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マーラー:大地の歌~ミヒャエル・ギーレン

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ミヒャエル・ギーレン指揮 南西ドイツ放送交響楽団 
コレネリア・カリッシュ(MS)、ジークフリート・イェルザレム(T)
録音時期:1992年11月(Ⅰ・Ⅲ・Ⅴ)、2002年11月(Ⅱ・Ⅳ・Ⅵ)
録音場所:ハンス・ロスバウト・スタジオ(Ⅰ・Ⅲ・Ⅴ)、フライブルク・コンツェルトハウス(Ⅱ・Ⅳ・Ⅵ)
録音方式:デジタル

マーラー『大地の歌』の注目盤!
ギーレン&SWR交響楽団

すでに交響曲全集を完成していながらなぜか『大地の歌』のリリースがまだだったギーレンのマーラー・シリーズですが、今回ようやく男声楽章を1992年、女声楽章を2002年に録音して制作されたアルバムが登場します。録音年代が10年も開いてしまった理由は明らかにされていませんが、ギーレンが納得した結果としてこうした形が採られたのは確かなようです。なお、ギーレン&SWR響の顔合わせでは、2011年9月に、クリスティアーネ・イヴェンとハンノ・ミュラー=ブラッハマンとをソリストに迎えた、歌曲集『子供の不思議な角笛』のリリースも予定されています。

【ギーレンのマーラー】
近・現代音楽の大御所としてファンの熱烈な支持を受ける巨匠、ミヒャエル・ギーレンによる待望の『大地の歌』の登場。ギーレンはすでにマーラーの交響曲全集を完成させていますが、そこでの演奏は、細部まで見通しのよい堅牢な造形、緊密に練り上げられたテクスチュア構築など膨大な情報処理に秀でている点が特徴的で、素材間の緊張関係や声部の重なり合いの面白さには実に見事。オーケストラの楽器配置が第2ヴァイオリン右側の両翼型である点も見逃せない重要な基本要素で、マーラーが意図したであろう音響パースペクティヴの中に各素材が配されることによって生ずる響きや動きの妙味に説得力があり、多用される「対位法」や、「素材引用」への聴き手の関心が無理なく高められるのも嬉しいポイントでした。
今回の『大地の歌』も、これまでの演奏の基本姿勢と同様、情緒過多やペシミズム偏向に陥ることなく、作品本来の複雑な味わいに富む魅力を明らかにしてくれるものと思われます。

【ソリストについて】
ソリストにはマーラー経験の豊富なドイツの二人の歌手が起用されています。
テノールは、ヘルデンテノールとして有名でワーグナーやシュトラウスを得意とするジークフリート・イェルザレムが担当。イェルザレムは『大地の歌』を、バレンボイム指揮シカゴ響(1991)、レヴァイン指揮ベルリン・フィル(1992)とも録音しています。
メゾソプラノは、近現代を中心に、ロマン派、古典派、古楽までこなすコルネリア・カリッシュが受け持っています。ギーレンによるマーラー・シリーズでは、第2番(1996)、第3番(1997)のレコーディングにも参加しており、さらに『亡き子を偲ぶ歌』(1998)でも情感豊かで美しい歌唱を聴かせていました。

【大地の歌】
壮大壮麗な『千人の交響曲』を完成させたマーラーが次に向かったのは、前作とはまったく異なる「異国趣味」の世界でした。
きっかけは友人から贈られた一冊の詩集『中国の笛』。これはハンス・ベートゲが、ハンス・ハイルマンによるドイツ語訳『中国叙情詩集』から選んだ詩を編みなおしたドイツ語詩集で、そのハイルマンの『中国叙情詩集』そのものも、フランス語や英語に訳された漢詩が元ネタになっているものもあるという具合でした。
さらに、ベートゲはそれらの漢詩の一部の「情景」を「人間」に置き換えるなどヨーロッパ的なわかりやすいドラマ性を持ち込んだりし、さらにマーラーはそういった複数の詩をつないでしまったり、最後には自分のテキストを追加したりした結果、元来の包括的な陰陽二元論的世界は、西欧的でシンプルな二元論の世界へと読み替えられ、原詩の世界とは遠くかけ離れてしまった面もあるようです。
もっとも、当時の欧州で流行をみせていたシノワズリーやジャポニズムといったオリエンタリズムそのものが、概して対象とした文化の表層のみを模倣し、それをヨーロッパ的な嗜好で換骨奪胎したうえで受容し、楽しんでいたものであったことを考えれば、『大地の歌』に取り込まれた「中国の詩」「中国風な詩」「中国風な旋律やリズム」といった諸要素も、様々な「引用」をおこなってきたマーラーにとっては、作品創造のいちプロセスに過ぎなかったのかもしれません。
しかし、実際のところ、この作品から感じられる東洋・西洋ないまぜになった独特の雰囲気、日常性の中に穏やかな達観が織り込まれたテキストの魅力にはやはり抗いがたいものがあり、マーラーとしてもその魅力をなんとか自身の音楽に盛り込みたかったのではないでしょうか。
ともかく、この歌曲とも交響曲ともつかないマーラーの『大地の歌』が書かれたとき、まだマーラーは40代であり、メトロポリタン・オペラにも招かれ、翌年にはニューヨーク・フィルの指揮者となることも決まっており、新天地への期待に胸がふくらんでいる時期でもあったのです。(HMV)

 このアルバムは面白いことにテノール歌唱の奇数楽章とメゾ・ソプラノ歌唱の偶数楽章の録音が10年の時を隔てて実施されている。指揮者の意図なのか、単純な演奏者の予定によってこうなったのかはわからない。この作品は別々に収録されるのだが、10年も間があるのは少し驚いた。これは販売者コメントにも触れられているが、ギーレンの方針が大いに関与していることでろう。

 先日聴いたブルックナーが割といい感じであり、既にBPOを振ったマーラーの第7番も聴いている。ブルックナーのアルバムにマーラーの宣伝が掲載されていたので、まんまとメーカーの「計略」にひっかかってしまった。既に全集も発注済みでその全集にない本作品や第10番のクック版も入手してしまった。

 ギーレンというと現代作品の大家というイメージが強いのだが、こうしてマーラーもブルックナーもいい解釈を披露してくれるし、古典派や初期ロマン派もレパートリーで持っている。別に奇を衒った解釈はしない。極めてオーソドックスで、この曲を知るきっかけになったワルターの解釈やテンポに似ているように聴こえる。テンポはワルターよりも若干遅いのかもしれない。まあ、好みのテンポではある。ソリストはいずれもマーラー経験豊富なドイツの歌手だから、安心して聴ける。イェルザレムはレヴァイン/METの「指輪」で知った人だ。

 ギーレンは1927年にドレスデンで生まれた人だから、ブロムシュテットと同い年で現役最古参の一人ではなかろうか。
 

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