>ハイフェッツはシベリウスのヴァイオリン協奏曲を世界で初めてレコーディングしたヴァイオリニストとして知られています。ビーチャム指揮ロンドン・フィルと1935年11月26日におこなわれたその録音は現在でも広く聴かれている有名なものですが、実はその11か月前にもハイフェッツはシベリウスのヴァイオリン協奏曲をレコーディングしていたのですが、あるトラブルにより、ハイフェッツはその発売を認めなかったという経緯がありました。平林直哉著「クラシック名曲初演&初録音事典」から、その事情に関する部分を以下に引用します。
「...ハイフェッツがある箇所で独奏を効果的に響かせるために、伴奏のヴァイオリンは「もう少し柔らかく弾いて欲しい」とストコフスキーに注文を出した。しかしストコフスキーは、全体のバランスの決定は指揮者がなすものであり、このような申し出は越権行為だとし、これを退けた。そのため、最終的にハイフェッツはこの演奏の発売許可を出さなかったという。さらに、ハイフェッツはレコード会社に金属原盤の廃棄を要求したが、なぜかテスト・プレス盤は自ら保管していたのである。そのテスト盤はハイフェッツの死後スタンフォード大学のアーカイヴに所蔵され...」
こういった背景から、この録音はフィラデルフィア管自主制作CDに収められていただけだったので、今回のギルド・ヒストリカルからのリリースは歓迎されるところです。(HMV)
「...ハイフェッツがある箇所で独奏を効果的に響かせるために、伴奏のヴァイオリンは「もう少し柔らかく弾いて欲しい」とストコフスキーに注文を出した。しかしストコフスキーは、全体のバランスの決定は指揮者がなすものであり、このような申し出は越権行為だとし、これを退けた。そのため、最終的にハイフェッツはこの演奏の発売許可を出さなかったという。さらに、ハイフェッツはレコード会社に金属原盤の廃棄を要求したが、なぜかテスト・プレス盤は自ら保管していたのである。そのテスト盤はハイフェッツの死後スタンフォード大学のアーカイヴに所蔵され...」
こういった背景から、この録音はフィラデルフィア管自主制作CDに収められていただけだったので、今回のギルド・ヒストリカルからのリリースは歓迎されるところです。(HMV)
【収録情報】
シベリウス
シベリウス
①交響詩『フィンランディア』 録音:1930年4月28日
②トゥオネラの白鳥 録音:1929年5月2-3日
③ヴァイオリン協奏曲ニ短調 Op.47 録音:1934年12月24日 ヤッシャ・ハイフェッツ(Vn)
④悲しきワルツ 録音:1936年1月15日
④悲しきワルツ 録音:1936年1月15日
⑤『嵐』より『子守歌』 録音:1937年11月7日
⑥交響曲第7番ハ長調 Op.105 録音:1940年9月22日
レオポルド・ストコフスキー指揮 ①~⑥フィラデルフィア管弦楽団⑦全米ユース・オーケストラ
アルバムの録音資料によるとフィラデルフィア管弦楽団とのものはRCA、最後の交響曲第7番のみCBSによる録音とある。上の販売者のコメントにあるように協奏曲はハイフェッツが販売にOKを出さなかったので、長らく聴けなかったもの。しかし、遺品からの発見でリリースされたもの。そうえいばフィラデルフィアの自主制作盤BOXにこの演奏が入っていたのを思い出した。その内、RCAから出るのかなと思っていたら、上述のような経緯があったのだ。ソリストと指揮者の「確執」はままあることだが、時としてこんなことが起きる。ストコフスキーは映画出演などをするタレント的指揮者かと思っていたら、案外専制君主的な人だったみたいな話は聞いたことがある。主張のはっきりした人だったのだろう。
さて、復刻はピーター・レイノルズという人がやっていて、聴きやすい状態のもの。後は今はやらないような音の処理が面白い。①などはかなりテンポを動かしている。SP録音という制約もあったのかもしれない。最後の全米ユース・オーケストラというのはよくわからないが、当時の若手の演奏家を集めたものようだ。1940年から41年にかけて存在したようだ。多分、戦争に関係して解消されてしまったのではなかろうか、調べてみるとストコフスキーの指揮でベートーヴェンの第5番やブラームスの第1番などの録音が残っているようだ。