交響曲 第8番 ハ短調 作品65
クルト・ザンデルリンク指揮 ベルリン交響楽団
1976.9.9-17 キリスト教会、ベルリン
これはまだ厳然としてベルリン市内に壁が存在していた時代の録音である。所謂「東側」での行われたものだ。当時は東西に同じような名称のオケがあって、混乱したものである。このオーケストラも今では名称が変わっていてたしか「ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団」となってはいないだろうか。西の方の同名の楽団はいったんは財政破綻したようだが、スポンサーがついたようで、健在のようである。この指揮者は日本にも度々やってきた人であるが、典型的な東ドイツの人というイメージが強い。年齢的にはルドルフ・ケンペより一つ若く、ギュンター・ヴァントやセルジュ・チェリビダッケとは同年輩である。多くの東ドイツの指揮者が精神的に参って、中には自殺する人もいる中、この人は統一後もしたたかに活動をしていた。アメリカのオーケストラにも客演、ベルリン・フィルとも共演している。しかし、練習初日はいつも演説をぶち、自分は共産主義者といい、西側のオケのメンバーを牽制していたらしい。ナチスの台頭を逃れてソ連に移住しているから、筋金入りなのだろう。
彼の経歴からするとショスタコーヴィチは同時代の人で作品が出来上がる背景も身をもって体験していたのだと思う。よく第15番は十八番とは云われていたが、ショスタコーヴィチの交響曲は全て熟知していたのだと思う。これは故国のオケを振った記録だが、ロシアあたりの粗い演奏ではなく、端正な表現でこのショスタコーヴィチの第8番を披歴してくれている。