1976年に本国公開されたドン・シーゲル監督による西部劇。日本では3年後の公開のようだ。「正統西部劇」の挽歌のような作品で、主演のジョン・ウェインの遺作ともなった。
まず、我々が西部劇なるものはだいたい1880年代前半以前のものが多い。しかし、本作は1901年1月の1週間が設定されている。既に電信電話が発達して、法治国家の体が西部にも浸透しつつあった頃であるだ。馬のいらない馬車つまり乗用車も登場する。主人公は老いさらばえた過去の存在であり、既に不治の病に冒されていて余命いくばくもない健康状態だ。これはジョン・ウェインの私生活の投影のようでたいへん示唆的な設定ではある。
西部劇はイタリアあたりが制作した殺伐したものに変容していた。逆にそうした影響を受けた本国制作の西部劇も変ってしまい、もうジョウン・ウェイン全盛のような作品はマイナーな存在だったように思う。そして、この大スターの死と共に作られなくなった。西部劇と称する映画はあるが、全く別物と感じている。
この映画でローレン・バコールの息子役は、監督として活躍しているロン・ハワード。ウェイン、バコールそしてジェイムズ・スチュワートなどの旧世代の役者と同時に若手が台頭してきて世代交代の様子も垣間見える。そしてこの若者が最後拳銃を投げ捨てるのは、法治国家への移行の象徴のように見える。