内田吐夢監督が「血槍富士」で日本映画に復帰した後の作品で、東映の専属になった初期の作品である。復帰一作は東映作品だったが、その後新東宝や日活でも1本ずつ撮り、その後しばらくの間は東映で1965年まで撮ることになるのである。
さて、舞台は京都に近い幕府天領の村が舞台。時は幕末で徳川幕府は大政奉還しとものの、官軍が鳥羽伏見の戦いに勝った頃である。代官は京都所司代・板倉の命を受けて砦を築こうとする。そして年貢の取り立てを厳しくして、血も涙もない圧政を加える。しかし、それはやがて領民たちによって突き崩されてゆく。
あらすじを書けば、こんなところだが、何のことはないスイスを舞台にした「ウィリアム・テル」を幕末の日本に移し替えたものである。有名な頭の上の「リンゴ」を射るところは、「ミカン」に代わっているがちゃんとある。主人公も照造というからテルをもじったもので、弓矢の名手も同じだ。
観て驚くのは左翼系のプロダクションが扱うような内容でモブシーンも多い。圧政に耐えていた民衆の立ち上がりは山本薩夫監督あたりが好みそうな内容である。それを保守的なメジャーの東映で録っているのが凄い。内田監督自身も戦前は傾向映画も作っていて「生ける人形」という傑作も生んでいるので、素地はあったのだろう。照造に扮するのは東映の取締役でもあった片岡千恵蔵。彼は悪代官役の月形龍之介ともども左翼系のスタッフが東映の京都撮影所で製作した「きけ、わだつみの声」を中止させようと門の前に立ちはだかった人でもある。そういう環境でこういう企画がよく通ったものよと思う。
作品的にはあまり洗練はされていないが、それなりに楽しめる構成にはなっているが、東映時代劇にしては地味である。派手な殺陣を期待するとあてが外れる。主演の千恵蔵親子も目立たず、民衆の力のみが印象に残るし、感銘度はやや低い傾向はある。