1979年6月30日に公開された作品。山本茂美の原作の映画化したものだが、実は約10年ほど前に内田吐夢監督による企画があったという。吉永小百合主演ということで、特作プロを立ち上げ、劇団民藝などが協力していたという。しかし、資金的に困難だったようで、かつ吉永プロで吉永の父親があまり目立たないことにも難色を示して、流れたという。それは山本薩夫監督は民藝の宇野重吉から聞いたいたことが、上映パンフレットやキネマ旬報などにも掲載されていたのを目にしたものだ。
普通こういう女工哀史の内容だと、暗くジメジメしたイメージが強い。しかし、山本監督が抱負としてカラッとした感じで仕上げたいといったように、必ずしもお涙頂戴の内容とはなっていない。これは監督の考え方や資質もあるだろう。さげなく家業から、銀行資本と結びつく経営の変容などが巧みに織り込まれているし、世界の情勢に翻弄されることも描かれている。
この作品は封切直後、立て続けに2回も観ている。初回は封切り日に日比谷劇場に足を運んだ。次は京都の映画館で友人たちと観たが、女性はたいていハンカチで目を拭いていたのを思い出す。山本監督は3年後には「新緑篇」という続編も撮っていて、それが遺作となる。これは本当にストライキの映画になってしまっている。情緒的なものよりも資本主義の冷徹さを描こうしたものであろう。