市川崑監督というとまず挙げられるのが本作かもしれない。初見は小学校の頃、NHK総合での放映だった。当時は日活マークを他の映像に差し替えてタイトルから本来の映像になるという扱い。あくまで特定の会社名を出さないというルールをNHKが厳格に守っていたような感じではあった。最近はオリジナルのままの放映にはなっている。高校を卒業して上京したら、割と容易に映画館で観ることができた。名画座でも結構上映頻度は多かった。映画館での初見は「日本映画名作祭」とかいう企画が丸の内松竹であった時だったと思う。
さて、今この作品が観られるのは総集版と呼ばれるもの。初公開は前後篇に分かれていたらしい。ただ、何かの関係で海外ロケ部分が間に合わず、市川監督としては不本意な形だったとは文献にあったような記憶がある。改めて編集して海外ロケの部分も挿入してできたのが今の版らしい。もの売りの婆さん(北林谷栄)の主人役の沢村国太郎はクレジット表記のみで画面に登場しないのはそういう経緯が影響しているのではと思っている。初公開版は残っていないだろうかと最近思うことしきりである。
内容は全くのフィクションで、ビルマにはあのような竪琴はないとの指摘もある。よくみるとややご都合主義できれいごとに終始してなくもない。原作も読んでみたが、映画ほど感動しなかった。またカラー化したセルフ・リメイク版も観てはいるが、やはりこの日活版の足元にも及ばない。何故、ここまで名作とされるのだろうか。一つには俳優陣自身の戦争体験がこの当時はまだ生々しかったことがある。そして、この映画にはビルマ僧(中村栄二)による主人公への説教めいた台詞が全てを物語っているように思う。これは原作にはなかったような気がする。その台詞とは「日本が来ようが、イギリス来ようが、ビルマはビルマだ」といった趣旨。他国がやってきて自分らの国に何をするかという意味と悠久の大地に何をごぜりあっているのかという意味の双方に取れた。水島は結局説教に身が入らず、この僧侶の衣服を盗むのである。それが次第に罪の意識と重なりついには帰れなくなってしまう。また死んだ兵隊が持っていた子供との写真のショットなど戦争の空しさも十分に伝わった。市川監督自身の考えが十分に詰まった作品かもしれない。それに伊福部昭の重い音楽が流れる。「ゴジラ」での祈りの音楽のような音楽も効果的だった。