映画「砂の器」は一度記事にしているので、ここでまた繰り返しの重複事項は避ける。
後半の30分のコンサート演奏とそれに繋がる回想場面がこの映画の要である。前にも触れた通り、ここは原作にはない部分である。演奏と同時に今西刑事の報告とが進行して、音楽家である犯人は自作初演終了後逮捕されることになるが、その瞬間は映らない。「太陽がいっぱい」もそうであるようになかなか心憎い終わり方だ。
ここで取り上げたいのは、その回想部分。その大部分は音楽だけで台詞は殆ど聴こえてこない。ここは一種サイレント作品のような演出だ。犯人の子供時代を演じる子役の声は全くないことに気づく。余計な説明がない分、観客は自分流の解釈ができる。こういうところが、この映画の魅力の一つではなかろうか。