今朝の日本経済新聞の文化欄に中島貞夫監督の菅原文太の手記が載っていた。要するに彼が目指していたのは「アンチ任侠」だったという。とすれば鶴田浩二や高倉健が主演していた映画とは全く別の方向性だったということだ。先に亡くなった高倉健と対立はしてなかったのだろうが、積極的に接近していたわけでもないように思う。それを「任侠二大スター」と一絡げに出す新聞の見出しに違和感を覚えていたが、この一文で少し溜飲が下りた。
東映に移った後も鳴かず飛ばずの状態だったとある。中島監督との初仕事は「日本暗殺秘録」でのテロリスト・朝日平吾役だったという。財閥の当主・安田善次郎を平然とその自宅で殺害する役だった。これが妙にはまっていた印象がある。ある程度名が売れたら、それこそ必死にやっていたのが、伝わっていたという。長身・細身で眼だけは鋭かったという。凶暴的面が「仁義なき戦い」で、漂々とユーモラスな部分が「トラック一番野郎」とあったが、まさしくその通りだと思った。