映画そのものについては、以前に記事にしているので、重複を避け、この映画についた黛敏郎の音楽について触れてみたい。晩年の溝口健二監督作品には主に黒澤作品でも有名な早坂文雄が担当していたが、この映画が製作された時には、亡くなっていた。例外的に1954年に一度組んだ若手だった黛敏郎が起用されたのだが、この音楽が論争を呼んでしまうのだ。
タイトルバックで流れる音楽はまさに前衛音楽そのものだ。電子楽器の使用もあるようで、弦楽器が中心だが、効果音として女声も入る。一般の人ならあまり聴いたことがないような種類の音楽だった。当然、当時の評論家は貶すのが使命と思っていた節があったので、この音楽も槍玉にあがったようだ。赤線にうごめく娼婦の生活を描いたものだが、映画の中味にそぐわないという訳だ。ものの本によればフランス留学の成果として収めたミュージック・コンクレートによる音楽ということらしい。それだけ聴くとたいへん難しいものだ。しかし、一種気だるい感じの音楽は、映画の雰囲気を如実に表しているから驚く。
変にお涙頂戴の音楽ではなく、機械的で冷徹かつ気だるい感じの音楽が効果を上げるのだ。全く音楽がなく、芝居だけの展開する部分も結構あって、日本映画には珍しい部類に入るのかもしれない。
当時まだ20代の黛は敢然と批評家たちに反論したようだ。それだけ血気盛んだったのだろうと思う。今この映画を観て音楽に違和感を唱える人はそんなに多くないのではなかろうか。