この作品は、スクリーンで二度観ている。その二度ともが今は閑散としている浅草六区にあった映画館だった。山本薩夫監督のフィルモグラフィの中では地味な存在で上映頻度も多くないが、30数年前はそれでも関東地区では時折上映はされていた。しかし、一度VHSにはなったようだが、DVD化の予定はないようである。
封切りは11月15日とある。同日には「続・男はつらいよ」も公開されていて、当初から目立たない存在だったかもしれない。ポスターの中には「幕末にもいたゲバルト集団」といった惹句も掲載されていたものも目にしたことがある。1969年といえば、極左が主導する学生運動が盛んな時代であり、年初には東大安田講堂事件なるものがあった。またこの前年には新宿騒乱があって、新宿駅などが被害を受けていた。そういう背景があって、時代劇の形を借りて、そういうゲバルトの空しさを描こうという企画だったのかもしれない。山本監督自身は日本共産党員だったが、こうした極左的動きには批判的だったのかもしれない。
ここに登場する人物たちは、世の中の動きに敏感なようで疎い感じの者が殆どである。世直しといいながら、やはり身分の上下に拘る姿も出てくる。これらは革新団体でも総論では革新的でも個人的には恐ろしく保守的で差別意識があったという自戒もあったのかもしれない。ただ、映画としてはなんとくなく中途半端で、必ずしも成功してはいない。大映なのに仲代達矢主演というのもちょっと異色ではあるが、これも余計に中途半端な印象を与えてしまう。1969年は市川雷蔵が没した年でもある。公開当時は既に亡くなっている。そうした会社側の情勢もあって、意気が上がらない印象もある。画面も暗いのも気になる。スクリーンで観た折はそう気にはならなかったが、CSの放映では暗さが強調されすぐている印象だった。
山本薩夫監督としては永田大映での最後の作品となった。直前には記録映画「ベトナム」の総監督を務めている。もう大映を離れることが決まっていたのかもしれない。「ベトナム」を配給した縁か、日活に出向いて「戦争と人間」に取り組むことになる。