伝説の女優・原節子が亡くなっていた。ご本人の意向で公にしなかったというから、まさにこの人らしい終末だったと思う。
日活多摩川が出発で、東宝に転じ、戦後は小津安二郎監督や成瀬巳喜男監督の作品の常連として、代表作をものにしてきた人だ。ただ、あまり女優という職業は本意ではなかったようで、未練も強くなかったのではないか。60年代に入ると、専属の東宝はこの人にはあまりふさわしくないような役柄を配したりしていたような気もする。結局、1962年の「忠臣蔵」のおりく役が最後の出演だった。その翌年小津安二郎監督が逝去して、芸能界から完全に身を引いた形になっていた。
自分もリアルタイムでこの女優さんに接していたわけではない。古い映画のリバイバルや名画座、フィルムセンターの上映で知った人だ。スクリーンに映る姿は美人というだけではなく、気品もあった。「ノンちゃん雲に乗る」や「秋日和」などでは母親役もやったが、それなりに気品があって美しいおかあさんだった。白髪になって、腰が曲がったような老いの姿は想像がつかない。ご本人もそうしたことはファンに知られたくなかったのかもしれない。映画ファンである我々はスクリーンに映し出された姿を偲ぶことができるのかもしれない。残念ながらデビュー当時の作品はフィルムが失われているものが多いが、ほぼ完全な形で観られるこの人の最古の作品は山中貞雄監督の「河内山宗俊」ではなかろうか。その後の「新しき土」ともども今ではDVDになっている。東宝移籍後の作品は、観られる作品が多い。
本当は戦後の小津作品あたりを掲げるべきだろうが、ここでは戦前の十代の頃の「母の曲」(山本薩夫監督)を関連記事としてTBして掲げておく。