ラフマニノフ
①ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18
②ピアノ協奏曲第3番二短調作品30
セルゲイ・ラフマニノフ(Pf)①レオポルド・ストコフスキー指揮②ユージン・オーマンディ指揮
フィラデルフィア管弦楽団
ラフマニノフが自作の協奏曲を録音したアルバム。4つの協奏曲とパガニーニの主題の狂詩曲は全て、彼が愛したフィラデルフィア管弦楽団と入れているし、交響曲第3番とヴォカリーズも同オケを指揮して録音を果たしている。①が1929年②が1939~40年の録音で当然シェラック盤が素になっている。
ここではCD化に当たって、聴きやすいように調整されているため、年代の割には聴きやすい状態なのがありがたい。そして生前はピアニストの超絶技巧の名手として知られた片鱗が聴ける。彼のピアノに関するものは全て自分が演奏するのが前提であるから、第三者にとっては難解な曲この上ない。2m近い大男で手も大きく軽く10度に両端の指が届いたという。また自己防衛本能からか、かなり強面で通したようで、交響曲第3番の初演リハに立ち合った近衛秀麿はその傍若無人な態度に驚いたという。
しかし、内面はとても繊細な人だったのではないか。彼の作ったメロディは優しく時として物悲しいものがある。出自が特権階級だったので、ボルシェビキ政権下では暮らしにくいと亡命して、二度と故国の土を踏めなかった。望郷の念は人一倍あったと思う。また、若い頃は自作の交響曲第1番の不評で神経衰弱になったのも制裁さゆえだったかと思う。
そんな彼の遺骸をロシアに戻したいというロシアの高官がいるが、今更ながらの話だと思う。