この映画は1975年開催の「阪妻映画祭」で初めて観た。時代劇スターの阪東妻三郎もたまには現代劇に出ていた。最も有名なのは木下恵介監督の「破れ太鼓」(松竹1949)、伊藤大輔監督の「王将」(大映1948)、稲垣浩監督の「無法松の一生」(大映1943)の3本が特に有名である。他にも数本あるのだが、これは軍人として登場した彼にとっては珍しい作品である。同時に彼のための企画でもないようである。
この妻三郎扮する将軍の名前は映画では特に出てこないが、土肥原賢二大将がモデルと云われている。まあそういうことは別にして、大スターの風格を利用して「立派な軍人」に妻三郎は扮している。しかし、初見の折に戦闘シーンや戦車が出てくるあたり「阪妻映画」にはふさわしくないように感じた。上述のように彼のための企画ではないと書いたが、後で資料を読んでみると将軍役未定のままクランクインしているようである。だから当初の映画雑誌では将軍役の配役はなかったのである。やっと、京都の時代劇の大スターの阪東妻三郎の起用が決まり、彼の登場する部分が後で追加されたようである。そして始めは、せっかくリアルな戦争映画に仕上がりつつあるのに、彼の登場でそれが台無しになるのではという懸念があったらしい。しかし、極めて抑制的な彼の演技はそういう心配は杞憂に終わったようである。
正直、兵器にも詳しくなく戦術にも不案内なので、退屈な映画になってしまっているが、真摯な姿勢は伺える。なお、後でフィルムセンターで再見した時は「戦争と将軍」と改題されたプリントだった。そして巻頭と最後に遺骨を抱えて帰還する元参謀(水島道太郎)のシーンがついていた。映画祭の折はタイトルも元のままで、そういたった帰還シーンはなかった。何となく違った印象だが、1954年にリバイバルされた版のようであった。今もLDやVHSで流通したソフトはこちらの版だが、題名は元のままになっていて「映倫」のマークが入っている。中味は勇壮ながらどこか空しい感じがして、そういった戦後の追加シーンがあっても違和感のないのは、厭戦的な姿勢が当初からあったのかもしれない。そして、件のモデルになった土肥原は東京裁判でA級戦犯として絞首刑に処されている。そういうことを念頭に入れて観ると、先々は苦難ということを感じるのである。
なおこの1942年という年は節目の年で、各種産業が政府命令で統合される。映画産業も3社のみ存続ということになり、東宝、松竹はそのままだったが、後はどうなるかだった。結局、日活、新興、大都が統合されて大映となった。これは新興にいた永田雅一の政治工作があったと云われている。日活は1954年まで興行主体の会社として命脈を保つのであった。大映(大日本映画株式会社)の第1作は同年の「維新の曲」でこれにも妻三郎は出演していた。