ベートーヴェン:歌劇『フィデリオ』(全曲)
[出演]
ヨナス・カウフマン(フロレスタン/テノール)、
アドリアンヌ・ピエチョンカ(レオノーレ/ソプラノ)、
セバスティアン・ホレチェック(ドン・フェルナンド/バリトン)、
トーマス・コニエチュニー(ドン・ピツァロ/バリトン)、
ハンス=ペーター・ケーニヒ(ロッコ/バス)、
オルガ・ベスメルトナ(マルツェリーナ/ソプラノ)、
ノルベルト・エルンスト(ヤキーノ/テノール)、
パウル・ローレンガー(ドン・ピツァロの影)、
ナディア・キヒラー(レオノーレの影)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団,
ウィーン国立歌劇場合唱団,
フランツ・ウェルザー=メスト(指揮)
[演出]クラウス・グート、
[装置&衣裳]クリスティアン・シュミット、
[照明]オラフ・フリーズ、
[音響]トルステン・オッターズベルク、
[映像]アンディ・A・ミュラー、
[ドラマトゥルギー]ロニー・ディートリヒ
【収録】
2015年8月7-13日, ザルツブルク祝祭大劇場でのライヴ
>ベートーヴェンの『フィデリオ』でよく取沙汰されるのが、セリフをどう扱うかという問題ですが、ここではセリフはカットし、代わりに息遣いの音や電子音を入れるなどして、心理的な表現を志向しているのが面白いところ。これには舞台がモノトナスで、説明的であるよりは抽象的であることも影響していると思います。実際、映画『2001年』のモノリスのようなオブジェが存在感を示すここでの舞台装置はなにやら暗示的ですし、人物キャラクターを分身に振り分けたり、その分身が手話のようなジェスチャーを駆使したり、映画『マトリックス』のエージェント群のパロディも現れたりするなど、一貫するのは直接的な感情の表現によらず、あくまでも人工的な手法で舞台をつくりあげているという点。
対照的に、ヴェルザー=メスト指揮するウィーン・フィルは情熱的な演奏で音楽を盛り立て、『レオノーレ』第3番が含まれるヴァージョンということもあって、客席の反応も上々です。(HMV)
対照的に、ヴェルザー=メスト指揮するウィーン・フィルは情熱的な演奏で音楽を盛り立て、『レオノーレ』第3番が含まれるヴァージョンということもあって、客席の反応も上々です。(HMV)
ヨーロッパでのオペラ公演は自由に演出する舞台が主流のようである。これも上述のように、主人公夫妻の影なるものが出てきて、心情表現をする。彼らはパントマイムで表現するが、時にはピストルを渡したりもして黒子的な役割も担っているようだ。あちらでは従来の型に嵌った舞台は飽きられて、演出家の色を出そうとするようだが、この舞台はまだおとなしい方ではある。もっとも人物の服装からして、現代化はされているのだが。
オーケストラは普段からやっている演目だから、憎らしいほど余裕のある演奏ぶりである。ピットに入るが、ザルツブルク音楽祭なのでVPOを名乗っているのか、そこら辺は今もって理解していない。このBDはソニーからのリリースで、どうもウアナス・カウフマンを売りにしたオペラ・シリーズの一つらしい。中国語や韓国語の字幕はあるが日本語字幕はない。