【曲目】
グスタフ・マーラー:
[CD1]
1. 交響曲 第1番 ニ長調 《巨人》
2. さすらう若人の歌
[CD2]
3. 交響曲 第2番 ハ短調 《復活》 第1-4楽章
[CD3]
3. 交響曲 第2番 ハ短調 《復活》 第5楽章
4. 交響曲 第3番 ニ短調 第1楽章
[CD4]
4. 交響曲 第3番 ニ短調 第2-6楽章
[CD5]
5. 交響曲 第4番 ト長調
6. 歌曲集《子供の不思議な角笛》から 4曲
[CD6]
7 交響曲 第5番 嬰ハ短調
[CD7]
8. 交響曲 第7番 ホ短調 《夜の歌》 第1-4楽章
[CD8]
8. 交響曲 第7番 ホ短調 《夜の歌》 第5楽章
9. 交響曲 第9番 ニ長調 第1楽章
[CD9]
9. 交響曲 第9番 ニ長調 第2-4楽章
【演奏】
ロベルタ・アレクサンダー(ソプラノ)(第2番)
マリア・ユーイング(ソプラノ)(第4番)
ヤルド・ヴァン・ネス(アルト)(第2番)、
キャロリン・ワトキンソン(アルト)(第3番)
ベンジャミン・ラクソン(バリトン)(さすらう若人の歌)
トム・クラウゼ(バリトン)(不思議な子供の角笛)
オランダ放送合唱団(第2番)/オランダ放送女声合唱団(第3番) (合唱指揮:ロビン・グリットン)
ノールト・ホラント少年合唱団(第3番)
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
ベルナルト・ハイティンク(指揮)
【録音】
1977年12月25日(第1番)
1978年12月25日(さすらう若人の歌)
1981年12月25日(不思議な子供の角笛)
1982年12月25日(第4番)
1983年12月25日(第3番)
1984年12月25日(第2番)
1985年12月25日(第7番)
1986年12月25日(第5番)
1987年12月25日(第9番)
アムステルダム、コンセルトヘボウ(ライヴ録音)
【原盤】
Philips
グスタフ・マーラー:
[CD1]
1. 交響曲 第1番 ニ長調 《巨人》
2. さすらう若人の歌
[CD2]
3. 交響曲 第2番 ハ短調 《復活》 第1-4楽章
[CD3]
3. 交響曲 第2番 ハ短調 《復活》 第5楽章
4. 交響曲 第3番 ニ短調 第1楽章
[CD4]
4. 交響曲 第3番 ニ短調 第2-6楽章
[CD5]
5. 交響曲 第4番 ト長調
6. 歌曲集《子供の不思議な角笛》から 4曲
[CD6]
7 交響曲 第5番 嬰ハ短調
[CD7]
8. 交響曲 第7番 ホ短調 《夜の歌》 第1-4楽章
[CD8]
8. 交響曲 第7番 ホ短調 《夜の歌》 第5楽章
9. 交響曲 第9番 ニ長調 第1楽章
[CD9]
9. 交響曲 第9番 ニ長調 第2-4楽章
【演奏】
ロベルタ・アレクサンダー(ソプラノ)(第2番)
マリア・ユーイング(ソプラノ)(第4番)
ヤルド・ヴァン・ネス(アルト)(第2番)、
キャロリン・ワトキンソン(アルト)(第3番)
ベンジャミン・ラクソン(バリトン)(さすらう若人の歌)
トム・クラウゼ(バリトン)(不思議な子供の角笛)
オランダ放送合唱団(第2番)/オランダ放送女声合唱団(第3番) (合唱指揮:ロビン・グリットン)
ノールト・ホラント少年合唱団(第3番)
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
ベルナルト・ハイティンク(指揮)
【録音】
1977年12月25日(第1番)
1978年12月25日(さすらう若人の歌)
1981年12月25日(不思議な子供の角笛)
1982年12月25日(第4番)
1983年12月25日(第3番)
1984年12月25日(第2番)
1985年12月25日(第7番)
1986年12月25日(第5番)
1987年12月25日(第9番)
アムステルダム、コンセルトヘボウ(ライヴ録音)
【原盤】
Philips
>オランダローカルでのみ発売していた、幻のハイティンク&RCOのマーラー・ライヴが遂に復刻!一部(3曲)を除き、待望の日本初発売!
