の共演ということで話題になっていたし、当時新進の長谷川和彦監督はどんな映画を作るかの興味もあったろうと思う。ただ、そのクセ同監督の「青春の殺人者」は回避していた。親殺しという題材が嫌だったと思うし、ATG作品だから難しいだろうということもあった。これは東宝系での公開で、二人の大物が出ているのと、伊藤雄之助も登場というのも気を惹いた。
さて、普通の中学の理科の教員が原爆を作るというのが当時は荒唐無稽な設定のように思われていたが、今はどうなんだろう。結果論だが、今やこうしたことは可能な感じがする。沢田研二扮する教師の得意分野は物理学のようで、基礎知識はあるのだろう。翻って昨今のテロリストたちにこうした素養のある者がいて、何をしでかすかわからない時代になっている。長谷川和彦監督を始め、原案者のレオナード・シュレイダーもそこまではっきりと予知はしていなかったろうが、感覚的なものはあったのかもしれない。
かつて映画をよく一緒に観ていた仲間が云ったことだが、「ACTミニシアターなんかでよく上映されている民青的ヒューマニズムの映画とは真逆なのが長谷川和彦監督作品、そんなヒューマニズムなんかクソクラエみたいなところがある」という言葉がいまだに記憶に残っている。どこかアナーキーな気分になる作品だが、長谷川監督は広島出身で、原爆はとても自身にとってセンシティヴなものであろう。彼独自のそうした武器の恐ろしさを描いたのかもしれない。同時に伊藤雄之助扮するバスジャックの老人は旧陸軍の軍服をまとい、天皇との面会を要求するが、これは戦争の残滓の表現とともに狂気との結びつきの示唆的な場面であったと思う。この名優の最後の映画作品のようである。また、長谷川監督も本作以降、2017年3月現在、映画を撮っていない。