原題は「Compulsion」(辞書的には強制)。「海底二万哩」や「トラ・トラ・トラ!」のリチャード・フライシャー監督が、1959年に20世紀フォックスで撮ったモノクロ・スコープ作品。
知能的に秀でた二人の学生が、自分たちの優秀さを示さんがために少年を誘拐の上、殺害してしまうという1924年に実際にシカゴあった事件をもとに、裁判のあり方を描いた作品。何故か日本では劇場では公開されておらず、テレビ放映がなされただけの隠れた作品である。大物弁護士に扮するはオーソン・ウェルズ。しかし、彼は映画が半分過ぎたあたりでやっと登場する。存在感は申し分ない。法廷で無罪か有罪を争うのはあっさり放棄してしまう。後は情状酌量を訴えるのに切り替える。それが犯人たちやその親たちは不満だが、事実は事実で覆しようはない。最後に彼は二人の犯人を絞首刑にして、死んだ少年が生き返るのだったら、執行すればよい。そうはならない。ただ復讐のために死刑にするのだったら、野蛮だった時代と変わらない。今は文明国になった時代にそれでよいのか。それに犯人もまだ二十歳前。ここシカゴでは25歳未満の者には死刑にしないという決まりがあるのに、それ覆すのか。彼らが金持ちの子息だから、吊るしてしまえというのか。無期懲役で十分ではないか、と熱弁をふるう。それが妙に説得力がある。
今日死刑のあり方について議論は多いが、これは示唆的な内容の作品と思った。もとより、映画では死刑廃止などとは声高に言っていない。ただ復讐のための死刑は如何なものと言っているだけだ。最初、何が何でも極刑に意気込んでいた検事もうなだれてしまう。実際、犯人たちは知能は高いが、人間的にはかなり未熟だ。判決時になっても反省すらしない。弁護士はこれから事の重大さを時間とともに身に染むだろうと彼らに言う。実際、無期懲役でしでかしたことに向かう方がきついのかもしれない、とも思った。