ハイティンクがコンセルトヘボウ管弦楽団と12月25日(クリスマス)に行っていた「クリスマス・マチネ・コンサート」で指揮をしたマーラー作品全9作を集成したのが本セットです。残念ながら交響曲第6,8番はありませんが、1960年代から'70年代にかけてのPHILIPSレーベルへの交響曲全曲録音より後のハイティンクのマーラー録音として、このコンセルトヘボウ管との一連のライヴは重要な記録です。中でも以降の第9番は後のベルリン・フィルとのシリーズ時は録音されず、ハイティンクにとってはECユースオーケストラとの1993年との盤(PROC1140)が残っているだけのため、この1987年時の演奏は貴重。しかも首席指揮者としての最後のシーズンの演奏でした(最後のクリスマス・マチネ・ライヴ。ハイティンクにとってはコンセルトヘボウ管と"別れ"を告げるためこの曲を選んだとの記述が解説中にあります)。尚、第4番、第5番、「子供の不思議な角笛」から4曲以外は、日本初発売となります。マーラーの交響曲7曲他でまとめられたこのセットは、オランダ・フィリップスでのみ発売された貴重なCDで、1999年に日本にも輸入されていましたが、高価だったということもあり今では貴重盤として中古市場ではあまり見かけないBOXです。2016年4月に市販として第4,5番他が発売されるに至り、これらも含め、今回オリジナルの形態として満を持して9枚組として全曲発売します。ハイティンクの復刻はこれまでも当シリーズで力を入れており、マーラーも3種発売済です。この「クリスマス・マチネ・コンサート」は、ハイティンクがコンセルトヘボウ管と全集を録音した後、ベルリン・フィルとセッション録音を行った第1-7番との間を埋める重要な記録です。より円熟し落ち着いた解釈であるベルリン・フィル盤に対し、表現にまだ若さが伴う初期の全集と比べ、オケの掌握や曲の解釈で格段に進歩したこの「クリスマス・マチネ・ライヴ」は、バランスが取れた充実したマーラー・サウンドが収められています。今回の復刻では、輸入盤BOXに収められていたオリジナルの解説書に掲載されていた、マールテン・ブラント氏によるハイティンクとマーラーにまつわる文章の日本語訳をはじめて載せ、新規で満津岡氏による序文解説も収納しました。伝統あるマーラー・オケとハイティンクによる重要なライヴ盤に相応しい形態で、ついにこの幻のセットが日の目を見ます。(タワーレコード)
ハイティンクがコンセルトヘボウ管弦楽団と12月25日(クリスマス)に行っていた「クリスマス・マチネ・コンサート」で指揮をしたマーラー作品全9作を集成したのが本セットです。残念ながら交響曲第6,8番はありませんが、1960年代から'70年代にかけてのPHILIPSレーベルへの交響曲全曲録音より後のハイティンクのマーラー録音として、このコンセルトヘボウ管との一連のライヴは重要な記録です。中でも以降の第9番は後のベルリン・フィルとのシリーズ時は録音されず、ハイティンクにとってはECユースオーケストラとの1993年との盤(PROC1140)が残っているだけのため、この1987年時の演奏は貴重。しかも首席指揮者としての最後のシーズンの演奏でした(最後のクリスマス・マチネ・ライヴ。ハイティンクにとってはコンセルトヘボウ管と"別れ"を告げるためこの曲を選んだとの記述が解説中にあります)。尚、第4番、第5番、「子供の不思議な角笛」から4曲以外は、日本初発売となります。マーラーの交響曲7曲他でまとめられたこのセットは、オランダ・フィリップスでのみ発売された貴重なCDで、1999年に日本にも輸入されていましたが、高価だったということもあり今では貴重盤として中古市場ではあまり見かけないBOXです。2016年4月に市販として第4,5番他が発売されるに至り、これらも含め、今回オリジナルの形態として満を持して9枚組として全曲発売します。ハイティンクの復刻はこれまでも当シリーズで力を入れており、マーラーも3種発売済です。この「クリスマス・マチネ・コンサート」は、ハイティンクがコンセルトヘボウ管と全集を録音した後、ベルリン・フィルとセッション録音を行った第1-7番との間を埋める重要な記録です。より円熟し落ち着いた解釈であるベルリン・フィル盤に対し、表現にまだ若さが伴う初期の全集と比べ、オケの掌握や曲の解釈で格段に進歩したこの「クリスマス・マチネ・ライヴ」は、バランスが取れた充実したマーラー・サウンドが収められています。今回の復刻では、輸入盤BOXに収められていたオリジナルの解説書に掲載されていた、マールテン・ブラント氏によるハイティンクとマーラーにまつわる文章の日本語訳をはじめて載せ、新規で満津岡氏による序文解説も収納しました。伝統あるマーラー・オケとハイティンクによる重要なライヴ盤に相応しい形態で、ついにこの幻のセットが日の目を見ます。(タワーレコード)
ハイティンクというと少しおとなしめで面白みに欠けるが、これはライヴということで興味を持った。発売元によるとオランダ本国のみでリリースされていたのを本邦初お目見えということだ。やはり実演ともなると熱気を感じるし、聴衆も声援しているのがわかる。ただし収録の仕方に少々不満があるたとえば第2番は第3楽章から第5楽章まで同一の盤にして欲しかった。またこれは全集ではなく第6番と第8番がなにのは残念というしかない。
実はコンセルトヘボウの自主製作盤でハイティンクのライヴに接して、セッション録音とは少し様子が異なるようなので、それに期待してであった。だいたいそれはいい方に的中したので良かったと思っている。
解説の中で少し興味を惹いたのは、ハイティンクが指揮していた初期はACOからはマーラーの理想の音がでなかったと証言している。ワルターなどが客演し、ベイヌムも盛んにマーラーを取り上げていたのにである。1920年代にメンゲルベルクがマーラーの全曲演奏した後、次第にマーラーを演奏する頻度が下がったのと、戦前いた多くのユダヤ人のメンバーが復帰しなかったことを原因として挙げていた。戦前はヴァイオリン・セクションはゲットーみたいと言われていたそうだ。メンゲルベルクは大いに庇っていたというし、有名な第4番の録音は1939年だったと記憶しているが、ギリギリできるだけマーラーを彼は取り上げていた節は感じられる。頻度が落ちたのは政治的な影響が大きい。