時代劇の名匠・稲垣浩監督が珍しく松竹で撮った作品。題名は映画の中身とは無関係で監督の名字の一字と主演の阪東妻三郎の名前から一字取ったものだという。
派手なチャンバラはないが、人間同士の情感を豊かに描いた時代劇である。とある街の祭礼があり、藩の上役に暴行を働いて、その侍を討つためにやってきた主人公がその侍の恋人と知り合う。そんなところから話は始まる。話の筋は今は現存しない稲垣監督の「海を渡る祭礼」に似ているようにも思える。むろん設定などは異なることは多いが。武士の掟と人としての生活とを対比させたところはこの監督の特徴かもしれない。雨宿りの時に、妻三郎と田中絹代の会話で石段をあがりきって、強くはねあがると青空に吸い込まれそうだという会話がある。普段のしがらみから解放されたいという願望だろうか。侍は武士の掟に苦しみ、女はヤクザな父親や病気の弟に手足を取られて思うに任せない生活を送っている。人はそれぞれ苦しみを抱えているである。石段は象徴として扱われる。映画ではその登りきった風景は一切出てこない。一つの別世界であり、舞台となる街は閉じられた世界である。
なお、稲垣監督が撮った「無法松の一生」のパロディが出てくる。宿屋で主人や仲居の前で侍は故郷の祭りの話をする。そして、その祭りには山車があって、太鼓が叩かれると話し、その叩き方は「無法松の一生」に出てくるそれと全く同じだ。稲垣監督は妻三郎とはそう多く仕事をしていないが、肝心な時期にいつも一緒に仕事をしたと語っていたのを読んだ記憶がある。監督の妻三郎に対する最大のオマージュだったのであろう。
また、この作品で監督は三国連太郎とも出会っている。後年、三国は稲垣監督と仕事をしたいがために、松竹を退社しているが、それが大きな問題に発展した。