「コメットさん」のドラマは二つの版があるが、今回取り上げるのは古い方である。1967年7月3日から68年12月30日にかけて、TBS系で放映された。全部で79話で最初の19話はモノクロ作品で、後はカラー作品となっている。ヒロインとお手伝いに入る家庭の兄弟の子役は全話同じだが、後半49話から両親が変更になっている。
さて、放映当時は家にはモノクロTVしかなく、全てモノクロで観ている。また初回の発端篇は観ておらず、途中から観て面白いと思って熱心に観ていた記憶がある。子供の頃、さしてスタッフや俳優のことなどは気にもとめなかったが、今見返してみると、なかなか錚々たる人たちが関わっていることがわかった。まず、初期の主題歌は作詞が寺山修司、作曲が湯浅讓二であった。どちらも後にビッグ・ネームの人たちだ。シナリオ担当の中には、市川森一なども参加している。また、演出も中盤は中川信夫などが担当している。中川監督は新東宝で怪談映画で有名だが、その会社のスタジオでこういう作品にも関わっていたとは驚きだった。他に大槻義一監督は木下恵介監督の門下で「二十四の瞳」では、役者としても出ていた。この作品はアニメと実写の融合作品だが、特撮は大映でガメラなどを製作した築地米三郎が担当しているのも目を惹く。
脇役も斎藤達雄、杉狂児、原緋紗子といった戦前からベテランが登場したり、藤山直美が子役として出ていたりする。上述のように途中で住み込み先が変更になっていて、前の家庭はなかったことになったという設定だったのは覚えている。また、江戸時代にスリップして水戸黄門となって活躍したエピソードは何故か鮮明に覚えていた。そこに登場した悪代官は東映時代劇で敵役を主に演じていた戸上城太郎だった。両親役は最初が芦野宏と馬渕晴子、後半が伊丹十三と坂本スミ子。
当時26話が主流だった79話で正月も休止することなく放映されているから、かなりの人気作だったと思われる。少女マンガ雑誌に掲載されていたにも拘わらず、男女問わず観ていたように思う。主演の九重祐三子も人気者になって、紅白の司会もこなしていた。しかし、放映終了後、整形手術をしてしまい、その変貌ぶりに大いに失望したものである。いじらなくても良かったのにという思いがした。その後、人気は落ちて表舞台にあまり出なくなってしまった。また、長男役の蔵忠芳は人気子役だったが、長じては体を壊して肝臓癌で夭逝している。その直前に「テレビ探偵団」に顔を出して、ゲッソリやつれた顔を出して、びっくりしたものだ。
このように、かつてのドラマを見直すと新しい発見があるものだ。