この監督は1960年代の日活を支えた監督だった。しかし、出発点は松竹大船で、作風は大船調だったのはやはり修行時代からの影響であろう。一般には、吉永小百合や山口百恵といったアイドルを主演にしたものが多く、しかもリメイクものがかなりの割合を占めているのが特徴である。どりらかというと職人タイプの監督で、作家性をあまり打ち出さない監督だった。それでも日活初期の「東京の人」などを観ていると、技量はしっかりした監督だと思っている。
この監督は鳥取県智頭町出身。わずか4歳までしか暮らしてないが、故郷への思い入れは強く、登場人物に街の名前を取り入れたり、島根県が舞台の「絶唱」を鳥取に替えて、しかも二度も映画化していたりする。
山口百恵が起用されたスナック菓子のCMに彼女がこの監督をパーティに呼んだ設定のCM映像を見たことがあるが、極めて温厚そう人に見えた。