今年は「ゴジラ」が封切られて60周年。ゴジラも還暦を迎えたわけだ。いろいろなところで、そういう映画が回顧上映されたりしているのは、ファンとして喜びたいと思う。
その音楽を作ったのが伊福部昭だ。今年は彼の生誕100周年でもある。映画ファンだけでなく、音楽ファンも多い。この人の音楽は聴けば曲名はともかくとして、独特の節回しですぐこの人の作品とわかる。かく言う自分も映画館で覚え知った作曲家である。怪獣映画だけでなく、時代劇やシリアスな戦争映画やドラマも手がけていたが、あの人の音楽とすぐわかったものだ。
北海道出身だが、元をたどれば鳥取県東部にあった豪族の末裔である。鳥取市周辺に福部という集落もある。彼の曽祖父の代は宮司をしていたという。累代の墓も鳥取にあり、氏も鳥取で今は眠っている。出自も同じ山陰なので親近感が覚える。
独学で作曲を修めて、戦争が終わるまでは林務官や技官をしていて作曲は余暇を使ってやっていたという。北大の学生オーケストラでヴァイオリン奏者として在籍していたのが、その他の音楽体験であった。
戦争が終わって、上京して音楽で身を立てようして、音楽学校の教員になり、後進を育て、映画音楽に手を染っていった。映画は谷口千吉監督の「銀嶺の果て」が最初だった。河野秋武と若山セツ子がスキーに興じるシーンで谷口監督は派手なマーチを要求したのに対して、伊福部はうら悲しいイングリッシュ・ホルンのソロの音楽を主張しそれを通した。今観ると大自然の中で人間が如何に小さくはかない存在かということを知るような音楽であった。あれをマーチにしてしまうと陳腐な場面になったろうと思い、その炯眼に脱帽する思いがしたのを覚えている。反対に雪崩のシーンはゴジラでも出そうな音楽ではあった。
幾多の名作の音楽を担当してきたが、やはりどちらかというと悲劇的な作品なんかがぴったりくるような感じがした。1954年の「ゴジラ」にしても祈りのような音楽もあれば、やがて死ぬ運命にあるゴジラの姿にも哀れむような音楽が流れる。時代劇の「反逆児」でも父・家康に死を命じられる信康の悲嘆を強調する音楽もあったりする。
映画音楽は、しかし、全くの0からのものばかりでなく、既存の作品からの転用も多いものだということを知ったのも、伊福部音楽から知った。というのもこの人の「交響譚詩」という1943年の作品の演奏に参加してから、映画音楽以外の作品に目を向けるようになったからだ。「ゴジラ」のタイトルバックの有名な音楽は1948年のヴァイオリンと管弦楽のための協奏的狂詩曲の一節というのがわかったし、海上保安隊の訓練のシーンなどに流れるマーチも実は戦時中の吹奏楽作品「古志舞」が由来のようだ。結構、戦時中に作られた作品から転用したものが多いことに気付き、面白いと思ったものだ。
また1962年の東宝の「忠臣蔵」(稲垣浩監督)の音楽を聴いてみると、怪獣映画に使われた素材がテンポを変えて流れる。こうしてテンポを変えるとちゃんと時代劇に合うし、編成を変えるとまるで印象が変わったりする。たとえば1951年の「偽れる盛装」でヒロインの妹が自転車で京都市内を走るシーンの音楽はフルートやチェレスタで明るく演奏されるが、よく聴くと怪獣を出現で出動する自衛隊のマーチと同じで、金管に置き換えられて力強く演奏されてまるで違う音楽になっている。場面で適切な音楽を付ける名人だったのだなと感心したものだ。
彼の教え子には、黛敏郎、芥川也寸志、小杉太一郎、池野成といった錚々たる顔ぶれがならぶ。これらの人たちはいずれも伊福部昭が映画の現場に紹介したようなものだ。黛敏郎は生前、レコードの解説に伊福部先生の音楽は対位法が使われてないと書いている。そう言われてみればメロディライン1本通っているような感じではある。