田坂具隆監督が1961年に発表した作品。大作「親鸞」二部作のあとに作られたもので、この次は「五番町夕霧楼」という有名な作品が続く。
1956年5月から9月あたり時代の埼玉県の入間地区が舞台と思われる。基地に隣接しているからだ。そして、始終戦闘機の訓練する音を聞きながら、生活している人たちが登場する。もう戦後は終わったと経済白書でも言われた頃だが、まだ戦争の傷は鮮明に残っている。主人公は母と二人暮らし。父親は召集されて、インドネシアで戦死。父親の弟弟子の大工の夫婦の二階に間借りをしている。そういう背景に貧困、差別それに教育問題が子供の視点で描かれている。単なる教育的な児童映画ではない。深刻な問題がさりげなく出てくるので、余計に考えさせられる。学校の後援会長が実は暴力団の親分だったりするし、姉が米兵と結婚して白い眼で周囲から見られている女の子がいたりする。中には病弱で亡くなる子もいて、なかなか盛りだくさんだ。しかし、もっとも愛する母親とこの子は死別してしまう。その死を受け入れまいと泣くのをこらえる子に世間は薄情な子だ、不良だとこれまた白眼視する。この子の担任の先生の父親も教育者で、大人の独りよがりの愛情は子供には迷惑、そっと見守るべき。この子が思い切り泣けるのはいつなのか、それが来ないのは、彼にとっては不幸であり、立つ瀬がなく無残ではないかというシーンは教育の難しさを突いている。結局の近所にあるユネスコ村にあるインドネシアの家がこの子の拠り所。父親が戦死して骨がまだ残っているであろう国の家を模したものだが、幸いにもこの子はそこで泣いていたのである。
主人公の伊藤敏孝は当時は有名な子役だった。長じても役者を続けていたが、脇に回ることが多かった。東映のヤクザ映画に出たり、「音はつらいよ寅次郎かもめ歌」では夜間中学の先生、「あゝ野麦峠新緑篇」では検番などで出ていた。
こういう映画でも137分という長尺ものではあったが、だれることなく観ることができた。