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クレンペラー・ドキュメンタリー

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【曲目】
〈DVD1〉ロング・ジャーニー ~彼の生きた時代 (フィロ・ブレフスタイン制作)
〈DVD2〉ラスト・コンサート (フィロ・ブレフスタイン制作)
《特典映像》
1.ブーレーズへのインタビュー(1972)
2.エルンスト・ブロッホへのインタビュー(1972)
3.リハーサル断片映像(1971年9月26日)

〈CD1〉
1.ベートーヴェン:「シュテファン王」序曲 Op.117
2.ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 Op.58
ダニエル・アドニ(ピアノ)
〈CD2〉
1.ブラームス:交響曲 第3番 ヘ長調 Op.90
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団/オットー・クレンペラー(指揮)
1971年9月26日:ロンドン ロイヤル・フェスティヴァル・ホールでのコンサート(MONO)
 
>往年の名指揮者クレンペラーの生涯を、関係者の証言や本人の言葉と映像で構成した貴重な映像です。クレンペラーに強い影響を与え、指揮者となるきっかけを与えた恩師マーラーとの出会いから、当時の前衛的な音楽への強い関心、第二次大戦前夜、ベルリンのクロル歌劇場を追われ、亡命先のアメリカ体験、戦後欧州に復帰後の活躍と挫折、そして復活 ― 波乱万丈の一生が動画や写真とともにリアルに語られていきます。リヒャルト・シュトラウス、シェーンベルク、エルンスト・ブロッホなど、同世代の作曲家、音楽家、思想家とのかかわりの中に描かれるクレンペラーの生涯と、20世紀文化の歴史も同時にあぶりだす見応えのあるドキュメンタリーです。
〈ラスト・コンサート〉
1971年9月26日、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールで行われたニュー・フィルハーモニア管弦楽団とオットー・クレンペラーのコンサート。この年、すでに86歳という高齢に達していたクレンペラーですが、まだまだ彼には多くの将来へのヴィジョンがありました。
しかし、クレンペラーはこの9月26日のコンサートを最後に、二度と指揮台に上がることはなく、演奏の再開を望むファンの声も空しく、1973年にこの世を去るのです。
リハーサルを含めたこの映像は、クレンペラーの指揮姿だけでなく、彼から多くの薫陶を受けた楽団員の言葉や、アシスタントを務めていたアントニー・ボーモントの証言が織り込まれており、クレンペラーが発する強烈なカリスマ性と、「テンポが遅い」と称される一種独特な音楽作りの秘密の数々を知ることができる、非常に貴重な映像です。
指揮台まで支えられながら歩みを進めるクレンペラーが、指揮棒を振り下ろした瞬間、別人のように変貌し、凄まじい音楽を奏で始める姿には感動を覚えずにいられません。
付属CDは既出の音源ですが、アーカイヴ音源の復刻に定評のある独Archiphon社により、新たにオリジナルテープから丹念なリマスタリングが施されています。
ナクソス・ジャパン
 
 アートハウスというドイツのレーベルからオットー・クレンペラーの記録映画と彼の生涯最後のコンサートを収録したものが出た。この指揮者についてはいろいろとエピソードがあって興味を持っていたが、まとまった形で記録映画としてリリースされたのはありがたい。しかも日本語字幕付きというのは大きい。ただ、これを書いている段階ではラストコンサートのCDしか聴いていない状態である。他に同じコンサートの映像もある。むしろこれらは特典ということなのかもしれない。
 
 演奏はモノラルで広がり感がないのは残念。そしてCDではオーケストラの音がベストではないように聴こえた。ブラームスなど微妙にピッチが合っておらず、少し壊れたような感じがしたのは気のせいだろうか。ブラームスの第3番の第1楽章は楽譜の指示通りリピートを行っている。これはEMIへのセッション録音でも同じ。クレンペラーの方針なのだと思う。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番はまあ無難な感じ。前プロの「シュテファン王」序曲は珍しい曲である。ご本人はこれが最後と決めた訳でもなかろうが、観客は次があるかどうかということを悟っていたような感じだ。メイン終了後の長い拍手は巨匠の姿を目に焼き付けたいという思いからであろうか。DVDの「ラスト・コンサート」はコンサートそのものを映像化したものではなく、ブラームスの第3番のリハーサルを通してクレンペラーの音楽作りを記録したもので、最後に第1楽章をそのまま映し出していた。スコアを掲示し、どういう注意を与えているのかがわかるようになっていた。これはこれで関心事であった。88歳の指揮姿は楽員からは決して見やすいものではないが、意志だけは伝わっているという感じだった。
 
 今でもこの人の訃報をラジオが伝えた折のことを鮮明に覚えている。高校時代だった。当時はまだ彼の録音を熱心に聴いてはいなかった。たまにFMあたり流れるの聴いただけだが、名前は知っていた。

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