高倉健に次いで、菅原文太が亡くなった。癌を患っていたのを公表していて、第一線からは退き、農業に従事していたことは知っていた。同じ俳優だった息子に先立たれ、急速に元気を無くしたようであった。
東映時代の諸役がたいへん印象に残っているが、最初は長身を生かしてモデルだったという。そして新東宝に入社して映画界に入る。新東宝が経営破綻した後は松竹に転じる。松竹ではあまり目立った印象がない。ただ、木下恵介監督の「死闘の伝説」では横暴な地主の息子役で徹底した敵役だった。酔って撮影所を歩いていたところを木下監督の目に止まっての出演だったらしい。「香華」にも青年将校役で起用されていた。70年代に入って、「仁義なき戦い」や「トラック野郎」のシリーズもので人気者になった。高倉健が少し古い任侠もののスターなら、こちらは実録やくざもののスターというイメージだった。
正直、東映時代の諸作はそう熱心に観ていない。むしろフリーになって、市川崑監督の作品や「千と千尋の神隠し」の声の出演などが印象に残る。高倉健とは2歳若い。資質も全く異なる俳優だった。80歳超えていたので、こういう時を迎えるのは、自然の成り行きではあるが、やはり寂しいものを感じてしまう。