この映画はもう数十年前にフィルムセンターの「映画で見る昭和十年代」の企画においてである。当時は16mm上映で、フィルム状態はかなり悪かった。今はDVD化されて、かなり補修されているようで今上映されると条件はよくなっているのではなかろうか。
さて、1941年と云えば、中国大陸での戦争は泥沼化していて、対英米との戦争も直前という世相だ。そういう時代にこうした問題児を収容する福祉施設があるとは驚きであり、そうした素材が映画になるとはもっとすごいというのが印象だ。戦意高揚のためにはこうした問題を隠蔽するのが当時の日本の社会だという先入観が強かったので余計にそう思う。清水監督は子役たちに自由に遊ばされるように動かしているのはそれまでの作品と同じだが、こうした社会性のあるものを意識しているのはこれまでにないことのように思える。必ずしも子供の視点からの描写でないというのがあるのかもしれない。
この2年後清水宏監督は京都で「サヨンの鐘」を撮った後、松竹を離れる。戦後は新東宝や大映で作品を撮っているが、松竹はほぼ追放に近いものだったという。子供の扱いは天下一品だったが、肝心の大人のスタッフたちとは軋轢も多かったという。横暴なので協力しないという状況に至ったらしい。小津安二郎監督とは昵懇だったそうだが、そうしたこともあって、後世の評価は小津ほどはない。むしろ忘れられた存在に近い。見直しをもっとすべき人だと思う。