清水宏監督の戦時中の作品。ホームグラウンドの大船ではなく、京都の撮影所の作品というのは何か暗示的ではある。既に大船には居づらい状況になっていたのかもしれない。
1943年と言えば、日本の戦局は厳しくなった頃である。映画ではしきりに植民地の日本化に沿ったものが作られていた。これもその一つ。台湾の蕃社の民族が日本語を徹底的に叩き込まれるところが出てくる。だが、清水監督はあまり声高に台詞を言わせず、例のごとく子供たちを遊ばせるような捕り方をしている。俳優も半分は素人のような感じではある。かなりのどかな感じであるのが、救いではある。
ただ、今の我々は1930年に「霧社事件」が起きているのを知っている。台湾の部族が日本の支配に馴染めず、叛乱を起こして、日本人を殺傷した事件である。この映画のように、いつも友好的だったかは割り引いて観る必要はある。こういう映画でも日本人の上から目線を感じる。そういう日本人の態度を永井荷風が「断腸亭日乗」の中で厳しく指摘しているのを思い出した。