日頃、映画キャメラマンに焦点を当てるというのは、あまりないと思う。宮川一夫といった名キャメラマンくらいしかフィルムセンターで特集を組まれることはまずないのではないか。
その宮川氏が絶賛していた映画キャメラマンに平野好美という人がいる。戦後それも東宝争議後はほぼ新東宝の撮影所で活動していた人だ。中には溝口健二監督と田中絹代の畢生の代表作「西鶴一代女」の撮影を担当している。後は伊藤大輔監督の「下郎の首」もこの人が担当だった。日本映画データベースによると1929年あたりからキャリアが始まり、1962年で途切れている。戦前は中小のプロダクションを経て東宝に合流、そして争議で新東宝に移ったというキャリアだ。
新東宝は初期は文芸ものなどもあったが、後半になるとエログロ路線に転換、そういう中にあって担当を淡々とこなしてきたという感じだ。1962年というと新東宝が倒産して、撮影所はTBSの傘下国際放映となる。ここは貸しスタジオとテレビ映画などを撮影していた。平野好美はなんと「忍者部隊月光」のいくつかのエピソードを担当しているのである。この子供向けのドラマはほぼ新東宝からの残党によるスタッフによって撮影されている。これには少々驚いた。
前にこのキャメラマンのプロフィールを見たら、生死不明と記してあった。それが没年不詳に変わっている。どこでいつ亡くなったかも不明なのは、何とも悲しいことである。